宇宙歴７９６年１０月、少将に昇進したヘネラリーフェは、第１３艦隊分艦隊指令官として、旗艦ニュクスと共にイゼルローン要塞に着任した。
　そして、ヘネラリーフェの着任から暫くして、
「先輩、久しぶり〜〜」
「おお！！　お前も元気そうだな」
　先輩・後輩の微笑ましい再会が要塞内部で繰り広げられていた。が……
（なんだ？　このネットリとした視線は？）
　アッテンボローの鋭敏な感覚が、ヘネラリーフェの周囲を取り巻く異様な気配を感じ取った。
「お前、何かしたのか？」
「は？」
　予想に反して、ヘネラリーフェの反応は意外だと言わんばかりのもので、アッテンボローの方が呆気に取られた程である。
「いや、心当たりがないなら良いが……」
　だが、アッテンボローの不安は治まらなかった。
　ただ、その件についてはそれ以上追従することは出来なかった。なぜなら、アッテンボローの新しい副官がウランフの妹で、更にアッテンボローが休暇中にただならぬ関係になっていた人物であったというオマケまでついていたため、一部将兵がアッテンボローを包囲して事情説明を強要し始めたからである。
　ヘネラリーフェは、包囲されるアッテンボローを横目に、その場をそっと離れた。
　彼女はハイネセンで彼から愛の告白を受けている。その時、ヘネラリーフェはアッテンボローの気持ちを受け入れられないと断り、それが彼を傷付けてしまったであろうことを気にしていた。
　だが、その彼に新しい恋人が出来たとあれば、こんな喜ばしいことはない。
　ただ、なんとなく寂しく思えるのは何故だろう……
　相反する想いを抱きながらのイゼルローンでの生活は始まった。

「お前、目を付けられているぞ」
　そう言われたのは、要塞内の士官バーでアッテンボローと飲んでいる最中であった。
　カウンターのアッテンボローとは逆の椅子にさりげなく座ったのは、シェーンコップである。
「はぁ？」
　ヘネラリーフェは些か酔っているのか、間の抜けた返事を返した。
「だから、ＳＰに目を付けられているって言っているんだ」
「ＳＰ！？」
　と、声を荒げたのはアッテンボローである。
「何で私がＳＰに目を付けられなくちゃなんないのよ」
　目を付けられている本人は、的はずれながらも幾分おかんむりだ。
「ＳＰと言うより、あれはトリューニヒト派の兵士だな」
　覚えがあるだろう？　と、シェーンコップの目がヘネラリーフェの青緑色の瞳を射抜く。
「尚更わかんないわ。私は、水をぶっかけただけよ」
　だが、あの時はシェーンコップは、その場に居合わせただけに留まらず、相手を殴っている。
「お前、そんなことしたのか？」
　アッテンボローが唖然と言った。
　そりゃあ、目を付けられて当然だとでも言いたげである。
「なんで私だけが目を付けられるのよ」
　そういう問題か？＜以下アッテンボローの心の声
「そりゃあ、お前が女だからさ」
　からかうような声音で言うシェーンコップの言葉にヘネラリーフェの目が吊り上がった。余談だがシェーンコップとアッテンボローが、美人が怒ると迫力があると思ったのは言うまでもない。
「何よ、最前線の要塞にいるってのに、こんな場所でも女だからってだけで目を付けられるわけ？」
「まあまあ、落ち着けよ」
　アッテンボローが宥めにかかる。
「しょうがないだろう」
　古来から、女は男より力が弱い故に、悲劇の憂き目をみてきているのも事実なのだ。
「まったく、理不尽な話だわ」
　ブツブツ言うヘネラリーフェを宥めながら、アッテンボローはイゼルローンに着任した際に彼女の周囲から感じたネットリとした気配の意味を漸く理解できたと思った。
（まあ、こいつのことだから、心配はいらないと思うが）
　自分も傍にいるし、何よりも頼もしいシェーンコップ以下Ｒ・Ｒの面々がいる。
　この時アッテンボローは、事をあまり重大には考えていなかった。

"ハアハア"
　要塞内の無人のフロアを、ヘネラリーフェは走っていた。
　だが、普段の彼女の機敏さからすれば、その足取りはかなり乱れている。
　絶えず後ろを振り返るのは、誰かに追われているからだろう。
（とにかく、フラットのあるフロアまで辿り着けばなんとかなる筈だから）
　自らを鼓舞する合間にも、足は縺れ、息も切れ切れだ。
（先輩……シェーンコップ少将……）
　彼女には実にめずらしいことだろう。他人にＳＯＳを求める心境になるとは。だが、事はそれだけ深刻だったのである。
　それでも、ヘネラリーフェは追っ手を振りきり、なんとか高級将校のフラットのあるフロアまで辿り着いた。
　あとの記憶は曖昧だ。
　気付けば、彼女はアッテンボローの腕の中にいた。
「どうした、何があったんだ、リーフェ！？」
「……クスリ……クスリ打たれて……」
　見れば、ヘネラリーフェの着衣がかなり乱れている。
（まさか……）
　最悪の想像がアッテンボローの脳裏を掠めたが、それは杞憂に終わった。
「大丈夫……クスリ打たれただけだから……ただ……」
　そこでヘネラリーフェは仰け反りながら小さく喘いだ。
　聞くまでもなく、彼女の体内に入れられた薬がどういうものなのかがわかる。
「畜生、催淫剤か」
　とにかく、このままにはしておけない。かといって、誰かに相談することもできない。
　アッテンボローはひとまずヘネラリーフェを横抱きに抱くと、寝室のベッドに横たえた。
「リーフェ、薬の名前、わかるか？」
「……確か…ベルフェゴール……」
　なんとまあ、趣味の悪い名前の薬だ……このとき、狼狽えながらもアッテンボローは反面で冷静なことを内心で呟いた。ついでに言えば、彼はヘネラリーフェの言葉を聞いて安堵の溜息を吐く。
　ベルフェゴールとは、悪魔の名前で、愛欲を司る者とされている。
　だが、この薬は催淫性は低く、抜くのは容易い。ただし、抜く方法は、より高い愉悦に身を任せる、つまり男に抱かれなければならないという厄介さも持ち合わせていた。
「いいよ、先輩なら……」
　こんな口では説明できないような感覚に苛まされているくらいなら、信頼するアッテンボローに抱かれた方が良い。
　ただ、その結果再び彼を傷付けることになるかもしれないということが、彼女には気がかりだった。
「リーフェ……」
　アッテンボローは迷った。ヘネラリーフェを愛している。これは彼女に触れられる好機であった。
　邪だと罵られても良い。想いを果たせるなら……
「わかった……」
　アッテンボローは了承の言葉を紡ぐと、ヘネラリーフェの躰にのし掛かったのであった。
　翌日、激しい性行で疲れ果てたヘネラリーフェがアッテンボローのフラットで眠っている間に、件のトリューニヒト派のＳＰ達はシェーンコップ率いるＲ・Ｒ達によって拘束されたらしい。
　が、これはあくまでも秘密裏に処理された為、記録には残らなかった。
　そして、この時からアッテンボローとヘネラリーフェは、ある一つの想いに苦しめられることになるのだった。
　ただ、その想いをお互い双方共に伝えることはなかった。いや、出来なかった。
　それから数ヶ月後、ヘネラリーフェはロイエンタールの捕虜となり、本国ハイネセンでは彼女を戦死と処理し、二階級特進の大将として葬られたからである。

　あれから数年……
「ブラウシュタット中将」
「ん〜〜？」
「閣下はテニスをされないのですか？」
　久々にロイエンタールを伴ってハイネセンに帰還したヘネラリーフェにアッテンボローの副官マルベーリャ＝アスールが声を掛けた。
　ストロベリーブロンドの髪、紅玉の瞳、最高級の白磁のような肌の彼女は、女性の目から見てもかなり艶麗である。
　が、嫌味に見えない所は、人選をしたキャゼルヌの目の確かさと、彼女が人格者ウランフの妹であるからというところか。
「凄い人気ね、相変わらず……」
　ヘネラリーフェはテニスをやるやらないの有無は答えず、眼前に広がる光景を呆然と眺めていた。
　ヘネラリーフェの数メートル眼前には、２０人は下らないだろう女性陣が黄色い声を上げながら、たった一人の男性を包囲していた。
　その中心にいるのは、言うまでもなくアッテンボローだ。
　爽やかな笑顔が眩しい青年提督は、女性兵にかなりもてる。が、悲しいかな、彼の方は、自分がもてているとは全く考えていなかった。
　だがサービス精神の持ち合わせは多大である彼は、黄色い声を上げて「テニスを教えて〜」と詰め寄る女性陣に嫌な顔一つせずに付き合っている。
「貴女は教えてもらわないの？」
　ヘネラリーフェの問い掛けに、マルベーリャはクスリと笑いながら、
「あの中に入って行く勇気はありませんわ」
「あはは、それはそうね」
　二人はすっかり意気投合した様子で笑い合うと、アッテンボローが送ってくる『助けてくれ光線』を含んだ眼差しを無視して女同士の会話に没頭した。
「ね、アスール中佐……」
「はい？」
「あ〜〜　えっとぉ……」
　面と向かうと言いにくい。
「あのね、先輩と貴女がイゼルローンに赴任する前に……」
　言いよどむヘネラリーフェの言葉を遮るようにしてマルベーリャは答えた。
「ああ、確かに関係を持ちはしましたが、異国の風に毒された結果の、言うなれば通りすがりの関係ですから」
　ヘネラリーフェの気持ちを見透かしているのか、彼女は明るく笑いながらそう言いきったが、それが益々ヘネラリーフェの心に影を落とした。
「貴女は、先輩のことを愛しているのではないの？」
「一方通行の恋は辛いだけですわ」
　厳しい……ヘネラリーフェは内心で苦笑した。なぜなら、その一方通行の恋を、ヘネラリーフェはずっとアッテンボローに強いてきたのだから。
　だがこれでハッキリした。マルベーリャはアッテンボローを愛している。
　アッテンボローの気持ちはわからないが、だが憎からず想っていることは確かだろう。
　それは喜ばしいことである筈なのに、ヘネラリーフェの胸をズキンと痛みが貫いた。

「今日、ブラウシュタット中将に、貴方のことを愛しているのではないか？　と、聞かれましたわ」
　ハイネセンのアッテンボローの官舎の居間で、マルベーリャはそう切り出した。
　こうして夜、男の一人暮らしの部屋に独身女性が忍んでいく割に、この二人の関係は、あの異国のキツイ香料の漂う世界から一歩も進展していない。
「それで、君は何と答えたんだい？」
「一方通行の恋は苦しいとお答えしました」
「一方通行か……手厳しいね」
「でも、本当のことでしょう？」
　アッテンボローは、まだヘネラリーフェに未練を残している。それは、言うべき事を言わずして悲劇的な別れ方を戦場でしたからだろうと、マルベーリャは踏んでいる。
　アッテンボローの心は、あの日ヘネラリーフェを突然失ったことで、行き場を無くしてしまったのだ。そんな彼の心の隙間に、チャンスとばかりに忍び込もうとは到底思えなかったマルベーリャである。
「本当のことでもあるし、偽りでもある」
　俺の心は、もう真実を見付けているのだ。
（いい加減吹っ切らないと、傷付く人間が増えるだけだ）
　そう、自分も含めて……
　その時、来客を知らせるホームコンピューターのインターホンが鳴った。
　インターホン横のカメラ画像を見やると、なんとそこにはヘネラリーフェが所在なげに立っている。
　マルベーリャは慌ててバスルームに隠れ、それを見届けたアッテンボローは何事もなかったかのようにドアを開けた。
「すみません、こんな遅くに……」
「いや、どうせ独り身の気楽な暮らしだから」
　どことなくぎごちない会話が続く。
「先輩……」
「ん？」
「まだ私のことを愛してくれていますか？」
「リーフェ……？」
「私は先輩を……」
「止めるんだ！！」
　ハッとしたように、ヘネラリーフェがアッテンボローを見つめる。
「先輩、アスール中佐のこと、愛しているんですね？」
「……ああ……あの時、お前を抱いた時にわかった」
　そう……ずっと触れたいと思っていたヘネラリーフェを抱いてしまったことで、自分の本心に気付いてしまったのだ。
「俺は、今でもお前が好きだ」
　だが、それは妹として、そして友人としての愛情だった。
「すまない……」
「謝らないで下さい」
　謝るべきは自分なのだから。どうして、こんな簡単なことに今の今まで気付けなかったのか。
　突然ヘネラリーフェがアッテンボローに抱きつくと、彼の口唇に薄紅色の可憐な口唇を重ねてきた。
「私達、ずっと友達でいられますよね？」
　涙が一滴、白皙の頬を伝い落ちる。
「ああ」
「ありがとう」
（ちゃんと、振ってくれて）
　それで十分です。
　ヘネラリーフェは踵を返すと、闇の中に消えていった。
　背中が震えていたのは、気のせいではないだろう。
「宜しかったのですか？」
　バスルームから現れたマルベーリャが、複雑な表情をしながら問う。
「ああ、やっと気持ちの整理がついた」
　そう、これでやっと吹っ切ることが出来た。
「マルベーリャ……やっと本心を言える……」
　マルベーリャ……そう呼ばれるのは、彼女にとって初めてのことだった。いつも、アスール中佐と階級で呼ばれていたから。
　彼女の白皙の頬が薄紅色に染まる。
「俺は、君を愛している」
「提督……」
「初めて会った時から、ずっと君を愛していたんだ」
　ヘネラリーフェへの想いは、恋ではなく、ただ妹に対するような愛情だったのだ。
「副官としてだけでなく、人生のパートナーとして、ずっと俺の傍にいて欲しい」
　マルベーリャの口からは何の言葉も発せられない。
　その代わり、アッテンボローは強く強く彼女に抱き締められたのだった。

　頬を涙で濡らしながら小走りに公園を横切っていくと、外灯の下にロイエンタールが佇んでいた。
　声もなく彼に抱きつくと、ヘネラリーフェは泣きじゃくり始めた。
「ずっと、ずっと好きだったの」
　貴方に出逢うまで、ずっと先輩のことが好きだった。
「莫迦みたい、今になって気付くなんて」
　ロイエンタールは、ヘネラリーフェの琥珀色の髪を撫でながら静かに言った。
「気は済んだか？」
「……うん……」
　良いのだ、これで……これで、思い残すことはない。これでロイエンタールと共に前を向いて歩いていける。
　満点の星の下を、二人は肩を寄せ合いながら歩き出した。

キリ番キリリク『１００００』番ゲットの、佳月あすかさんからのリクエストで「リーフェに振られて傷心のアッテン新たな恋の予感！？」なお話でした。
緑崎若菜さんの依頼で書かせていただいた「Scarlet Confession」の続編になります。
キャラの遣い回しなんじゃ……と、思わないわけでもないのですが、やはりリーフェも羨む程の恋となると、彼女以上の女性を持ってこないといけないわけで、更に私自身、マルベーリャというキャラをもう一度使いたかったので、このお話を書きました。
佳月さん、気に入っていただけたら幸いです（^^;;