Piano
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目覚めると、横にいる筈のロイエンタールの姿は既になかった。
「今日は、確かお休みの筈よね」 寝ぼけ眼で呟きながら寝室の隣の居間への重厚な扉を開けると、そこには新聞を広げるロイエンタールの姿があった。 「ロイエンタール、おはよう♪」 ソファに座る彼の背後からヘネラリーフェが近付くと、ロイエンタールが可憐な口唇に口付けてきた。 「もう昼だぞ」 苦笑するロイエンタールにヘネラリーフェは頬を赤らめた。 「もう、起こしてくれれば良いのに」 「あまり気持ちよさそうに眠っていたから、可愛そうだと思ってな」 それより…… と、ロイエンタールがヘネラリーフェの肩にレースのガウンを羽織らせると、やおら手を引っ張って私室から廊下へ出た。 「何処に行くの？」 「良いから、黙って付いてこい」 そう言うと、ロイエンタールはヘネラリーフェの細い手首を掴んだまま、ぐいぐいと引っ張った。 連れて行かれたのは、１日１回は入る部屋。 防音設備の整ったその部屋は、音楽室だ。 扉が開けられると、青緑色の瞳に飛び込んで来たのは、黒光りするグランドピアノ。 蓋を開けると、飛び込んできたのはそのピアノの銘だった。 「嘘……ベーゼンドルファー！？」 そこでヘネラリーフェは暫し考え込む。 「ねえ、ロイエンタール？」 「なんだ？」 「今日って１０月２６日よね？」 「そうだな」 「貴方の誕生日だったと思うのだけど」 「そういえば、そうだったな」 誕生日など忌まわしいものとしか思えないロイエンタールの言葉は、どこか他人事のようだ。 「私がプレゼントを貰うのって、ちょっとおかしくない？」 しかも、ＡＤの頃のヨーロッパの逸品だ。 「ついでに聞くけど、昨日まで弾いていたスタンウェイはどうしたの？」 「売った」 「そう……」 捨てただなんて言ったら殴ってやろうと思ったんだけど、売ったって言うんじゃ怒れないわ。 「で、どうして今日これをプレゼントしてくれる気になったの？」 鍵盤を細い指で撫でながら問う。 「俺の誕生日を祝って欲しくて」 誕生日など忌まわしいものとしか思えなかった。 「だが、お前と出逢って、お前になら祝って欲しいと思った」 素直にそう思える自分がここにいる。 「つまり、プレゼントにピアノを弾けば良いのね？」 「弾いてくれるか？」 「勿論」 リクエストは？ 「そうだな……ショパンの夜想曲（ノクターン）、２０番はどうだ？」 「ショパンの遺作ね」 それで良いの？」 「ああ、それが聞きたい」 「ＯＫ」 ヘネラリーフェはロイエンタールをアンティークの布張りのソファに座らせると、彼の端麗な口唇にキスを落とし「ハッピーバースデー」と囁いてから、ピアノの前に腰掛けた。 やがて、ヘネラリーフェのたおやかな指が鍵盤を滑り、少し切ない旋律が流れ始めた。 （優しい音だ） 母レオノラもピアノを弾いていた。 だが彼女の奏でる音は、冷たさを感じさせた。 だが、最愛の愛人であるヘネラリーフェの奏でる音は切なくて甘くて哀しくて、そして優しい。 （音に抱かれているようだ） ロイエンタールは、目を閉じて音に身を任せる。 やがて、最後の旋律を迎え、音は消えた。 ロイエンタールが目を開け、拍手をする。 「お粗末様でした」 レースのガウンを撮んで、ヘネラリーフェが頭を下げる。 「いや、見事な出来映えだった」 「そう言って貰えると、嬉しいわ♪」 「今日は、ずっとお前の奏でる音に酔っていたいな」 「それは、今日一日ピアノを弾いていろってこと？」 「お前がピアノを人前で弾くなんて、滅多にないことだろう？」 そう、ピアノを教えてくれたのは、亡きダグラスだった。 そのダグラスが死んだ時、彼女は弾くことを止めてしまったのだ。 実家にあるピアノは封印され、景色の一部と化してしまった。 だが、ソレイユ・ルヴァン（←既刊本Monn Rudderに御出演）との再会が、彼女を再びピアノへと駆り立てた。 ヘネラリーフェは再びピアノを引き始めた。 その為に、ロイエンタールは音楽室を設置し、ヘネラリーフェにスタンウェイを贈ったのである。 だが、彼女はロイエンタールの前でしか弾かなかった。 しかし、仕事が忙しいロイエンタールの耳に、彼女のピアノの音が流れ込んでくることは滅多になくて…… 「何でも良い、弾いていてくれ」 「わかった……」 了承の言葉を紡ぎ、ヘネラリーフェが再びピアノを奏で出す。 ショパン、モーツァルト、バッハ、リスト、ガーシュインetc、彼女は思い付くままに弾いていった。 気が付くと、既に夕刻になっていた。 ふと見やると、ロイエンタールは気持ち良さそうに眠っている。 「やぁねぇ、折角弾いてあげたのに」 クスクス笑いながら、ヘネラリーフェはソファの背に掛けてあった自分のショールをロイエンタールの身体に掛けてやった。 何気なく音楽室の室内を見渡すと、ガラスが入った戸棚が目に入る。 なんとなしに開けてみると、そこにはバイオリンケースが置かれていた。 開けてみると、出てきたのは、かなり年代物そうな飴色に光るバイオリン。 「わぁ、綺麗なバイオリン」 銘を見ようと、バイオリンの内側を覗き込んだ所で、ヘネラリーフェは目を見開いた。 「これ、ガルネリじゃない！！」 １７世紀後半から１８世紀前半に掛けて、約３００本程を制作した人物だと、ものの本で読んだ。 その人生は刑務所に入るなどの破天荒なもので、現存するバイオリンは１４０本程だと言う。 「そのうちの一本ということよね、これって」 だとしたら、もの凄い財産だ。 「ロイエンタール、ロイエンタール！！」 揺る起こされたロイエンタールは、ゆっくりと目を開けた。 「ねえねえ、これ貴方のバイオリンなの？」 無邪気に問い掛けてくる言葉に、ロイエンタールの視線がバイオリンに向けられる。 「それは……」 一瞬、ロイエンタールの金銀妖瞳が顰められた。 それを見たヘネラリーフェは、ハッとしたように言葉を呑み込んだ。 「ご、ご免なさい……」 あまり良い想い出のあるものではなかったようね…… 「いや、お前が触れてくれたから、もう嫌な物ではなくなった」 「本当に？」 「ああ」 そう言うと、ヘネラリーフェも手からバイオリンを取り上げ、その本体に口付けを落とした。 「これ、貴方の？」 「一応そういうことになっている」 「弾けるの？」 「少しならな」 小さい頃、父親の取引先の子供達と張り合う為だけに習わされたのだが、練習は嫌ではなかった。 「何か弾いてくれる？」 「そうだな、簡単な小品くらいなら、なんとかなるかもな」 それに、お前が伴奏をしてくれれば…… 「伴奏ね、ＯＫ」 で、何を弾く？ 「マスカーニなんてどうだ？」 「カヴァレリア・ルスティカーナね」 「ああ」 「良いわ、それでいきましょ」 そうして、二人のコンチェルトが始まった。 二人の奏でる音が、優しい旋律を描いて、重なりあって流れていく。 演奏が終わると、ロイエンタールはホッと安堵の溜息を吐いて、バイオリンを降ろした。 「上手〜〜」 ヘネラリーフェがきゃあきゃあ言いながら拍手する。 「やめろ」 照れたように、ロイエンタールは突っ慳貪に言った。 「恥ずかしがらなくても良いじゃない」 ホントに上手かったんだから…… 「音楽家を目指していたお前に言われるくらいだから、俺も捨てたもんじゃないってことか？」 「そうよ♪」 その時、ヘネラリーフェが良いことを思い付いたとでも言いたげに、手を打った。 「ねえ、三日後に、同盟の将校を招いて、パーティーがあるじゃない」 ヤン・ウェンリーに、キャゼルヌ、アッテンボロー、シェーンコップ、他ヤン・ファミリーの面々が招待されているのだ。 「そこで、一発芸でもしない？」 「はぁ？」 「貴方がバイオリンを弾いて……」 「お前がピアノか？」 だが、ヘネラリーフェはビックリするようなことを言い出した。 「ノンノン、私は伴奏と歌♪」 「歌？」 そう言えば、ヘネラリーフェの先輩でもあり、亡きダグラスの同僚だというアッテンボローという男が言っていた。 ヘネラリーフェのピアノは天下一品だが、歌も捨てたものじゃないと。 だが、その歌声は、ピアノ以上に聴くのが難関だとも…… 「何を歌うんだ？」 「今から作る」 「お前、作詞作曲まで出来るのか！？」 「まあね」 ウインクを決めると、ヘネラリーフェは部屋からロイエンタールを追い出し、早速創作を始めた。 夜が明ける頃、ヘネラリーフェは眠そうな風情で音楽室から姿を現し、ロイエンタールの眼前に楽譜を置く。 「まさか一晩で作り上げるとはな」 「だって、練習する時間がなくなっちゃうじゃない」 そう言うと、ロイエンタールを音楽室に引きずって行き、猛特訓を始めたのであった。 練習は、朝起きてからロイエンタールが出府するまでと、帰宅してから就寝までと定められ、ロイエンタールはヘネラリーフェに叱咤激励を受けながらバイオリンを演奏したのであった。 ＊＊＊ パーティー当日、元帥府から直接皇宮の広間に行くことになっているロイエンタールの代わりに、ヘネラリーフェがガルネリを持って皇宮に赴いた。 君が傍にいるだけで 優しくなれるよ 「へぇ〜〜 大したもんだな」
Fin
＊かいせつ＊ お待たせ致しました！！ 2005/10/25 かくてる♪ていすと 蒼乃拝 |