ある日の朝、出府したロイエンタールが未決済の書類を整理している時、その中にファーレンハイトの書類が紛れ込んでいることに気付いた。
普段なら副官なりに届けさせるところだが、どういう風の吹き回しか、ロイエンタールは自身でファーレンハイトの執務室に向かった。
副官達のいる前室を通り、ノックの返事も待たずにファーレンハイトの執務室に入り込んだロイエンタールは、彼の机の上にガラスの一輪差しと、それに生けられた一本のユリの花が置かれていることに気付き、少々不思議な気分を味わう。
ロイエンタールに負けず劣らずの容姿端麗のファーレンハイトという男は、だが執務室に花を飾ることなどこれまでに一度も見たことのない男であった。
ロイエンタールは、ひとまず書類を渡すと、他人のことには興味のない彼には珍しく、花の事を話題に出した。
「珍しいな、卿がデスクに花を飾るとは」
ファーレンハイトは書類を受け取ると、ロイエンタールの言葉に少し水色の瞳を少し伏せ。だが意を決したように。まずロイエンタールをデスク前のソファに誘い、自らの手でコーヒーを入れロイエンタールに渡すと、自分もカップを持ってソファに座った。
ファーレンハイトは、通り日の想い出を思い出すような深い双眸でぼんやりと花瓶のユリを見ていたが、やがてロイエンタールの方に顔を向けポツリポツリと話し出した。
「今日は、死んだ恋人の命日なのですよ」
ロイエンタールは部屋の温度が少し下がったような感触を感じた。だが、女性蔑視の多い彼もさすがに目の前のファーレンハイトを非難する気にはならず、黙ってコーヒーカップを傾けている。
「これから私がお話することは、ただの独り言ですから」
嫌なら聞く必要もないし、右から左へ受け流してくれても構わないと前置きをして、ファーレンハイトは話し始めた。
貴族とは名ばかりの貧しい家に生まれたファーレンハイトの屋敷は、それだけは威容を誇る豪奢な建物であったが、蓋をあけてみれば、家具も衣服も必要最低限しかなく、屋敷も所々が痛み、更に塀は方々崩れ落ちたりしていて、みじめなものだった。
そんな時だった。彼女に出逢ったのは……
彼女は、屋敷の崩れた塀から庭に入ったらしく、そんな彼女とファーレンハイトは、貴族と平民という身分差など関係なく、ごく普通に仲良くなっていった。
そして、年頃になって、当然の如く恋に落ちた。
彼女の実家はブティックで、もしかしなくてもファーレンハイトよりは金持ちのようで、だが人間味のある彼女の両親は、快く二人の婚礼を笑顔で認めた。
ファーレンハイト家の方も同じで、今更身分がどうこうと言う気などなく、二人の結婚を快諾した。なのに……
「私の出撃が近付いたので、婚儀は帰還後に行うことになっていました。
だが……
「戻ってきた時、彼女はもうこの世にいなかったんです」
事故だったという。
ファーレンハイトの名を何度も何度も呟きながら逝ったと彼女の両親に聞かされた時、ファーレンハイトは誓った。二度と本気の恋はしないと……
「そういう割には、マダムキラーで通っているのではないか」
苦笑混じりにロイエンタールが言うと、ファーレンハイトも苦笑して、こう言った。
「それは恋ではあっても、愛ではないですから」
絶頂で摘み取られた恋の焔は、未だファーレンハイトの胸の中でくすぶっているのだ。
（彼女以外に愛する人はいない。今も、そしてこれからも）
「その亡くなった女性の名はなんというのだ？」
「リーリエと言います」
ユリの花のことだ。
「今日が命日か？」
「ご推察通りですよ。さすがですね」
「それくらい、鈍いビッテンフェルトにでもわかるだろう」
クククと、二人でひとしきり笑い会った後、ファーレンハイトが照れくさそうに言った。
「昔話を聞いて下さってありがとうございます」
「これくらいの付き合いはしてやる、いつでも待っている」
ロイエンタールらしからぬ言葉を残して、彼はファーレンハイトの執務室から出て行ったのであった。
サリーさんのリクエストで「ロイとファーが絡んだ恋のお話」でございます。
恋ってより。昔語りになってしまいましたが・・・（^^::
気に入って下されば幸いでございます〜〜
ちなみに、作中の生年月日は全て不明です（爆）
そうそう、それから「リーリエ」はユリのドイツ語です。
|
