Scarlet Confession
Scarlet Confession
燃えるような夕日が水平線の彼方に消えていこうとしている。急速に闇が忍び寄る。それでも海から吹き付ける風はまだ熱を孕んでいた。
光と影が同居するこの街で、私達は何がしたいのだろうか。何を求めているのだろうか。
◇◇◇◇◇
うだるような暑さの所為で、街は陽炎のように揺らめく。一年を通して温暖な街……蒼い海と空、白壁の家々、埃っぽい道、雑然とした街並み、細い路地、日向と日影の鮮やかなコントラスト、そして赤茶けた大地。
甲高い車のクラクションと喧噪に包まれた街は退廃的なのにどこかエネルギッシュで、行き先のない旅人達を魅了して止まない。
宇宙歴七九六年一一月、アムリッツァ星域会戦から既に一月がたとうとしていた。ハイネセンポリスではすでに晩秋の気配が色濃くなっている頃だろう。
だがダスティー＝アッテンボローは、ひとりこのエキゾチックで気怠い街で刻を浪費していた。
不意に手にした束の間の自由な時間、目的も何もない。広くもない街をあてもなく彷徨い、薔薇色に染まる夕暮れの海を眺め、酒を友とする。そんな自堕落で非生産的な日々の中で、いつしか自分が何者であるのかさえわからなくなりそうだった。戦場にいる方が己を保てるとは皮肉な性だ。
駄目だ……このままでは俺は動けなくなる。朝目覚める度に、今日こそはこの街から出ていこうと決意し、バスターミナルに空港行きバスの出発時刻を確かめに行く。
荷物を纏め、バスに乗るまでの時間を潰すだけのつもりで街をブラつく。だが、翌朝にはまた同じ宿屋の同じベッドの上で同じ朝を迎えているのだ。
自分を知る者がだれひとりとしていないこの街のゆうるりとした甘美で心地よい時の流れに、アッテンボローは既に抗えなくなっていたのかもしれない。
◇◇◇◇◇
バザールは人の波と喧噪の中にあった。その中でねっとりと絡みつくような視線を背後から感じ、アッテンボローは足をふと止める。軍人としての自分の持つ鋭敏な感覚はまだかろうじ残っていたようだ。彼は背後を振り返った。
「！？」
目の端に鮮やかで毒々しい深紅が映る。それが何であるのかを確かめる前に、彼の視界は陽光に遮られた。眩しさに咄嗟に目を閉じる。数瞬後、開いた目の前には誰もいなかった。
次の日も、その次の日も、アッテンボローはまるで何かを求めるかのようにあのバザールに足を向けた。何を求め、何を探しているのか、自分でもわからぬままに……
セピア色の世界で、そこだけ鮮やかに色付く深紅のあれはいったい何だったのだろう？ いや、もしかしたら眩しい陽光が見せた幻だったのかもしれない。それでも、彼は「それ」を探すことをやめようとはしなかった。だがそれは、そうすることでしか見失いかけている自分を保てそうになかったからかもしれない。
幾日費やしているのか……当の昔に時間の感覚など失ったアッテンボローは、自分がいったいどれだけの日数をそうしているのかさえもわからぬまま、それでも尚「それ」を探し続けていた。
そして……またあの視線を感じた。
「どこだ、どこにいる？」
広い広場の真ん中で、アッテンボローは視線を三六〇度巡らす。視界の端で深紅が翻り、彼は咄嗟に振り返った。
「！？」
行き交う人波の中で、その空間だけがまるで切り取られたかのように静寂に包み込まれた。陽光の下、赤い、まるで血のように赤いドレスの女が、アッテンボローを見ている。
ストロベリーブロンドの髪、紅玉の瞳、最高級の白磁のような肌、そしてドレスと同じ深紅の唇。なにもかもが艶めかしい不可思議な美貌。一目で惹かれた。
アッテンボローの身体にまとわりつく、妖しい輝きを宿す紅玉色の視線と、香と香辛料のキツイ香りが脳を痺れさせる。
目眩がする……アッテンボローの上体がグラリと揺れた。倒れずに済んだのは、彼の中にかろうじて残る軍人としての鋭敏な感覚故にだろう。
彼女の口元に艶麗な微笑が浮かべながら躰の向きを変え、深紅の裾を舞い踊らせながら走り出そうとした。
「待て！」
その声に彼女が一瞬足を止め、ゆっくりと振り返った。紅玉の目が挑発的な色を讃えて揺れている。クスリと忍び笑いを洩らすと、次の瞬間彼女は身を翻した。
迷うことなく走り出したアッテンボローの行く手を人混みが阻む。一見、華奢で頼りなげなのに、彼女は驚くほど俊敏な動作で人混みを抜けていく。
見失わないように……ただそうするだけが精一杯ながらも、アッテンボローは必死で走り続けた。
辺りが茜色に染まり、そしてやがて薄闇が迫る。街灯に灯が灯り始めると、人波は更に数を増し始めた。
「くそぅ」
このままでは見失ってしまう……アッテンボローに焦燥感が襲いかかる。と、その時女が足を止めてこちらを振り返っているのが見えた。何度か見失いかけ足取りが重くなる。と、その都度女が立ち止まりこちらを振り返る。まるで待っている、いや、誘っているようだ。
（俺は何故追いかけているんだ）
自分の行動の意味さえ理解できぬまま、彼は彼女に引きづられているかのように追い続けるうち、いつしかバザールまで来ていた。再び視界の端で深紅が翻る。咄嗟に腕を伸ばした。
「あっ」
鈴の音のような小さな叫びと共に、彼女の細い腕はアッテンボローの力強い腕に捕らわれた。
「ゲームオーバーだ」
言いながら掴んだ手首を強く引いた。抗うことなく倒れ込んでくる華奢な肢体を腕の中に受け止めると甘やかな香りが鼻孔を擽る。二人の視線が絡まり合った。
「なぜ俺に付きまとう？」
「同じ匂いがしたから……」
観念したのか、女はアッテンボローの腕に大人しく捕らわれたまま答えた。
「同じ匂い？」
女が顔を上げる。口元に意味ありげな笑みが浮かんだ。
「周りを見て……ここは、ここの人たちは誰ひとり私達を見ていない」
バザールの人混みの中、抱き合う二人には誰ひとり目もくれていかない。まるで、二人の存在自体見えぬかのように通り過ぎていく。
「ここは誰も拒まない、でも、誰も受け入れない。そういう街なのよ」
街に馴染んでいるように見えても、でも所詮異邦人。だから、女はアッテンボローに目をとめ、そしてアッテンボローもまた女に気付いた。
「あなたと私は同じ」
何をしたいのか、何を求めているのか、わからないまま彷徨う旅人なのだ。だから出逢い惹かれた。魂が互いを引き寄せたのだ。
アッテンボローが女の顎に指をかけ上向かせる。
どうして出逢ったのかなどどうでもいい。互いにそれが誰なのかも知らないまま、だが二人は確かに惹かれ合っているのだから。
アッテンボローの口唇が、彼女の可憐なそれに吸い寄せられるように重ねられた。彼女の僅かに明けられた口唇の隙間から舌をそっと差し入れる。冷ややかな彼女の舌を自らのそれで絡め取り、強く吸う。応えるように彼女もまた彼の舌を強く吸った。
激情に身を任せるがごとく、二人は互いの口唇を激しく貪り合う。それから後は、まるで熱に浮かされたような時間だけがゆっくりと流れていった。
彼女が身を起こす気配で、アッテンボローは目覚めた。
「帰るのか？」
問いかけに彼女は答えなかった。それが答えである。
「離したくない。ずっと一緒にいたい」
たった一晩の行きずりの情事の相手。それなのに、惹かれゆく心を止める術をアッテンボローは既に見失っていた。
「この街だからいいのよ。現実に戻ったら、たちまち色褪せる」
一夜限り恋人……すべては夢の中の出来事。
最後にアッテンボローの口唇にそっと口付けて、彼女は部屋を出ていった。後に残ったのは、甘い残り香と彼女の温もりだけ。名前も聞けなかった。
「Hasta la vista（また、会いましょう）」
だが、最後に残した言葉は二度と逢えない筈の別れには相応しくないものだった。
長期休暇中のアッテンボローの元に、第十三艦隊への移動の辞令と共に、ハイネセンポリスへの帰還命令が下ったのはそれから数時間後だった。
◇◇◇◇◇
「ただいま、兄さん」
「おかえり、楽しかったか？」
ウランフは空港のゲートから出てきた彼女を笑顔で出迎えた。少し雰囲気が変わったような気がするが、暫く会わなかったことによる気の所為なのだろうか。
「何かあったか？」
ウランフはなんとなく聞いてみた。何がどう変わったのか、明確には説明できない。だが、半分しか血が繋がらない兄妹とは言っても、自分は彼女の変化を見破られないような薄っぺらな存在ではないと彼は自負していた。
「何故？」
ウランフの問いに彼女は小首を傾げるようにしながら彼を見上げた。すくい上げるような目つきに思わずドキリとする。
「いや、綺麗になったと思ってな」
綺麗になった。いや、元々謎めいた美貌の持ち主ではある。だが、どこか艶めいた妖しさが加わったように見える。
そんなウランフを見て、彼女がクスリと笑った。その笑みさえも扇情的で……
「恋をしたのよ……」
そう、恋……陽炎のように揺らめくあの街で、激しい恋に身を焦がした。強く照りつける陽光の下で、熱にうかされたような刻に身を浸したのだ。
「おい……？」
彼女の意味ありげな言葉に少し声を荒げたウランフに向き直ると、彼女はまるで悪戯が見つかった子供のようにペロリと舌を出し、笑いながら言った。
「夢の中でね……」
◇◇◇◇◇
「アッテンボロー、丁度いい所で会った」
ウランフに呼び止められ振り向いたアッテンボローは、その瞬間凍り付いたように立ちつくした。
「俺の義妹のマルベーリャだ」
ファミリーネームが違うのは、彼女はウランフの実母と再婚相手との間に産まれた子供だからである。が、彼女の両親も彼女が一五歳の時に鬼籍に入り、天涯孤独になった義妹をウランフが引き取ったのである。
だが、そんなウランフの言葉も、アッテンボローの耳にはまったく入っていなかった。ベールがかかったかのように意識と思考に霞がかかる。驚愕の為、声すらも出すことができなかった。
二度と逢えるはずのない行きずりの恋……陽光の下での夢でしかなかった「それ」が、今現実に彼の目の前にあったのだ。
「マルベーリャ＝アスール大尉です。この度アッテンボロー少将の副官を拝命しました」
急に意識がはっきりした。彼女の声がアッテンボローの鼓膜を揺さぶる。今、なんと言った……副官だと？ 頭の中で思考が洪水のように渦巻く。
その時、マルベーリャがアッテンボローにだけ聞こえる声で囁いた。
「どう、職場で会うと色褪せるでしょ？」
下からすくい上げるような紅玉の眼差しが悪戯っぽい光を湛えて揺れている。確かに、あの光と影が作り出す不思議な街で見た彼女とは違う。あの妖しさと艶めかしさは消え失せ、だが、かわりに清冽な優麗さを伴って彼女はアッテンボローの眼前にあった。何よりもストロベリーブロンドの髪と紅玉の瞳の鮮やかさは変わらない。
アッテンボローは口元に苦笑を浮かべながら、一言言い放った。
「No」
Fin
＊かいせつ＊
ある秋の日、東京で開かれた友人の披露宴の帰り、出席出来なかった私への披露宴の様子の報告も兼ねて、緑崎さんが名古屋にお立ち寄りになりました。
たった数時間の滞在時間……でも中身がえらく濃い！！ 同人稼業の女２人が顔を合わせれば、そうなるのも無理はないと言ってしまえばそれまでですが……（爆）
ってことで、空港行きのバスの中で唐突に緑崎さんが言い出しました。
「アッテンのハッピーエンドストーリーよろしく。あ、相手はウランフの妹って設定で」（爆） その言葉のあまりの迫力に思わず頷いてしまった私……（^^;;）
そして出来上がったのが「↑これ」です（笑）
見事に「アッテン」と「ウランフの妹」という要素「しか」入っていない究極の一品！ いかがだったでしょうか？
「これ、続くんですよね？」という、有り難くて涙の出る「鬼」のよう な言葉を後日、若菜さんからいただきました（爆）
スパニッシュな雰囲気になったのは、たまたま聞いて填ったバイオリニスト/川井郁子さんのアルバム「The Red Violin」をＢＧＭにした所為。
作成年月2000/12 蒼乃拝