それから数日後、ぼんやりとイゼルローン要塞内の廊下を歩いていたブルームハルトは、再び漂ってきたあの香りにハッとしたように振り向いた。
　そこには、先日のあの『TABU』の香りの主と、そして要塞ナンバー１の美女であり小悪魔な、ブラウシュタット少将ヘネラリーフェが、なにやら壁際でコソコソ話し込んでいる姿が在る、
「あれ、ブルームハルト少佐」
　不意に、ヘネラリーフェが声を掛けてきた。というか、彼女は大変気さくな人柄で、誰かと会話中でもそこに知った顔があれば、必ず一声掛けてくるのである。
　ある意味、気配りなどが行き届いている性格なのだろう。
　ヘネラリーフェの声につられるように、件の香りの人物もブルームハルトを振り返る。
"ストッ"
　一瞬、金色の矢が彼の胸を貫いた音を聞いたような気がした。
「あ、あ、あ、あの、ブラウシュタット少将、こちらの方は？」
　恐らく、赤面して熱を帯びているだろう顔で、狼狽えていることを隠すかのように個性もなにもない言葉で問う。
「ああ、私の同期でティン＝ランシャオ（鼎　藍韶）」
　言っておくけど、このストロベリーブロンドは、カラーリングだからね！！
　付け加えることを忘れない所を見ると、これまでにもあの髪が地毛だと勘違いした輩が沢山いたから故のことだろう。無論、ヘネラリーフェの言葉がなければ、ブルームハルトもてっきり地毛だと思い込んでいたに違いない。それほどに、美しい髪だったからだ。
　氏名の様式は、恐らくE式。つまり、鼎が名字で藍韶が名前ということになる。
（それにしても）
　と、ブルームハルトは思う。
　"あの"ヘネラリーフェと並んで、微塵も見劣りしない容姿と、艶と華。ヘネラリーフェとは違う、エキゾチックな美しさが『鼎　藍韶』という人間にはあった。
　すっきりと通った鼻梁、秀でた額、涼しげで切れ長で、名前と同じように深い宇宙のような藍色の穏やかな光を湛えた双眸、緩やかに弧を描く眉、端麗な口元、そして人の細胞では生み出すことなど到底無理だろうストロベリーブロンドの緩やかに流れる髪に、すらりとした長身……（女性としては高めのヘネラリーフェより高い。いわゆる、モデル体型である）
　これまで憧れを含んでヘネラリーフェを見ていたブルームハルトの視線は、もはや眼前にある謎な人物（いや、ヘネラリーフェの同期ということはわかっているが）に、釘付けであった。
　ただし、その後立ち去るブルームハルトの後ろで、ヘネラリーフェが件の人物に拳骨をひとつ頂戴したことを、彼は知らない。

「聞いたか？」
「ああ、ブルームハルトのことか？」
「とにかく視線が一点を見たまま動かないんだ」
「あれで本人、巧妙に隠しているつもりなんだろ？」
「ばればれだっつ〜〜の」
　ローゼンリッターの溜まり場……もとい、控え室での会話は、あの日から終始一貫していた。すなわち、純朴な青年ブルームハルトが『恋』をしたというのである。
　相手は"あの"ブラウシュタット少将と張るほどのエキゾチック美人らしいぞだの、髪の色がとんでもなくセクシーだの、とにかく噂話は日々増長していくのみだ。が！！
「で？　奴はアタックしたのか？」
「さぁ……」
　肝心なことになると、誰もがサッパリつまらなさそう表情になるのも一貫していて面白い。
　彼らにとって最前線である要塞内の生活は、ある意味刺激的で、ある意味どうしようもなく退屈なものなのだろう。
　それが、ローゼンリッターの若きホープ（？）なブルームハルトの話題となると、それはもう人の口には戸は立てられないという言葉がまさしく似合うという状況なのである。
　屈強の陸戦部隊の割に、やっていることは寝そべりながらワイドショーを見る世の主婦と同じだったりするところが笑える（爆）
　というより、それほどにブルームハルトの動向は、日々彼らの『退屈しのぎ』であり、玩具なのだろう（酷）
「果たして、奴の恋が叶うかどうか、お前ならいくら賭けか？」
「１ディナール」
　それでは賭けにならないような気がするのだが……
「少将はどう思われます？」
　部屋の隅にある自分専用の、如何にも座り心地の良さそうな椅子に座って新聞を読むシェーンコップに、突然話題は振られた。
「叶わない方に、１万ディナール」
　これはこれで、はなっから駄目だと言っているようなものである。
「賭けにならないな、これは」
　誰かが呟いたと同時に、全員が溜息を吐いた。
　噂と賭けの対象にされ、なんとも哀れなブルームハルトである。
「誰か、叶うと思ってやる奴はいないのか？」
　そんな台詞にシェーンコップは知らぬ顔を決め込みながらも、内心で深く溜息を吐いた。
（叶うはずがなかろう……って、もしや全員気付いてないのか？）
　リーフェの奴……ちゃんと最後まで責任を取れよ！！　内心で罵倒しながら、だがシェーンコップは、ブルームハルトも大人の男なのだからと、あえて口を挟むことは止めようと思ったのだった。

　古今東西、今も昔も、噂とは人から人へ伝わる毎にあることないことがミックスされるものである。
　そこに、ローゼンリッターが加わると、もう手のつけようがないほどの状態になり……つまり、シッチャカメッチャカになっていたりするのだ。
「ようよう、ブルームハルト、もう彼女には告白したのか？」
「ＯＫもらったのか、振られたのか、どっちか教えろよ」
　と、もう手の付けようがないほどに、既に噂ではなく本人まで巻き込んで無茶苦茶状態。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ〜〜〜」
　悲鳴を上げて弁解しようとしても、誰も聞く耳を持たない状態で、事態は悪化の一途を辿るのみだ。
「どうして、そんな話になっているんですかぁぁぁ！？」
　告白どころか、誰にも『かの麗人』のことなど言うどころか、話題にしたこともないのに、一体どうやったらここまで話が大きくなるのだろう。
　どうやら本人は、他人の言葉に対してすぐに態度や顔に出るということに自覚がないらしい。これが、彼の最も敬愛するシェーンコップだったなら、たとえ真実を突かれていたとしても、ポーカーフェイスで押し通したことだろう。
　だが。純朴なブルームハルトにそれを求めるのは酷というものだ。
　半泣き状態の彼に、だがローゼンリッターの面々は更に煽るようなことを言い出した。
「ここまで話が大事になっちまったんだから、いっそのこと告白しちまえ」
「・・・・・。」
　結局、無責任な発言の為すがままに、ブルームハルトは恋しさ募るばかりのかの麗人の元へと出向いたのであった。とは言え、彼の名誉の為に言っておくが、いくらブルームハルトでも、この好意は自分自身で決断した結果でもある。恐ろしく単純ではあるが……

　さて、その後ブルームハルトは、ヘネラリーフェの姿を探して要塞内を彷徨っていた。
　何故、目指す本人ではなくヘネラリーフェなのかと言うと、それはつまりそれだけ彼が純情だからということである。
　目指す相手は、すぐに見つかった。というより、見つからない筈がないくらいの外観なのだからすぐに見つかるのは道理である。
　そして、幸運なことにヘネラリーフェの横には目指す麗人もいた。
　（今日はラッキーかも♪）
　思わず浮かれながら声を掛ける。
　「あ、あの、ミス……」
　その途端、ヘネラリーフェが彼に背中を向けた。細い肩が震えているのが見て取れる。
「？」
「ご、ごめんなさい、私は席を外した方が良さそうね」
　震える声でそう言うヘネラリーフェの襟首を、麗人ランシャオが捕まえて引きずるように自分の方へと寄せた。
「そもそもの発端はお前だろ？　逃げずに責任取れよな」
　外観からは思いもよらない言葉遣いでランシャオが言い、ヘネラリーフェは負けたとでも言いたげにピンク色の舌をペロリと出した。
「失礼ですがミスター、私はミスではありませんよ」
　穏やかでエキゾチックなちょっと低い声と穏やかな光を湛える藍色の瞳がブルームハルトを包み込む。
　一拍おいて彼の顔が真っ赤になり、更に一拍おいて真っ青になった。
（ミスでない……と、いうことは！？）
「えええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ！？」
　叫んだのはブルームハルトではない。
　壁の向こうから、ドサドサと轟音を唸らせながら鈴なりになって男たちの巨体が重なり倒れてきた。
　ティン＝ランシャオは、その無様な姿に一瞬唖然としたもののすぐに穏やかな笑みを浮かべ、ヘネラリーフェは呆気にとられたように男たちを見て立ちつくし、そして踊らされた男達の背後でシェーンコープは派手な溜息を深々と吐いたのだった。
　ところでブルームハルトはというと、秒殺の大失恋とあって（しかも、恋した相手が男だったとあって）暫くその場に放心したかのように立ちつくしたと、後々まで語られたらしい。哀れである。

「で？　どうして黙っていたんだ？」
　シェーンコップのフラットでようやく二人きりになった時に、彼はヘネラリーフェに対してそう切り出した。
　痛い所を疲れた彼女は、暫し無言だった。
「ごめんなさい、まさかあんな騒ぎというより、ブルームハルト少佐が彼に惚れるなんて思ってもみなかったのよね」
　自分は、ティン＝ランシャオという人物が男だということを知っている。だから、他の人間も疑うことなく彼を男だと思う筈だと思い込んでいたのだ。
「まさか、女に間違うなんて……」
「まあ、確かに間違える方も間違える方だが」
　シェーンコップにしてみれば、はなっからランシャオが男だとわかっていたので、間違える方が悪いという気持ちもある。
「体型、仕草、どれもをとっても男に間違いないんだが、あいつらときたら」
　ブルームハルトだけならまだしも、ローゼンリッター連隊のほぼ全員が間違うとは嘆かわしい……
　シェーンコップは頭痛を堪えるような表情で、ヤレヤレとばかりに首を横に振った。
「で、話を戻すが、どうして噂が広がった時にすぐに訂正しなかったんだ？」
　お茶をトレイに乗せて持ってきたヘネラリーフェの手首を素早く掴んで、自らの膝の上に抱き上げる。
「う〜〜ん、そもそも彼のことを紹介した事自体、ランシャオに叱られちゃったのよね」
　通りすがりのブルームハルトにランシャオを紹介したのは、ヘネラリーフェがランシャオを同期と見ていたが為の、いわば気楽な気持ちからだった。が……
「ここだけの話にしておいてね」
　要するに、彼の存在をあまり大々的に知らしめてはいけなかったのだ。
「彼、諜報員でね、だからブルームハルト大佐に紹介した後も、彼に拳骨もらっちゃったの」
　そんなこともあって、噂が大きくなり、ローゼンリッターが悪のりしているのを知っていながらも何かしらの手を打つことができなかったのだ。
「諜報員か……にしては、派手だな」
　あの髪色は、どう見たって目立とうとしているとしか思えない。
「私もそう思うんだけど……」
　本人に言わせれば、今時の若者風で軍隊では目立つものの街にはとけ込んでくれるそうだ。
「そんなものかね。まあ良いが、でも後からブルームハルトには謝っておけよ」
「はぁい」
　と、返事だけは良いヘネラリーフェであった。
　さて、恋のショック覚めやらぬブルームハルトは、その後ヘネラリーフェにお詫びを兼ねたデートに誘われ、しかもそれをまたしてもローゼンリッターの面々にかぎつけられコッソリ尾行までされてという結果に至ったらしいが、彼はそのことは無論知らない。
　何故なら、ティンランの件以降、再び自分の中で憧れの存在に返り咲いたヘネラリーフェとデートという自体に至れて、スッカリ浮ついていたのだから……

一体何年経っているんだ？ってくらいに、お待たせしちゃったキリリク作品です。
お題は、「ライナー君で、進め！われ等の薔薇の騎士団（リーフェあり）みたいなやつ♪」でございました。
このリクエストに果たしてこのお話、ちゃんと応えきれているのでしょうか……不安です（^^;
さて、今回のヒロイン（？）ティン＝ランシャオ（鼎　藍韶）の名前は、中国語辞典を片手に、片っ端から字を書き出して組み合わせて作ってみました。
『鼎』は、三つ相対しあった形とか、帝位とか、宰相位とか、船の錨といった意味だそうです。
『藍』は、文字通り藍色のこと。作中では宇宙の色に例えちゃいました。
そして、『韶』は、美しいという意味です。
ということで、こんなヘッポコ話にご満足いただけるか否か甚だ心配なものの、とりあえず、黒崎様に進呈いたしまぁす♪
さりげに親父とリーフェが仲が良い所は、見逃して下さいまし〜〜（爆）