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「あらまあ、ロイエンタールに許嫁なんていたんだ」
ファルツゥアーゴールド、ホワイトマスターピース、ヘルムットシュミット、ウィンナーシャルメ、エスメラルダ、ウィミィ、ソニア、レディローズ、コンラットヘンケル、フレンチレース、クリスチャンディール……
広大な庭園の薔薇の茂みの奥で、華やかな見目・薫りに勝るとも劣らない苦笑の笑みと毒のある忍び笑いが可憐な口元から零れ落ちた。
「ふ〜〜ん、ザビーネ・ガブリエル・フォン＝ヴェルダン伯爵令嬢か……」
天使の名前を持つ女性は、控えめで優し気な面差しで写真に納まっている。
今までロイエンタールの醜聞を彩った自己主張が強そうな女性達とは少しイメージが違う。
大人しくて素直で、だが毅然とした気品が、ただ一枚のモノクロの写真からも伝わってきた。
今回は、どうやらただの『誤報』ではなさそうだと、思い知らされる。
「さてさて、今度はどんな言い訳を聞かせてくれるのやら」
ヘネラリーフェは、社交欄のスッパ抜きではなく、社会面一面を飾る材料として扱われたその写真の載った新聞を放り投げると、芝生の上に手足を伸ばして転がり暫しクスクスと笑い続けたが、その声は携帯のコールによって遮られる。
出までもなく、特別に設定した着信音を聞けば相手が誰だか分かる。シェーンコップだ。
「はいは〜〜い、こちらいつも元気なリーフェちゃんで〜〜す♪」
少し戯けて出た口調は、だが一瞬のうちに冷徹なものへと変化していく。
「わかった、すぐ行く」
端的に言い渡すと、ヘネラリーフェはスクっと立ち上がり薔薇の園を後にした。
「とにかく、新聞社に厳重抗議と記事の訂正を申し立てろ」
元帥府内のロイエンタールの執務室は静まりかえっているが、門前にはブン屋がひしめき、広報部の電話は鳴りっぱなしである。
ビッテンフェルトは出府した途端、ブン屋共に取り囲まれ押し潰されそうになり、ファーレンハイトは自宅で新聞を見た瞬間に身の危険を感じたとかで、賢明にも裏口からコッソリ入って事なきを得た。
そして、内線電話を使って広報部に冷静な指示を与えるロイエンタールの前の重厚なデスクを挟んだ向かいには、仏頂面のミッターマイヤー。
「何をそんなに怒っている？」
憎らしい程に涼やかな表情で事も無げに言うロイエンタールに、感情むき出しの湖水のようなグレーの瞳が向けられた。
「お前の漁色をリーフェが許すと言うなら俺は何も言わない」
だが、今度は婚約者だと！？
「一体どれだけ彼女を哀しませれば気が済むんだ！！」
どうやらミッターマイヤーは、熱心なヘネラリーフェ擁護派になっているようだ。
「落ち着け。そもそも怒るのはお前ではなくて、俺の方だろうが」
前回の従姉妹との仲を勝手にゴシップに書き換えられた時もそうだったが、ブン屋共の商魂と想像力の逞しさには感嘆を禁じ得ない。
だが、その度に怒っていたのでは身が保たない。
と言うのがロイエンタールの考えで、それを素直に口に出したのだが……
「そうだな。だが今回は、その言葉が気に食わない」
ミッターマイヤーは、そんなロイエンタールの言葉を冷たく笑い飛ばした。
いつもなら、こんなゴシップを掻き立てられて激高しているのはロイエンタールの方だ。
だが今日は様子が違う。
他の事では憎らしい程にいつも冷静で冷徹な統帥本部総長だが、ヘネラリーフェの事となると目の色が変わる事をよく知っているミッターマイヤーには、今日のロイエンタールの落ち着きぶりが気に入らない。
「どうしてそんなに落ち着いていられる？」
どうしても勘ぐりたくなる。
「ただの『誤報』ではなさそうだよな」
意地悪な親友の問い掛けに、ロイエンタールは深々と溜息を吐いた。
「全く、あいつらも今更よくやる」
クツクツと自嘲の笑みが端麗な口元に浮かぶ。
「今更？」
「そう、今更だ！！」
二色の双眸に初めて怒りが浮かんだのをミッターマイヤーは見逃さなかった。
「その辺りの話し、じっくり聞かせて貰う必要が俺にはありそうだな」
厳冬の寒さに震える幼子のような心を持つロイエンタールを責めたくないから……
初夏の軽やかで明るい日差しのようなヘネラリーフェの笑顔を失いたくないから……
苦難を乗り越えた２人の、秋の日差しのような穏やかな幸福を心から願わずにはいられないから……
「お！ 元気そうだな、お嬢ちゃん」
不遜な態度のシェーンコップの茶色の瞳はいつも通り不適な笑みを浮かべているが、だが同時にそれが非常事態をも知らせている事を、ヘネラリーフェは良く知っていた。
「フェザーンに来たついでに、顔を見るだけと言う名目で呼び出したのではなさそうだな」
軍港に停泊しているのは、旧ヤン艦隊旗艦ヒューベリオン。今でのヤンの乗艦とされている艦だ。
外周艦隊総旗艦シリウスを飛ばす程切迫してはいないものの、十分に緊急性と重要性を感じさせる編成でフェザーンにやって来たらしいシェーンコップを見る青緑色の双眸の中に厳しい光が揺れ出す。
「そうだな…… 呼び出した事に意味があると言った方が良いだろな」
逞しい腕がヘネラリーフェの腰に回され、強く引き寄せる。
「お前の身体の中にある物の調子を知りたいと思ってな」
力強い腕がヘネラリーフェの腰に回り、グッと引き寄せられた。
「では、もう結果は出ているな」
引き寄せられるままにシェーンコップの逞しい体躯に身を寄せると、細くて優美な腕を彼の頸に絡めながら彼のニヒルな口唇に悪戯っぽく口付ける。
いつも通りのじゃれ合いで、同盟軍の面々にしてみれば呆れるやら笑うやらだが、仮にこの場面をロイエンタールが目の当たりにしていたら、決闘にまで発展しかねない熱々ぶり（？）だ。
もっとも、その決闘をシェーンコップが受けるとも思えないのだが……
「no problem」
感度良好、性能抜群。
「ひとまず安心した」
シェーンコップはここで初めて、本心から安堵した微笑みを口元に浮かべた。
「最近世間が色々と騒がしいが、それと関係があるのか？」
「あると言うべきか、起こうるべき最悪の状況を想定してと言うべきか……」
２人はターミナルに入ると、カフェの奥まった窓際の席に陣取る。
「お前の事だから、今更言うまでもないだろうが……」
コーヒーとミルクティを置いたウェイトレスが立ち去ると、シェーンコップが幾分声を潜めて話し出した。
「同盟・帝国双方の領域と言ってもまだ辺境地区でのみだが、最近要人へのテロ行為が勃発してる事は知っているな？」
狙撃・爆弾テロ・毒殺…… そしてそれに関連した未遂事件の数々が多発している事を、当然の如くヘネラリーフェは察知している。
「誰に向かって言っている？」
アンテナを張り忘れた事のないヘネラリーフェが苦笑したが、その目は決して笑ってはいなかった。
穏やかな青緑色の双眸は、冬の氷河の割れ目に見えるような冷たい色へと変化している。
「市井の人間は気付いていないようだが、我々のような人間には脅しとも取れる行為に危惧は抱いていた。だが、それが私にも及ぶ可能性が高いと言う所まで自体は悪化しているのか？」
ヘネラリーフェの存在は同盟に留まらず、銀河系でもスペシャルクラスな要人に値するだろう。
そんな大それた人間だとは自分自身では思ってないし、自信家でもないヘネラリーフェだが、世間はそうではない事を彼女は嫌と言うほど自覚していた。
銀河の平和が、ただ１人の人間の消失によって乱れるなどと言う事は絶対にない。
そして、この平和を己１人で担っているなどと言う愚かな自惚れも抱いていない。
夥しい量の血と命の犠牲と、今を生きる多くの人間の手で、この平和は維持されている。
だが、危機感を失い、その身を危険に晒す事が、この世界にどれほどのリスクを負わせるかも、ヘネラリーフェは現実的に把握していた。
「今、お前を失う訳にはいかない」
無論、ヤンもアッテンボローもビュコックも、そしてシェーンコップ自身も要人リストに入っているし、フェザーンにはヘネラリーフェを含めが彼女の周囲全てが要人だ。
「同盟・帝国に限らず、誰か１人に危険が迫れば、それはその人間を取り巻く人間全てに累を及ぼす事になる」
そして、ヘネラリーフェの傍らにはロイエンタールがいる。
ロイエンタールの後ろには皇帝ラインハルトだ。
テロ組織にとって、こんな好条件は銀河中どこを探してもないだろう。
それ故に、目立つのを覚悟でヒューベリオンを駆って遙々フェザーンへとやって来たのだ。
「まあ、お前の事だからこの辺りの事はあまり心配はしてないが、予想外の無茶もしてくれるからな」
今回、実際に顔を見て、そして身体の中も外も危機管理がなされている事が確認出来て良かった……
柔らかな琥珀色の髪をクシャリと掻き乱さて、ヘネラリーフェははにかむように微笑んだ。
「だがな、やっかいなのは、奴らの言う要人が何も軍人や政治家だけではないと言う事だな」
テロ組織の正体も曖昧なものが多い。
「犯行声明を送り付けて来る目立ちたがり屋がいたかと思えば、感嘆する位に功名な手口で無言を通せばテロとも気付かないにも限らず、地球教がワザワザ犯行声明を送って寄越したりと、情報が錯綜して当局も困惑しきっている」
危惧は地球教だけにとどまらず、流刑に処せられた貴族共が地球教やその他の組織と結託して、同盟帝国双方の中心近くに戻って来ている可能性も、今となっては低くないだろう。
「奴らにとっては、リップシュタットでローエングラム侯側に付いた貴族達もテロの標的だろうしな」
全く面倒な事だ……
シェーンコップは紫煙と共に深い溜息を一つ吐いた。
「ところで、あの男はどうしている？」
自宅まで送ろうと言うシェーンコップの言葉に甘えるべく２人プラス運転手代わりのブルームハルトを引き連れて宇宙港のロビーを歩き出した時、恐らく現在の世情などとうに知っているだろう彼が悪戯っぽく問い掛けた。
「フィアンセの事で忙しそうでな」
苦笑しながら混ぜっ返したが、シェーンコップの方はどうやらほんの少しだけロイエンタールに対して御立腹のようである。
「あいつから俺に乗り換えると言う手もあるぞ」
飛び上がって驚いたのは後ろに付き従っていたブルームハルトだ。
ヘネラリーフェも、冗談らしからぬシェーンコップの声音に気付いたのか一瞬立ち止まったが、恐る恐る交互に上官２人を見やるブルームハルトの視線に気付いて、場を取りなすように一笑に伏した。
「そうだな…… ロイエンタールの言い訳を聞いてから考えてみる」
そうやって軽口を叩きながら３人で車に乗り込もうとした所を柔らかな女性の声に阻まれ、三者三様に動きを止めて声の方に振り返った。
最初に表情が変わったのは言うまでもなくヘネラリーフェ。
次にシェーンコップ。
ブルームハルトは幸か不幸か訳が分からず、この場に自分は関係ないと判断した彼は車の運転席に納まって事の次第を見守る事にした。
「あの、突然で失礼だとは思ったのですが……」
知人ではなかったが、その女性をヘネラリーフェは知っていた。
当然シェーンコップの目付きも鋭くなるが、ここはフェミニストを自嘲する彼の事だけあって、眼前の女性にそれを気付かせて萎縮させるようなヘマはしない。
「どうしてもフロイライン・ブラウシュタットとお話がしたくて……」
本心から申し訳なさそうに、だが気弱さを漂わせつつも確固たる決意の表情を浮かべるその女性は、今朝の新聞で見たばかりの顔だった。
そう、ロイエンタールの『許嫁』である、フォン＝ヴェルダン伯爵令嬢ザビーネ・ガブリエルその人だ。
一瞬の不気味な沈黙。
だが、周囲の雑音など耳に入らなくなるその状況で、ヘネラリーフェはふと気付いた。
嫌な気分にならないのだ。
ロイエンタールの漁色が取り沙汰される度に、新聞や雑誌の記者、そしてゴシップの相手の女性達に散々プライベート、いや心の内側まで土足で踏みにじられ、傷付けられてきたヘネラリーフェは、最近それらしい女性に声を掛けられる事でさえ疎ましく思うようになり、ある意味拒否反応を示すようになっていたのだが、不思議と今この瞬間は、その『嫌な感じ』はせず、気分が急降下する気配もない。
相手が下手に出ているからかと最初は思ったが、上辺で騙されるようなヘネラリーフェではない。
となると考えられるのは、目の前にいる伯爵令嬢の身の内から出る何かに好感が持てるからだとしか考えられない。
「えっと…… 私に何の御用でしょうか、フロイライン・ヴェルダン」
礼儀知らずには恩を仇で返すような性格のヘネラリーフェだが、礼節ある相手にそんな不遜な態度は取らないし、取れない。
心中穏やかとは言い難いまでも、ヘネラリーフェは穏やかに眼前の女性の言葉を受け入れた。
「あの、どうか私の事はラエルとお呼び下さい」
家族も友人も皆そう呼ぶので……
深窓育ちな筈の伯爵令嬢は、初っぱなから人懐っこい性格を露わにして、ある意味ヘネラリーフェとシェーンコップの警戒を解くことに成功した。
勿論、これも２人の軍人としての卓越した判断力と経験があってこそのもので、素人が簡単に信じ込めば痛い目に合う可能性も大いにあり得るのだが。
「それでは、私の事はリーフェと……」
ヘネラリーフェがそう返した事が余程嬉しかったのか、ラエル事ガブリエルは嬉しそうに微笑んだ。
「それでお話とは？」
警戒は解いたとは言え、話しが核心に迫らない事には、それは一部分に留まる。
悪い人間ではないと言う事だけは分かるが、話しを聞き真摯に返答出来るか否かは、内容を聞いてみない事には判断出来ない。
そもそも相手はロイエンタールの『許嫁』だから、内心では苛立ちを禁じ得ないのがヘネラリーフェの本心だ。
その『ほんの少しの苛立ち』が伝わったのか、ガブリエルは口を開きかけたが、どうやらシェーンコップとブルームハルトの存在が気になるようである。
それを推し量って、ヘネラリーフェは彼等から少し距離を置いて、話しの続きを求めた。
「あの、今朝の新聞を御覧になったと思うのですが……」
ガブリエルは、嫌味に見えない程度に怖ず怖ずと話し始めた。
「私、この通りの世間知らずで……」
だから、とても恥ずかしい話しだが、ロイエンタールにヘネラリーフェという存在がある事を、今朝の今朝まで知らなかった。
「今朝の新聞を見て、私も驚きました」
まさか新聞にあのような記事が載るとは、思ってもみなかったのだ。
「私とオスカー様が婚約していると言うお話しが、外部の人間に知られる筈なんてなかった筈なので」
お互いの家を行き来する事も久しくなく、当然顔を合わせる事もない。
ここでヘネラリーフェの中に疑問が湧いた。
「外部には知られる筈がないと言うことは、貴女とロイエンタールが婚約しているは事実と言う事なのかしら？」
ガブリエルは『ラエルです』と微笑みながらヘネラリーフェの言葉を訂正した後、更に話しを続けた。
「婚約と言っても、両家の父親同士が勝手に口約束しただけのお話です」
しかも、ガブリエルが生まれる前に……
「生まれる前？」
門閥貴族辺りなら、生まれる前から結婚する相手が決まっているような事、即ち政略結婚は多かろう。
だがガブリエルは伯爵令嬢だが、ロイエンタール家は富豪とは言え、所詮下級貴族である。
「オスカー様のお父様と私の父は公私共にお付き合いがありましたから」
中が良かったから、ロイエンタールの父親からの閨閥結婚の申し出をアッサリ受けたのだと言う。
勿論、伯爵夫人が懐妊して、更に産まれた子供が女ならという条件付きだが。
「言わば、口約束？」
「その通りです」
ガブリエルはアッサリと笑ったが、ヘネラリーフェからしてみれば随分と人権を無視したようなやり口だ。
「あの、私はこの婚約が決して嫌ではありませんでしたから」
無論、産まれる前から嫁ぐ先が決まっていたと伝えられた時は、それなりに驚いた。
反抗してみたいとも考えた。
「でも、季節毎の園遊会で何度かロイエンタール家を訪問してオスカー様にお会いする度に、私はこの取り決めが現実になってくれれば良いのにと思い始めていました」
「その言い方では、そのお話は現実にはならないと受け取れるのだけれど？」
ガブリエルは、少し皮肉っぽい苦笑を浮かべながら、一番核心に迫る言葉を紡いだ。
「ええ、リーフェさんの仰る通りです」
「え！？」
ほんの少しの沈黙……
だが、ガブリエルは一気に言葉を吐露した。
「だって、私が産まれる前に、婚約の約束をした本人である私の父は亡くなっていましたもの」
約束をしたとは言え、契約書を交わした訳でなく、ただの口約束。
しかも、産まれたのが女子か男子か見極める前に契約者本人がこの世の者ではなくなる。
「こんな約束は反故に決まっていますわ」
ヘネラリーフェを振り返った瞳が僅かに潤んでいる。
「ロイエンタールを愛しているの？」
「わかりません」
２歳や３歳の頃の気持ちなど、それが例え恋や愛だったとしても、自覚していないだろう。
「ただ、私があの方のお宅にお邪魔したのは、お父様が御存命の間だけでしたから、私の存じているオスカー様の姿は少年時代のものだけなのですが……」
顔を合わせたのは、ほんの数える程。
人前では妙に大人びて近付きがたくても、だが子供同士になればロイエンタールは違った表情をガブリエルに見せた。
ロイエンタールの口数が少なすぎるのと、ガブリエルが幼すぎたのとで、会話は殆ど成立しなかったが……
「でも、優しくして下さいましたわ」
（ロイエンタールが優しい……）
なんと新鮮な言葉だろう（爆）
思わず感慨を抱いてしまう。
「それで、あの……」
ガブリエルは、もじもじと俯きながら更に言葉を綴る。
「今朝の新聞を見て、昔を思い出して、それで……」
ガブリエルの頬が赤く染まり出す。
（あっ！！）
なるほど…… ヘネラリーフェは苦笑した。
新聞を見て昔を思い出してみれば、今更ながらにロイエンタールの事が好きだと自覚したのだろう。
「ごめんなさい。リーフェさんにこんな事を言うなんてとても失礼だとは思ったのですが」
でも、ロイエンタールの今の幸福を目の当たりにしてみれば、淡い初恋を諦められると思ったのだ。
「今朝初めて兄からオスカー様の近況とリーフェさんの事を聞いて」
そして気付いたら、ここに来ていた。
随分と思い切った事をする貴族のお姫様だが、ヘネラリーフェは正直で素直なガブリエルに好感を持った。
敢えて言葉にするなら、
『可愛い』
である。
可愛いのだ。少女の心のままで『気付かないマままに』一途にロイエンタールを想う姿が……
そういう姿を『恋敵？』なヘネラリーフェに素直に見せる姿が……
ヘネラリーフェの可憐な口元からクスクスと忍び笑いが零れ出す。
無論それは意地悪気まものではなく、やがて忍び笑いは明るい笑い声へと変化していく。
「あ、あの、リーフェさん？」
笑いながら思う。この人の良い『恋敵』な伯爵令嬢の事が好きになりそうだと……
「ラエルさん、私……」
（貴女の事が好きになりそう。ロイエンタールではなく私に乗り換えない？）
などと、本気の冗談をウッカリ洩らしそうになったその時、ガブリエルの横に止まった車のドアが音もなく開き、そこから彼女を車中に引き込もうとする屈強の腕が強引に伸ばされた。
「きゃっ！！」
悲鳴を聞くより早く条件反射でヘネラリーフェがガブリエルの腕を掴んだが、相手の力の方が強く、また咄嗟の事もあり、ガブリエルを引き戻すどころかヘネラリーフェごと２人の女の身体が車の中にさらわれ、車は急発進した。
卓越した軍人であるヘネラリーフェが声を出す間もない早業だ。
が……
「ブルームハルト、受信機持っているな？ 作動させろ！！」
ヘネラリーフェとガブリエルのいつ終わるとも分からない話し合いを見守っていたシェーンコップの判断は速かった。
ブルームハルトに返事をする猶予を与えぬままに端的に命ずると、シェーンコップは車中の彼を荒々しく助手席に突き飛ばして自らが運転席に座り、ヘネラリーフェ達が拉致された車を追うべく車を急発進させのだった。
「８歳とマイナス２歳だとぉぉぉぉぉ！？」
執務室はミッターマイヤーの雄叫びが響き渡る。
「しかも、彼女の父親は彼女が生まれる前に死んでいる」
「なるほどな……」
それ以上説明を求めるまでもなく、聡いミッターマイヤーにはその婚約が反故になった事を理解した。
「それを今更ほじくり出してくるとは、この国の記者共は随分とネタに不自由していると見える」
忍び笑いの端正な口元は、だがどこか楽しそうだ。
（そうか…… ロイエンタール、そういう事か……）
今回に限ってロイエンタールが冷静な対処をしている訳に、ミッターマイヤーは漸く思い至った。
「どうやら、その反故になった婚約話しは、お前には嫌な思い出ではないようだな」
ロイエンタールは、そんなミッターマイヤーの言葉を黙って聞いていた。
「だってそうだろ？」
ヘネラリーフェ以外の人間には容赦のないロイエンタールが、角度は違えどある意味彼女をスキャンダルに巻き込まれたと言うのに、怒りまくるどころか逆に冷静な対処でブン屋達に臨もうとしている。
「口約束だけの元許嫁を傷付けたくないんだろ？」
「…………」
ミッターマイヤーの言葉に、だがロイエンタールは沈黙を通す。
「この騒ぎで傷付くのは、お前でもリーフェでもない」
ヘネラリーフェはこんな事では傷付かないし、傷付けられない。
何者をもヘネラリーフェを傷付ける事は出来ないのだ。
そう…… 彼女を傷付けられるのはロイエンタールだけ。
今頃は、ロイエンタール家の庭で新聞片手に腹を抱えて笑っているに違いない。
ヘネラリーフェとは、そういう女だ。
だが、新聞に載ってしまった伯爵令嬢は違う。
この記事一つで、彼女の経歴に傷が付く事は多いにあるのだ。
未婚の伯爵令嬢にとっては、今回のこの大きくもないが小さくもない事件は障害にしかならないだろう。
だから……
「彼女の為に、危険の芽を摘み取ろうとしている訳だ」
ロイエンタールは深々と溜息を吐いた。
「別に庇ってやりたいと思う程、深い仲だった訳でもないし、彼女の印象が強く残っている訳でもない」
だが、不思議と嫌な想い出ではなかった。
優しくしたつもりはないが、無条件に自分に懐き追い掛けてくる小さな存在はロイエンタールが初めて得て、そして失ったもので……
「そうだな…… 薄汚れた大人と違って、綺麗で暖かかった……」
それだけだ……
「そうか……」
ミッターマイヤーはヘネラリーフェの事以外で初めて人間らしい感情を見せたロイエンタールの姿に目を細めた。
くすぐったいような、なんとも言えない感覚だ。
同時に、そういう気持ちを思い出したロイエンタールを目の当たりにして嬉しくもなる。
ミッターマイヤーにとって、ロイエンタールのこういう姿は他人事ではなく、十分に喜ばしい事であった。
「薄気味悪い笑顔で俺を見るな」
照れ隠しなのか、ロイエンタールはミッターマイヤーから目を逸らしながらぶっきらぼうに言葉を放つが、なんとなく執務室に穏和な雰囲気が漂い出す。
そんな時、ロイエンタールの携帯がけたたましく成り出した。
ロイエンタールの表情が一瞬のうちに険しくなる。
出なくても分かる……
非常時にしか掛かってこないであろう、ある意味『否友好的な』相手からの『友好的な』緊急コールの内容は、和みだした雰囲気を一瞬のうちに緊迫したものへと変え、同時にロイエンタールの心をも凍えさせる。
『ヘネラリーフェが拉致された。他に民間人も……』
後に続く二言目以降を聞く前に、ロイエンタールは外へと飛び出して行く。
当然のように、ミッターマイヤーも後を追った。
シェーンコップからのロイエンタールへの報告には間違いがある。
いや、ロイエンタールの受け取り方に間違いがあると言った方が良いかもしれない。
なにせ、主役と脇役が逆なのだのだから。
それを一番理解していたのは、他の誰でもなく、車に連れ込まれたヘネラリーフェ本人である。
「なんだ、こっちの女は！？」
「知らねえよ、勝手にくっついて来たんだからよ！！」
女を力ずくで攫うような、乱暴なだけあ取り柄のマナーも知識もない男達の言う『勝手にくっついて来た女』とは、探ったり考えるまでもなくヘネラリーフェの方のようである。
となると、男達の真の目的はガブリエルだ。
だが、貴族の娘ではあるが、どこにでもいる普通の娘が拉致の対象になる理由が、ヘネラリーフェには咄嗟には判断出来なかった。
焦りが冷静さを生み、そして軍人としての冷静な判断力と洞察力が、瞬時にある考えをはじき出す。
即ち、ガブリエルが『貴族の娘』だからこそ、拉致されたと言う事に思い至ったのだ。
先刻シェーンコップは何と言ったか？
軍人や政治かだけがテロの対象ではないと言わなかったか？
男共は、銀河中に顔が売れに売れまくっている筈の軍トップのヘネラリーフェではなく、帝国貴族であるガブリエルをテロの標的として付け狙っていたのだ。
（なんとかしないと……）
まだ自分が標的だった方が事は楽である。
何故ならヘネラリーフェには利用価値があるからだ。
拉致して関係各所を脅せば、通らない要求はない。
金も地位も、いや法外な交換条件を出す事が可能である。
だが、ガブリエルはどうだ？
攫って、そしてどうする？
答えは一つしかない。
（ラエルは見せしめだ）
帝国国家に屈辱を与える見せしめの為に選ばれた生け贄。
だとしたら……
案の定、連れ込まれたのは街外れの廃屋だった。
ここに来るまでの間、目隠しなどの行き先を隠そうとする意思を男達は一切見せなかった。
さもありなん…… 彼等は哀れな生け贄を無事に生還させる事など微塵も考えていないし、そんな義理も義務もないのだから。
ただひたすらにガブリエルを恐怖に陥れ、残酷に犯し、切り刻めば良いだけなのだから。
逃げ纏うガブリエルの身体を男が捉え、そして埃まみれのベッドの上に押し倒し、押さえつける。無論、撮影用のカメラはスタンバイＯＫだ。
「嫌！！ 助けて！！」
泣き叫ぶガブリエルの着衣が、乾いた音を立てて引き裂かれる。
「やめろ！！」
だが、屈強で馴らした軍人でも所詮女。男２人がかりで押さえつけられたのでは、阻止の行動に出る事は出来ず、声を張り上げるしかない。
（なんて歯痒い！！ 目の前で助けを求めている人間に手を差し伸べる事さえ出来ないなんて！！）
彼等は泣き叫ぶガブリエルが最後の断末魔を上げて絶命するまでの残虐な行為を細部にまで洩らさず撮影し、そしてそれを帝国政府に、そしてテレビ局に送り付けるつもりだ。
世間は震撼する。
人々は恐怖し、そして政府の威信は失墜するだろう。
ただそれだけだ…… そして、たったそれだけの為に罪もない女が１人犠牲になろうとしている。
（助けなくては）
そう考えたヘネラリーフェが取った方法は、ある意味成功し、だがある意味男達の怨嗟を焚きつけた。
「ラエルを離せ！！ 見せしめにするなら、私を使えば良い！！」
だって、私にはそうされるだけの理由がある。
そうされても仕方ない程の殺戮行為を働いている。
「テメエら、耳の穴かっぽじって聞きやがれ！！」
私は…… 私の名は……
「ヘネラリーフェ・セレニオン・フォン＝ブラウシュタットだ！！」
瞬間、全員の動作が止まった。
ガブリエルの泣き声だけが妙に生々しい位に響き渡っている。
だが次の瞬間、男達の目の色が変わったのが見て取れた。
ガブリエル以上の得物を手中に納めていた事を知らずにいた事への悔恨と、貴族の娘とは比べものにならない程の得難い生け贄を手に入れた事への驚喜をない交ぜにして、男達の嗜虐的行為の目的はガブリエルからヘネラリーフェへと変更を余儀なくされる。
「おい、カメラ回っているか？」
「ああ、照準も合わせ直したぜ」
ガブリエルの時とは些か手順が違うのが分かった。
何故なら、１人の男が銃口をヘネラリーフェに向けたからだ。
ヘネラリーフェの身体に戦慄が走る。
一発で殺す気などない事は分かってた。
おぞましい拷問のフルコースが与えられるだろう事は明白で……
だから、腹部を至近距離で打ち抜かれた時も、押し倒されて銃傷を足で踏みつけられた時も、その行為自体には驚かなかった。
だが心と身体の感覚は違う。
頭では当然の事でも身体は受け止められない。
「あうっ！！」
失神しないのが不思議な程の激痛がヘネラリーフェの全身を貫いた。
仰け反った全身を冷たい汗が伝う。
大声で泣き叫び、助けを請いたい程の痛みと衝撃……
だが軍人としてのプライドが辛うじてその衝動を抑える。
いや、ここで泣き叫べば、男達の思う壺だと判断したのだ。
苦痛に耐えかね、哀れに泣き叫び許しを請うても、それは男達には甘美な媚薬にしかならない。そして、行為は残虐さを増すだけだ。
（何故来ない！！）
理不尽な怒りが心中に溢れ出した。
（どうしてロイエンタールは来ない！！）
傍にいる……
決して離したりはしない……
お前亡くしては生きていけない……
ベッドの上で散々乱れさせられた後の虚無の心に刷り込まれた言葉の数々が甦り、ヘネラリーフェは叫んだ。
「ロイエンタールの莫迦ーーー！！ 肝心な時にどうしていないんだーーー！！」
痛みと怒りの双方がごちゃ混ぜになり、爆発する。
それでも泣き叫び許しを請わないヘネラリーフェの姿に苛ついたのか、男が杭のような棒きれで銃傷を抉った。
「うぐっ！！」
舌を噛まないように必死で口唇を噛み締める。
同時に引き裂かれる着衣。
夥しい鮮血にまみれた白皙の肌が露出する。
「ロイエンタール…… ロイエンタール…… ロイエンタール！！」
女が２人こんな目にあっているのに、どうして来ない！！
女王を守る騎士が、どうして現れない！！
「もう絶好だーーー！！」
肌をまさぐられる嫌悪感をロイエンタールへの怒りにすり替えたその時……
「それは困る」
憎らしい程に甘い声と爆音が轟き渡った。
その爆音の意味を理解していたのは、恐らくヘネラリーフェだけだろう。
男達の意識が外へ向けられるのと同時に、華奢な肢体を拘束していた腕が緩む。
その隙を逃さず、ヘネラリーフェは激痛に呻きながらも泣きじゃくるガブリエルをベッドの上から引きずり降ろした。
「リーフェさん……」
「伏せて！！」
甘やかな薫りとアルトの声を至近に感じ取って正気を取り戻したガブリエルに覆い被さるようにして、ヘネラリーフェは床に伏せた。
「静かになるまで動かないで」
言う傍から、頭の上を銃弾が行き交う。
ガブリエルにも漸く周囲で何が起きているか合点がいったらしい。
彼女は夢中でヘネラリーフェに縋り付き、強く抱き付いた。
（女の子って柔らかいな〜〜）
場にはそぐわない感想をヘネラリーフェが抱いたのは言うまでもない。
「レニ！！」
逞しい腕に抱き起こされた時初めて、ヘネラリーフェは己が意識を失っていた事を悟った。
ゆるゆると開かれた青緑色の双眸の眼前には、青ざめた美貌と怒りに淀んだ二色の瞳。
目を合わせて安堵の笑みを浮かべたのは、双方同時だった。
だが次の瞬間、掠れてはいても威勢の良い怒声が響き渡る。
「来るのが遅い！！」
そう言う間も、対テロ憲兵隊がテロ男共を容赦なく引っ立てていく。
ミッターマイヤーは、ヘネラリーフェの無事を確認すると、憲兵隊と行動を共にするべくその場から立ち去った。
「済まない…… 車が混んでてな」
素直に謝るロイエンタールに、だがヘネラリーフェは手厳しい。
「どうせここを割り出したのはシェーンコップだろ？」
途端、ロイエンタールの口調が変わった。
「ああ、そうだ！！」
だが…… いや、だからこそ今の今まで知らなかった。
「お前の身体の中に、発信器が埋め込まれているなんてな！！」
ロイエンタールが御立腹なのは、同盟の僚友は知っていたこの『機密』を、自分には知らされていなかった事にではなく、白皙の肌にメスを入れた事に対してだ。
「いつ仕込んだ？」
「……………」
いや、そんな事はどうでも良い……
「とにかく、無事で良かった」
ロイエンタールは可憐な口唇に軽く口付けると、血塗れのヘネラリーフェの身体を己のブルーケープで優しくくんでそっと抱き上げ、意外な事にシェーンコップの腕に預ける。
そして、空になったその手を床に座り込むガブリエルへと差し出した。
「お怪我はありませんか、フロイライン・ラエル」
「オスカー様……」
人間なら誰しも見取れずにはいられない華のある端正な面に見つめられて、だがガブリエルは頬を赤らめる事もなく、極めて落ち着いた声で答えた。
「大丈夫ですわ、リーフェさんに守って頂きましたから」
ロイエンタールの手を借りて立ち上がると、ガブリエルは一目散にヘネラリーフェの元に駆け寄る。
「助けてくれてありがとうございました。あの…… 大丈夫ですか？」
とは問い掛けたものの、出血量が大丈夫ではない事を証明している。
青ざめるガブリエルに、だがヘネラリーフェは微笑みかけた。
「見た目が酷いほど、案外大丈夫なものよ。それより……」
久々の再会だし、ロイエンタールとゆっくり話したら？
「積もる話しもあるでしょうし」
そう言って、ヘネラリーフェは己を抱くシェーンコップに病院に連れて行ってくれるように頼み、ロイエンタールとガブリエルを置いて去ろうとする。
どういう結果になるにせよ、気を利かせたつもりだったのだ、意外にもそれを拒んだのはガブリエルだった。
「いいえ、その必要はありませんから」
ロイエンタールを含む全員が意外な表情をしたのは言うまでもない。
「何故？ ロイエンタールが好きなんでしょ？ 会いたかったんじゃないの？」
恋敵（？）に必死に問い掛けるヘネラリーフェの行為が可笑しいのか眩しいのか、ガブリエルはクスクスと笑い出した。
「昔の想いは吹き飛んだわ。リーフェ、貴女を見てるうちに」
先程までの他人行儀名態度は何処へやら……
勿論ヘネラリーフェにしてみれば、打ち解けてもらった事は何より嬉しいのだが。
だが意外性は捨てきれない。
「ロイエンタールの事、諦めるつもりなの？」
「諦める以前に恋いに発展していないわ」
それに、どうやら恋ではなく、幼なじみとして好きだったようで……
ガブリエルはニコニコ笑いながらヘネラリーフェの手を握り締める。
その手をヘネラリーフェは思わず握り返していた。
「そう……」
ここでヘネラリーフェの悪戯心がムクムクと頭を擡げる。
と言うか、冗談ではなく殆ど本気の気持ちなのだが……
「だったら、私に乗り換えない？」
そして、傷の痛みに顔を顰めながらも、身体を捩ってガブリエルの頬にそっと口付けた。
ガブリエルは頬を赤らめながらも微笑み、ヘネラリーフェの性格を把握しているシェーンコップは大声で笑い出し、上官の性格をそれなりに把握しているブルームハルトは失笑。
ロイエンタールは、やはりヘネラリーフェの性格をシェーンコップ並に把握していたからこそ、逆に憮然とした表情を浮かべるしかなかった。
結局４人仲良く車中の人となる。
運転席にはブルームハルト、助手席にはシェーンコップ、後部座席にガブリエルとヘネラリーフェを抱いたロイエンタール。
ロイエンタールの腕の中で、ヘネラリーフェは荒い息を吐いている。
安堵した途端に、傷の痛みが甦ってきたのだろう。
実際、ただ撃たれただけでなく、その傷を散々痛め付けられたのだから、精神も肉体も限界を訴えてもおかしくはなかった。
それでも、狭い空間内で巻き起こされる人間関係が気になり、賢明に意識を保たせ、場を和ませようとそれぞれに話し掛けようとする。
が、心配するあまり怒りマックスの状態なロイエンタールが彼女の瞳に口付け、その瞼を強引に閉じさせた。
「病院に着くまで大人しくしていろ」
ロイエンタールの気持ちはすぐに汲み取られる。
彼の怒り口調の言葉の中に、この場は俺に任せろ的なものが込められている事に気付いたのだ。
シェーンコップに喧嘩を吹っかける事も、ブルームハルトを圧死（？）させる事も、ガブリエルを無下に傷付ける事もないと判断出来たヘネラリーフェは大人しく目を閉じ、そして程なく意識を手放した。
腕の中の身体の重みが増した事に気付き、ロイエンタールは安堵の溜息を吐く。
意識がなければ、周囲に必要以上に気を使う事もないし、言葉を紡ぐ事もない。
動かなければ身体には力が入らず、力が入らなければ出血も少しは納まる。
出血が少ない方が、体力の回復も早い。
普通なら意識を無くされれば反対に心配も高まるものだが、ロイエンタールの安堵はそう言う意味でのものである。
そうして、ヘネラリーフェの花の顔（かんばせ）を愛しげに見やった後、彼はガブリエルの方に向き直った。
「此度の事、政府の一員としてお詫び申し上げます」
新聞に載った事が今回の事件に関係しているのかどうかは調査してみないと分からない。
今朝の新聞の存在が、犯人グループにガブリエルの存在を知らしめたのではないとは言い切れないのだ。
もし新聞の記事が事件の発端なら、それはロイエンタールの存在故と言う事にもなる。
彼は真摯に詫びた。
ガブリエルは何も言わずに、ロイエンタールの眼前にスッと手を差し出す。
「キスはして下さいませんの？ 私、既に社交界にデビューしておりますのよ」
「失礼した」
どちらかと言うと悪戯っぽい苦笑を湛えたガブリエルの手を取ると、言われるままに素直に彼女の手の甲にそっと口付けた。
その瞬間、ガブリエルの表情が変わる。
彼女は気付いた。
端麗な口元に浮かぶ、嘲笑的にも取れる苦笑の裏側にある本当のロイエンタールの姿に……
（オスカー様……？）
「あの……」
口唇が離れると同時に口を開いたのは、だが戸惑いを隠せないガブリエルではなくロイエンタールの方だった。
「お恥ずかしい話しです」
端正な面に自嘲じみた苦笑が浮かぶ。
「お気付きのように、私は震えています」
ヘネラリーフェを失うかもしれない。いや、傷付けられるだけで、このザマである。
怖くてたまらない……
全身の震えが止まらない……
心が凍えて仕方ない……
逞しさと優美さを兼ね備えたその指は、凍り付く程の冷たさを秘めて震えてた。
「貴女の、いえほぼ全ての人間の目には、私は不適で自尊心の化け物と映るでしょう」
だが、実際はこんなにも脆くて弱い。
「情けない男です、私は」
婚約が、とうの昔に反故になっていて良かった……
「私は貴女を守るに相応しくない男です」
「私も……」
ガブリエルもまた自嘲の笑みを浮かべる。
「私も、婚約話がご破算になっていた事に感謝しますわ」
だって……
「あんな姿を見せ付けられたのでは、女にとっては垂涎ものですもの」
「？？？」
その言葉を裏付けるかのように、それから毎日ガブリエルはロイエンタール家を訪れた。
ヘネラリーフェは運び込まれた病院で手当を受け、様子見の為に一晩入院したが、医者とロイエンタール家の主治医から、翌日の午後には自宅療養の許可をもぎ取り主寝室を陣取っている。
ガブリエルの目的は、この寝室の女主人だ。
「リーフェ♪♪♪」
「ラエル♪♪♪」
ヘネラリーフェにキスされて超絶に幸せそうな笑みを浮かべるガブリエルの姿に、ロイエンタールは深々と溜息を吐く。
「何、溜息なんて吐いてるのよ」
「相手が男なら殴り飛ばす所なんだが……」
いかんせん…… 相手が女性で、しかもヘネラリーフェが『寵愛』しているとあれば、苦々しく思いながらも見ているしか策がない。
「可愛いでしょ、彼女（はーと）」
そうか…… そういうものなのか？ そういう問題なのか！？
自問自答を繰り返すロイエンタールは内心で、
（頼むから、男でも女でも、これ以上レニ信望者を増やすのはやめてくれーーー！！）
ロイエンタール家の女主人が、助けた可愛い女の子に惚れられてレズに走ったと言う噂が巷に広まったかどうかは分からない。
「妙な言い掛かりを付けるな！！ 友達よ、ト・モ・ダ・チ(^_-)-☆」
PS：怪我が治ったら、身体の中にある発信器について、詳しく話しを聞かせて貰うからな！！
byロイエンタール
Fin
どうも、微妙に趣旨がずれているというか、何が書きたかったのか分からなくなっています(__;)
制作に３週間『も』掛けると、最初に思い付いた『ネタ』は忘却の彼方……
これが新刊用の作品なら、書き出す前にプロットと登場人物をまず書き出して、それから執筆するのですが、単品の短編だと侮ってかかったせいか、この有様です。
久々に強いリーフェを書きたかったのに、なんだか違うな〜〜
文体も、ちょっとズレているし(ノ_＜。)
それでも、前作アップから３ヶ月で新作が書けたの事は、本人にしてみれば調子が良い方です（爆）
もう少し勘を取り戻したいなぁぁぁぁぁ（溜息）
ちなみに、リーフェが寵愛するという設定に落ち着いてしまったガブリエル、今後出てくるか否かは分かりません。
だって、髪や瞳や細かい性格の設定を、一切（説明）しないままで終われる位のキャラだったし＜オヒ
ロイエンタールをおちょくる為に作ったキャラと言えなくもないし＜コラ
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