さして珍しい光景ではなかった。天候が不安定なここフェザーンでは、それはよくあることだったから……

　夕刻、空は鮮やかな朱鷺色に彩られているというのに、その空からは銀糸が激しく降り注いでいる。艦が宇宙を赴く時代に、雨に左右されると言うのもおかしな話だが、でも所詮人間には自然をも制覇することは適わないという戒めのようなものだろう。
　雨足は激しさを増し、それに付随してハイウェイは俄に渋滞し始めていた。が、増え続ける車とは反比例するように人並みなぱったりと途絶え、いつもこのくらいの時間には独特の喧噪に包まれるフェザーンの市街も、今日ばかりは雨が地面を打ち付ける音がヤケに耳につく静かな街へと変貌を遂げている。
　と、ある洒落たカフェの入り口近くで俄に大きな声が響き渡った。
「まったく、なんだってこんなに急に！！」
　本人にしてみれば大声だという意識はまったくないのだろうが、遭遇した人間にしてみればそれは十分大声と呼べる代物だろう。
　街は静けさに包まれていたが、それは誰もが内に閉じこもっているというだけのことで、旧帝国首都星オーディンならいざしらず、ここフェザーンではそれが「自宅」でなければならない法などある筈もなく、大声の主は結局カフェの中で雨宿りしていた人間のほぼ全員から注目を浴びる羽目に陥った。もっとも、本人は注目を浴びているとは欠片ほども思っていなかったのだろうが……
　大声の主（もう説明するまでもないと思うが）であるオレンジ色の髪の猛将ビッテンフェルトは、どうやら仕事帰りらしく仰々しいのに華麗な軍服姿だった。それも注目を浴びる要因になっていたようである。
　常識的に考えても、銀河帝国軍の元帥閣下がひとりで街のカフェに現れるなど、そりゃとりたてて珍事というわけでもないが、でも普通はあり得ない。そういう場合は目立たぬように私服で現れるのが常だし無論その場合はプライベートだ。
　また勤務日なら、そもそも軍上層部は送り迎えに車が差し向けられることになっているのだから、わざわざ雨宿りする必要もないのである。
　カフェの中の人間は、一見今の大声のことなど忘れたかのようにそれぞれの世界に浸っているが、それでもやはり好奇心旺盛な商人の国だけのことはあるらしい。チラリチラリと、ビッテンフェルトに気付かれぬように彼に視線を送る者多数……
　これがロイエンタールあたりだと、冷ややか〜〜〜な視線をお見舞いして相手をノックアウトするところなのだが、生憎ビッテンフェルトは相手にそういった視線を向ける以前に自分が注目を浴びているという自覚がないので、結局観察者は好き放題に観察できるという状況である。
　外野の行動はこの際置おいといてと……　どういうわけだかひとりで雨宿りすることになったビッテンフェルトは（←なんでこうなったか、作者にも明確な所はわかりません＝爆）ひとまずカフェの中に空いた席はないものかと、それほど広くない店内をぐるりと見回した。と、彼の視線がある一点で止まる。
「リーゼロッテ！？　リーゼロッテじゃないかっ！！」
　再び響き渡る大声は、店の奥の席で静かに読書に耽る銀髪の女性に向かって発せられていた。周り中がギョッとしたように再び大声の主に注目する中、当のビッテンフェルトはズカズカと大股で店の奥、静かに読書に耽る銀髪の女性の元へと向かう。
「リーゼロッテ」
　呼び掛けに、だがその女性は顔をあげる気配もない。いつもならそれでも頓着なく、相手が聞こえていないものとばかりに更に大声で呼び掛けるビッテンフェルトも、さすがに訝しげな表情を見せ始めた。
「リーゼロッテだよなぁ……？」
　と、実に彼らしくない弱気な口調で、でも相手が間違っているとは微塵も思っていないような言葉を相手に向けて放つ。そこで、ようやく件の女性が顔をあげた。
　よく見知った顔が確かにそこにあることで、やはり勘違いでも見間違いでもないとビッテンフェルトは周囲にも聞こえるほど大きな安堵の溜息をついた。
　長く垂らした銀糸のようなプラチナブロンドは繊細な輝きを放ち、せっかくの読書タイムの中断を余儀なくした闖入者であるビッテンフェルトを軽く睨み付けている眼差しの奥の瞳の色はサファイア。それが、間接照明のみのセピア色に染まる店内だからこそのものだということに、だがビッテンフェルトは気付けなかった。恐らく、自然光の下で見れば違う色であるということに……
「失礼ですが、私は貴方の言うリーゼロッテというフロイラインではありませんわ」
　数瞬後、可憐な口元から放たれた言葉とその口調は、外見に似つかわしくない冷淡で端的なものであった。ただ、声は鈴の音のように澄んだソプラノで、それはやはり歌姫リーゼロッテのものと非常によく似通っている。いや、彼女そのものにも聞こえるのだが……
「しかし……」
　どう見ても目の前にいるのは、あのリーゼロッテ……　エリザベート・シャルロッテ・フォン＝ファーレンハイトその人にしか見えない。ビッテンフェルトの頭の中が俄に混乱を帯び始めた。
「どうやら私はお知り合いによく似ているようですね。でも、先程から申し上げているように、残念ながら私は別人なのですよ」
　見かけはリーゼロッテな女性は、だがニコリともせずに淡々と言葉を紡ぐ。さすがのビッテンフェルトもことここに至っては、彼女は自分が求めている女とは別人であると認めざるを得なかった。彼の知るリーゼロッテという女性は、例え人違いであったとしてもこれほど冷淡な対応をするような女性ではなかったから。
　いや、彼女とは実は知り合って間もないので、大まかな人格はともかくとして内面はそれほど詳しく知るわけではない。だが、少なくともこれだけは確信できた。彼女は見知らぬ人間に対しても、おそらく慕わしげに接してくれる筈だと。
「申し訳なかった。てっきり私の知り合いだとばかり……」
　殊勝に詫びを入れようとするビッテンフェルトの言葉は、だがリーゼロッテそっくりさんが音もなく立ち上がったその行動に封じられることになる。
「失礼しますわ」
　ビッテンフェルトの言葉など聞く耳持たぬという風情で素っ気なくそれだけ言い残すと、彼女はいつのまにか雨があがり茜色に染まる夕暮れの街の雑踏へと早足に消えていく。
「どうなっているんだ？」
　残されたビッテンフェルトとしては、人違いだと認識はしたものの、だがまるで狐につままれたような気分であった。なにせ、本当にリーゼロッテそっくりなのだ。顔も髪も瞳も（これは実際は違うのだが）そして声も、なにもかもが彼の人そのものなのである。
　ビッテンフェルトは難しい顔で今し方まであの女性が座っていた席にドカリと座り込む。一体どういうことなのだろうか？　やはりあれはリーゼロッテではなく、自分の勘違いなのだろうか？　だがあんなによく似ているのにあかの他人と言えるのだろうか……　
（そう言えば、あの兄妹は質の悪い冗談が好きだったな）
　最初の出逢いの光景が脳裏に甦る。あの兄妹は兄妹とは思えないほどのイチャイチャぶりを、わざわざ人前で見せつけるような質の悪い人間なのである。つまり、今の騒動もあの二人に担がれているという可能性が出てくる。馬鹿馬鹿しい想像だとは思うが、だが、まったくないとも言い切れない。
　それはあまりに穿ちすぎというものだし、突拍子もない発想だとも思うが、事が事なだけにその疑惑を払拭もできないのだ。
「ったく、どういうことなんだぁ〜〜〜！！　ファーレンハイトの奴〜〜」
　ビッテンフェルトの中では、急速にファーレンハイトが容疑者になりつつあった。この分ではこの後それほど時間がたたないうちに、彼が黒幕或いは主犯にされること間違いなしである。ご愁傷様……
「あの〜〜」
　思わず大きな独り言を呟くというより叫んだビッテンフェルトに怖ず怖ずと声が掛けられた。自分が大声を出しているとは努々考えてもいないし、ほとんど無意識で言葉を紡いでいたビッテンフェルトは、考え事をしているんだから邪魔するなとでも言いたげに不機嫌な表情でジロリと横目で見やる。と、カフェのウェイターらしき若い男が水の入ったグラスが置かれたトレー片手にビクビクしながら立ちつくしていた。
「ご、ご注文は……」
「コーヒーだっ！！」
　テーブルを拳骨で割りそうな勢いでドンッと殴りながらそう捲したてた。ウェイターは飛び上がるようにして驚いたあと、一目散に駆け去る。哀れウェイター君……猪さんの悋気を思いっきりぶつけられたようである。ハッキリ言って八つ当たりなのだが、まあ今回はビッテンフェルトにも同情すべき点はあるということで、大目にみてやりましょう。

「ったく、ファーレンハイトの奴、よくも俺を担いでくれたな〜〜〜」
　予想通り、それから数刻後ビッテンフェルトの中ではファーレンハイトは夕刻の騒動の立て役者というか、質の悪い冗談でビッテンフェルトを引っかけた張本人に仕立て上げられていた。濡れ衣もいいところであるが、正論は今のビッテンフェルトには通用しないだろう。なぜなら……
「おらおら、酒がないぞ〜〜　お銚子いっぽん〜〜〜（←？）」
　すっかりできあがってクダを巻いているビッテンフェルトの姿が、なんと高級士官クラブの中にあったのだ。酒瓶を高く掲げて振ることで、つまり追加の意思を主張しながらも、だが既に酒量はかなりの量にのぼっていたらしく彼はあえなく机の上にバッタリと沈没した。
　その状態のビッテンフェルトに近付こうとする命知らずはこの帝国には存在しないとばかり皆遠巻きに、だが極めて好奇心旺盛な眼差しで見物している。
「お、いたいた。ビッテンフェルト！！」
　と、そこに、多分今最も現れない方が無難な人物、言わずと知れたファーレンハイトが姿を見せた。
　好奇心の固まりと化しているギャラリーは、それこそ新たな展開が起こってくれるものとばかりに、満面喜色を浮かべながら身を乗り出すようにしてこれから起こるかもしれない騒動（多分）の見物を始めようとする。
　が、ビッテンフェルトとファーレンハイトに向けられた筈の彼等の視線は、その後どういうわけか男二人の頭上を通り越してファーレンハイトの背後に寄り添う二つの影に釘つけになっていた。
「おい、あれ……」
「うわ、そっくり」
「美人〜〜」
「似てるな」
「どっちがどっちなんだ？」
「俺に聞くな」
「瞳の色」（←こんなことに気付くのはあの男しかいないだろう＝爆）
　士官クラブ内に、さざ波のような囁きが広がっていく。
　その異様な雰囲気に、酔っぱらってクダを巻いている筈のビッテンフェルトも気付いたとみえ、彼は突っ伏していた机からノロノロと顔を上げた。と、ぼやける視界の向こうに水色の双眸にプラチナの髪の美丈夫の姿……
　もはや条件反射。顔を見たら絶対に殴ってやるんだ〜〜と、心に強く誓っていたらしいビッテンフェルトは、ファーレンハイトの顔をみた途端怒りがムラムラと込み上げたのか、いきなり彼の襟首をもの凄い力で掴んで勢いよく引き寄せた。
「お、おい！？」
　わけがわからないのはファーレンハイトの方である。突然襟首を掴まれて、戦闘中でも冷静さと豪胆さと、そして丁寧すぎる言葉使いを崩したことのない男が、さすがに狼狽えた声を上げた。
「ファーレンハイト〜〜〜　き〜さ〜ま〜、よくも俺をからかってくれたなぁ〜〜」
　ドスの利いたダミ声でそう凄まれても、ファーレンハイトにしてみればビッテンフェルトが何に対して機嫌を損ねているのか、まるでチンプンカンプン状態だ。
「？？？」
「しらばっくれるな〜〜　お前達兄妹の質の悪さは最初に会った時に嫌と言うほど痛感してたがな、とにかく今日ほど頭に来たことはないぞ！！」
　台詞として書くと迫力があるように見えるが、映像に起こすとヘロヘロになった酔っぱらいがただ絡んでいるようにしか見えなくて、ビジュアル的にはかなり迫力を欠くということをここで付け足しておこう（爆）
　それはともかくとして、尚も言い募るビッテンフェルトと、更に状況がワケワカランチンのファーレンハイトの戦況は、まさに膠着状態と化そうとしていた。と、その時……
「フリッツ」
　鈴の音のような涼やかな声が、これまたギャラリーには思いもよらなかった人物の名を呼んだ。だが、その一言の効果は絶大で、殆ど猪突そのものと化していたビッテンフェルトの酔いと熱は、そこで一気に引いた。
「……リーゼロッテ……？　って、なんでリーゼロッテが二人いるんだ？」
　ギャラリーと解放されたファーレンハイトは、一瞬ガックリと肩を落とした。
（なんでそういう発想になるんだ……？）
　ビッテンフェルトの眼前には、リーゼロッテが二人……　いや、よく見れば二人は顔の造作こそソックリ同じだが、瞳の色が違うことに気付く筈である。
「同じ人間が二人いるわけないでしょ？　ドッペルゲンガーじゃあるまいし」
　サファイアの瞳の女性の方が深々と溜息をつきながら、呆然と固まるビッテンフェルトの頬を両手で軽くパチンと叩いた。
「まったく、よく見れば別人だとわかる筈なのに……」
　正真正銘本物のリーゼロッテが、呟くように言いながら更に溜息をつく。
「ビッテンフェルトらしいと言えばらしいがな」
　横からファーレンハイトが口元に幾分皮肉っぽい笑みを浮かべながら応じる。
「おい、お前達！！　二人で納得してないで、わかるように説明しろ〜〜〜！！」
　ビッテンフェルトの怒声が、テーブルの上のグラスを震わせた。

「改めて紹介するわね。彼女はリーディア……　マルガレーテ・ドゥルネシア・フォン＝ファーレンハイト。私の双子の姉です」
「ふ、双子ぉぉぉぉぉぉぉ？？？」
　ビッテンフェルトを襲った衝撃は、ハッキリ言って前回イチャツク兄妹を目撃してしまった時の比ではなかっただろう。
　またよりにもよって双子だったとは……おまけに、リーゼロッテの双子の姉ということは、つまり彼女もファーレンハイトの妹ということで。一体何人兄妹なんだ？ファーレンハイト家は……　ビッテンフェルトはいろんな意味で頭を抱えた。
「じゃ、俺を担いだわけでは……」
「そんなことするわけないでしょ。私だってビックリしているんだから」
　というのも、リーゼロッテの姉リーディアはずっとフェザーンを離れていたのである。それがいきなり戻ってきた。しかもリーゼロッテは勿論のこと一家の大黒柱である長兄ファーレンハイトでさえも、それを知ったのは夕刻街のカフェでビッテンフェルトとリーディアが鉢合わせた後だと言うのだから、リーディアという女性、誠に人騒がせ以外の何者でもない。
「いきなり帰ってきて、変な男に声かけられて困ったって言うのよ。で、詳しく聞いているうちにね」
　どうやら私とうりふたつの人間がいるらしく、どうやらその人と間違えていたらしいと、まるで他人事のように宣ったというのである。しかし、自分と同じ顔といったら、このこの世にはあとひとつしかない。しかも名前は……
　ひょっとして全然気付いていなかったのだろうか？　双子の姉妹であることがあまりに当たり前のことすぎて、敢えて意識したりはしないものなのかもしれない。が、それにしても人が悪いというものである。
「ごめんなさいね。姉はちょっと感覚が他人とズレてるのよ。で、とにかく姉の話を聞いているうちにそれが貴方のことだとわかって。それで兄に頼んで貴方のいそうな所に連れてきてもらったの」
　きっと混乱して困惑しているだろうなと心配して、慌てて飛び出してきたという。他の人間ならともかく、なにせ相手はビッテンフェルトなわけで……　早合点がどんどん誤解を生んで取り返しのつかないことにもなりかねないと、本気で危惧したのだ。
　で、見つけたビッテンフェルトは案の定、酒に逃げて溺れてクダを巻いて、挙げ句の果てにファーレンハイトが悪戯をしかけたと思いこんで絡んできたわけである。
「あのね、よく見て欲しいのよ。確かに顔はうりふたつだけど、でもね違う所があるの。貴方にちゃんと見極めてほしい。でないと、またこんな騒動が起きちゃうわ」
　リーゼロッテが、真摯な色の眼差しでビッテンフェルトを真正面から見つめてきた。彼の胸が一瞬ドキリと高鳴る。サファイアの深い深い蒼に、吸い込まれそうな感覚を覚えたのだ。
　が、すぐに意識を現実へと引き戻すと、いたって真面目な表情でリーゼロッテとリーディアの顔を見比べはじめた。顔の造作も髪の色もすべて同じ。まさに神の作った完全なる一対。だが……
「ああ、瞳の色が違う」
　冷静になって見れば、こんなに簡単にわかる二人の違い。リーディアの瞳は、深いエメラルドグリーンだった。
「でもあの店では……」
　確かに深い蒼だった。
「あのカフェは間接照明で中が少し薄暗くなっているから、わかりにくいの。自然光の下なら一発だったと思うわ」
　リーディアが、やはりあの時と同じような冷淡な口調で端的に告げた。一見可愛い気のない女に見えるが、でもリーゼロッテの姉とわかっただけでどうも見方を変えてしまう自分の単純さに、思わずビッテンフェルトは内心で苦笑した。
（もう少し、この早トチリをなんとかしないと、ホントにいつかリーゼロッテに呆れられるかもしれんな……）
　なんとなく、そんならしくないことまで考えてしまう。どうやら、今回の騒動はビッテンフェルトにそれなりにショックをもたらしたらしい。
　ま、何はともあれ一件落着。結局リーディアは騒がしいのは嫌いだからと、車を拾って自宅に帰り、ファーレンハイトはそのまま士官クラブに居座ることに決め（と言うより、すっかり蚊帳の外のギャラリーに事の次第の説明を激しく求められたらしい）そして、ビッテンフェルトとリーゼロッテは……
「呑み直したい気分なんだが、付き合ってもらえるか？」
「お騒がせしたおわびに、トコトン付き合うわ」
　と、夜の街へと仲良く消えて行ったのだった。と言っても、きっと色気のある展開にはほど遠いシチュエーションのまま朝を迎えることは間違いないのだろうが……