|
「どうした！？」
元帥府に現れたヘネラリーフェは、頭の先から爪先まで、全身ずぶ濡れだった。
「カフェでお茶飲んでいたら、ウェイターがふらついて、ピッチャーに入った水が思いっきり降ってきたの」
訴える言葉には泣きが入っている。
「ロイエンタール、シャツ貸して〜〜」
「わかった、とにかくこっちへ来い」
そう言うと、ロイエンタールは執務室の隣にある寝室に案内した。
その部屋は、仕事で帰れなかったりする場合の緊急時に使用する寝室なのだが、さすがに元帥閣下の執務室にくっついている部屋だけに、シティホテル並に設備が整っている。無論、ベッドはダブルだ。
ロイエンタールはドアを閉めると、その部屋に置いてある自分のシャツをヘネラリーフェに放り投げた。
「シャワーも浴びた方が良いな」
そう言って、バスルームへのドアを開ける。
「どうやって帰ろう？」
ロイエンタールのシャツを貸してもらっても、それだけでは帰れない。
「心配するな。皇妃陛下にでも着替えを貸してもらってくるから」
それに、今夜は早く帰れそうだから、一緒に帰れる。
もしかしたら、それまでにヘネラリーフェの服が乾くかもしれない。
（最悪の場合、俺のケープでくるんで帰れば良いだけの話しだ……）
「とにかく、シャワーを浴びて、ベッドにでも入っていろ」
そう言い残すと、ロイエンタールは寝室から出て行った。
（それにしても、あいつが元帥府の方に逃げ込んでくるとは珍しい）
最近は軟化傾向にあるが、それでも尚続く彼女への中傷誹謗を浴びるのが嫌で、ヘネラリーフェは滅多に元帥府には現れない。
それが、今日は一目散にここに逃げ込んできたようだ。
「よっぽど、堪えたのかな？」
そもそも、ヘネラリーフェが降ってくる水を避けきれなかったことも不思議だ。
「あいつ程の反射神経があれば、避けるなど造作もないことの筈なのに」
色々なことが頭の中を駆け巡ったが、とにかく早く帰れそうだと言った手前、早く仕事のキリを付けた方がよかろうと判断したロイエンタールは、早々にデスクを占領する書類に向かった。
夕刻、寝室のドアを開けると、ベッドの上でスヤスヤ眠るヘネラリーフェの姿が目に入った。
「緊張感のない奴だな」
思わず笑いが込み上げてくる。
「リーフェ、起きろ。帰るぞ」
肩を揺すると、青緑色の瞳がゆっくりと開かれる。
「もう朝？」
「何を寝ぼけているんだ、ここは元帥府だ」
「はれ？」
ヘネラリーフェはベッドから起き上がると、辺りをキョロキョロと見渡した。
そして暫し考える。
「そっか、私、ずぶ濡れになって、ここに飛び込んで来たんだっけ」
「やっと目が覚めたか？」
「うん」
「では、帰るぞ」
ロイエンタールがサクサクと寝室を出て行こうとする。
「ま、待って、私の着替えは？」
「ああ、そこのソファに掛けてある」
どうやら、皇妃ヒルダに借りるまでもなく、ちゃんと乾いたようだ。
ヘネラリーフェは慌てて着替えると、ロイエンタールの後を追った。
帰宅すると、既に夕食の支度が調っていた。
ヘネラリーフェに手伝ってもらって、手早く着替えると、ロイエンタールとヘネラリーフェは仲良く食卓に付く。
見掛けたことのないメイドが、二人の前にワイングラスを置きに来る。
「新入りか？」
「はい、旦那様」
そう言ったメイドが、ヘネラリーフェの横に回る。
その時、メイドの手からワイングラスが落ちた。
「痛っ」
ヘネラリーフェが咄嗟に手の甲を押さえる。
「リーフェ！！」
ロイエンタールが押さえたヘネラリーフェの手をどかせると、そこは一文字に切れており、血が滲み出ていた。
どうやら、落ちたグラスが割れて、破片が飛び散り、その欠片がヘネラリーフェの手の甲を直撃したようだ。
「も、申し訳ありません」
メイドが慌てて頭を下げる。
「良いわよ、大したことはないから」
苦笑混じりにヘネラリーフェがそう言うと、メイドは泣きながらダイニングを飛び出して行った。
後からわかったことだが、このメイドはこの日を境にロイエンタール家を辞したようである。
一方、ヘネラリーフェは他のメイドに手の甲の傷を消毒して貰った上にガーゼを当てて貰って、手当を終了させた。
「痛むか？」
「やあね、ほんの擦り傷じゃない」
苦笑するヘネラリーフェの姿にホッと安心の溜息を吐くと、二人は夕食にありついたのであった。
翌日、ロイエンタールが帰宅すると、指に包帯を巻いたヘネラリーフェが出迎えてくれた。
「どうしたんだ！？」
「うん、それが……」
言いにくそうにするヘネラリーフェの態度にただならぬ気配を覚えたロイエンタールは、彼女を強引に私室に引きずっていった。
「何があった？」
ソファに座らせると、鋭く訪ねる。
「これ……」
ヘネラリーフェが一通の封書をロイエンタールに差し出す。
「これがどうかしたのか？」
「中、見てみて」
あ、危ないから気を付けてね。
その言葉に、ロイエンタールはそっと封書の中を覗いた。
キラリと光るものが見える。
「カミソリか」
「うん……」
丁度封書を破る位置にカミソリが貼ってあるのだ。
「差出人の名前がないから不審だとは思ったんだけど、まさかこんな仕掛けがしてあるだなんて思ってもみなくて」
何気なく手で破ったら、スッパリと切れてしまったのだ。
「縫ったのか？」
「そこまではいかなかったから、安心して」
ニッコリと笑うヘネラリーフェの姿に、だがロイエンタールは不安を抱いたのであった。
（一体、誰がこんな悪戯を……）
恨みを持つ者が、それとも単なる愉快犯か……
ちなみに、便箋には『死ね』と、ワープロで打ってあった。
宛名はヘネラリーフェである。
翌日、出府したロイエンタールからヴィジホンが入った。
書類を忘れたので、早急に届けて欲しいという内容である。
執事が行くと言うのを、ヘネラリーフェが押し切り、結局彼女が運転手付きの車で元帥府まで書類を持って行った。
元帥府の車寄せでは、ロイエンタールが待っていた。
「はい、これ」
「すまなかったな」
「案外、粗忽者ね、ロイエンタールって」
笑いながら言うヘネラリーフェに、ロイエンタールは苦笑で応えた。
「もう少し待っていてくれれば、一緒にランチが出来るが？」
「ううん、今日は帰るわ」
だから、早く帰ってきてね……
ヘネラリーフェは周りを気にしつつも、伸び上がるようにして、ロイエンタールの端麗な口唇にキスをして、車中の人となったのである。
帰宅するヘネラリーフェを乗せた車が元帥府から暫く走ると、すぐ後ろに黒のBMWが迫ってきた。（←ちなみにロイエンタール家の車はベンツ）
「ちっ」
ロイエンタール家の運転手が舌打ちするのが聞こえる。
「どうしたの？」
「いえ、後ろの車がパッシングしてくるんですよ」
「譲ってあげれば？」
「ここは追い越し禁止です」
それに、車を寄せる場所もない。
道幅が狭いのだ。しかも片側は川である。
その時、車を衝撃が襲った。
「な、何？」
「くそっ、ぶつけてきやがった」
「だ、大丈夫？」
「お嬢様はしっかり捕まっていて下さい！！」
運転手が川に落ちない程度にハンドルを切る。
だが、ＢＭＷは、追い抜いて行くどころか、益々ぶつけてくる有様だ。
「うわっ」
「きゃっ」
遂にBMWは、ヘネラリーフェの乗る車の真横に付け、ぶつけてきた。
スピードが出ている所に、そんなことをされればたまったものではない。
ベンツは、川には落ちなかったものの、反対側の山肌に激突して止まった。
「いたたたた」
ヘネラリーフェが頭を押さえながら身を起こすと、運転手が肩に手を当てて呻いていた。
慌てて後部座席から降りると、運転席のドアを開ける。
「大丈夫！？」
シートベルトを外し、運転手を外に降ろす。
周囲を野次馬達が埋め始めていた。
その人垣に向かって「救急車を呼んで！！」と叫ぶと、ヘネラリーフェは携帯を取り出し、ロイエンタールに連絡を入れたのだった。
『事故だと！？』
受話器からの怒鳴り声にヘネラリーフェは一瞬眉を顰めたが、慌てて説明した。
「いきなり黒のBMWがぶつかってきて、山肌に衝突しちゃったの」
運転手は救急車で病院に搬送中。
「私は、今、その救急車の中にいるわ」
『病院に到着したら、連絡を入れろ』
迎えに行ってやるから。
それに、運転手の具合も心配だ。
ヘネラリーフェは、ロイエンタールの言葉に頷くと、携帯を切った。
結局、運転手の怪我は肩の打撲だけですんでくれて、ヘネラリーフェとロイエンタールをホッとさせた。
帰りは、ロイエンタールが元帥府から乗ってきた車にヘネラリーフェと運転手を乗せて帰宅した。
運転手は、大いに恐縮していたが……
翌日、ロイエンタールが深夜に帰宅すると、ベッドの中で微睡んでいたヘネラリーフェが寝ぼけ眼な風情で「お帰りなさい」と出迎えてくれた。
全裸になりヘネラリーフェの隣に滑り込むと、ヘネラリーフェの指先に目がいく。
「！？」
明らかに、指に巻かれた包帯の数が増えていた。
思わず揺り起こして事の次第を正したい想いに駆られたが、スヤスヤと眠るヘネラリーフェの安眠を妨害するのも可愛そうだと思う。
ロイエンタールは、とりあえず明日問いただしても良いだろうと判断し、睡魔の腕に抱かれるべく、ヘネラリーフェの肩を抱き寄せながら目を閉じたのだった。
翌朝、瀟洒なモーニングルームで、ロイエンタールはヘネラリーフェに詰め寄った。
「その包帯、数が増えていると思うのは気の所為ではないだろう？」
（ギクギク〜〜）
ヘネラリーフェの肩が震える。
厳しい声で尚も言いつのると、漸くヘネラリーフェの口が開かれた。
「また変な手紙が来て……」
でも、前回のことがあったので、今回はハサミを使って封書を開けた。
だが、今度は便箋にカミソリが貼り付けられており、気付かずそれを取り出そうとしたところで、指をスッパリ切ってしまったと言うのが、ヘネラリーフェの言い分だった。
「変質者の仕業か」
「わからないわ」
私も軍人なんて家業に就いているから、恨みは沢山買っているだろうし。
「恨みならば、もっと早い時分から嫌がらせを受けても良いと思うのだが」
考えても考えても、犯人像が浮かんでこない。
ロイエンタールは「あまり出歩くな」と言い置き、キスを一つ残して出府して行った。
翌日の朝、二人は天気が良いからと、朝食をモーニングルームの外にあるテラスで摂っていた。
ヘネラリーフェが紅茶の入ったカップを優美な指で持ち上げる。
と、その瞬間、カップが砕け散った。
「粗忽者だな、お前は」
クスクスと笑うロイエンタールの言葉にヘネラリーフェは目を剥いた。
「違うわ、持ち手はちゃんと持っていたし、割れていないわ」
確かに、ヘネラリーフェの優美な指にはカップの持ち手が引っかかっており、テーブルの上にはカップの本体がバラバラに砕け散っていた。
「中に入れ！！」
咄嗟にロイエンタールが叫ぶ。
「ロイ？」
「狙撃だ」
「何処から撃ってきたのよ」
自分達のいた場所からして、狙撃地点は広大な庭の更に向こうということになる。
「だとしたら、凄い腕の持ち主ってことになるわ」
「そうだな、俺やお前以上かもしれん」
「ご謙遜」
ふふっと笑う辺り、今自分の身に起こったことが如何に重要なことなのかを忘れている節があると、ロイエンタールは溜息を吐きながら思ったのであった。
「今日は仕事を休む」
「そんなに大袈裟にしなくても大丈夫よ」
「狙撃までされたんだぞ、悠長に仕事なんてしていられるか！！」
そう言って、ロイエンタールはチャキチャキとベルゲングリューンに連絡を入れると、仕事を休んでしまったのであった。
「でも、明日も明後日も休める訳じゃないでしょ？」
「明日、明後日は、非番だ」
「あら、お休みだったの？」
「そうだ」
「ふ〜〜ん」
だったら、どこか連れていってよ。
己の置かれた状況を全くわかっていないようなヘネラリーフェの言葉に、ロイエンタールは思いっきり反応した。
「お前、自分の立場がわかっているのか！？」
「だって、この一週間、ロクなことがないんだもの」
故に気分も落ち込み気味だ。
「気晴らし、させてよ」
ヘネラリーフェに哀願されては、Nineとは言えないロイエンタールであった。
危険に晒されている身だというのに、なんと大甘なことか……ロイエンタールは自分の甘さを呪った。
翌日、ロイエンタールは自らで車を操って、ヘネラリーフェを伴って出掛けた。
無論、車の窓は全て防弾ガラスである。
「ねえ、何処に行くの？」
「何処に行きたい？」
「う〜ん、そうねぇ……」
湖なんて、どう？
「そうだな、ではロブノールなんて、どうだ？」
「どういう湖なの？」
「消えてはまた現れる、幻の湖とと言われているんだ」
「へぇ〜 なんだか幻想的でステキな所っぽいわね」
ヘネラリーフェの了承を得た車は一気にスピードを上げ、小一時間のドライブの後、幻の湖「ロブノール」に到着したのであった。
湖は、ブルーグレーの色をしていた。
「綺麗な所」
「気に入ったか？」
「うん♪」
波打ち際ではしゃぐヘネラリーフェの姿に、ロイエンタールは口元を緩めた。
今日のヘネラリーフェの装いは、深いワインレッドのシルクのドレス。
襟と腰のリボンは、黒いベルベットで仕立て上げられている。
ブルーグレーの背景に映えるワインレッドを見て、どんな格好をしても似合うなぁなどと思うロイエンタールであった。
その時、ロイエンタールの左目に微かな光が過ぎった。
「リーフェ、伏せろ！！」
咄嗟に走り出し、ヘネラリーフェの躰に飛び付いて伏せさせる。
途端に、辺りにエネルギー弾が着弾し、砂を巻き上げる。
「何、これ、狙われてるの？」
「悠長なことを言っていないで、車の影に待避しろ」
そう言うと、ヘネラリーフェの躰を庇いながら、二人は車の影に隠れた。
（何処から狙っているんだ？）
ロイエンタールが周囲を見渡す。
「ロイエンタール、あそこ」
ヘネラリーフェが二人のいる場所から９０度の方向を指差した。
そこから、光線がこちらに向かって放たれるのが見て取れる。
（結構、遠いな）
そう考えると、ヘネラリーフェの肩を持ち上げて、正面を向かせた。
「お前、銃を持って来ているか？」
「ええ」
「それを貸せ」
「うん」
頷くと、ヘネラリーフェはドレスのスカート部分をいきなり捲った。
大腿部にベルトが巻かれ、そこに分解した銃が差し込んである。
「そ、そんな所に隠していたのか？」
「だって、ここ以外に隠す場所がないじゃない」
ミッターマイヤーが見たら、鼻血でも吹き出しかねないと思いながら、ロイエンタールはヘネラリーフェが銃を組み立てるのを見ていた。
「はい、出来上がり」
ヘネラリーフェの手の中で鈍く光るそれは、コルト・パイソンの３５７マグナムだ。（←遼と一緒♪ でも、勿論出てくるのは鉛の玉じゃなくて、エネルギー弾です）
「全く、女のくせに、なんて銃を持っているんだ」
威力も射程距離も、そして撃った時の反動も段違いな銃を、その華奢な手で操っているとは到底信じがたいが、この銃がヘネラリーフェの愛用品であることは周知の事実だ。
「ところで、貴方の銃は？」
「俺の銃では、あそこまで届かない」
「じゃあ、私は何をしていれば良いの？」
銃がなければ、応戦できない。
「たまには、守られるお姫様ってのも悪くないだろ？」
そう言うと、ロイエンタールはヘネラリーフェを押し倒して、応戦を始めた。
ロイエンタールが応戦したことで、降ってくるエネルギー弾の数が増す。
ロイエンタールはヘネラリーフェの躰を銃弾から守るように、彼女の躰に覆い被さって応戦した。
（暖かい……）
銃撃戦の真っ直中だというのに、ふとヘネラリーフェはそんなことを思った。
思わず、ロイエンタールの上着の裾を掴む。
「どうした？」
（怖いのか？）
そう問い掛けてくる不適な眼差しの男の身体に、思わず抱き付き、彼の端正な面に貌を近付ける。
「この非常事態に、キスを強請るなんて、お前くらいなものだな」
ロイエンタールが忍び笑いを零す。
次の瞬間、ロイエンタールはヘネラリーフェの細い肩を抱き寄せ口唇を重ねていた。
深く深く合わされた口唇からは、どちらのものともわからない銀糸が伝い落ちる。抱き締めると、ヘネラリーフェが震えているのがわかった。
口唇が離れると、ロイエンタールはヘネラリーフェを再び押し倒す。
「大人しくしていろ」
言いながら思った。
（こいつの肩、こんなに細かったか？）
その細い肩に、どうやって司令官の重責を担っているんだ？
何千万もの命を、どんな想いで背負っているんだ？
どうやって、あの辛い捕虜時代を乗り切ったのだ？
どうしてお前はそんなに強いんだ？
だが、今ヘネラリーフェはロイエンタールの身体の下で震えている。
「怖くない……俺がお前を守るから……」
応戦しながら、ロイエンタールが熱く囁く。
ヘネラリーフェは、その声で落ち着きを取り戻したのか、ロイエンタールに予備のマガジンラックを渡し、携帯を取り出した。
「ミッターマイヤー提督！！ 今、銃撃戦をやらかしているんです」
お願いですから、助けに来て下さい！！
ロイエンタール家からここまで小一時間かかった。だが、軍の権威を盾にスピード違反をすれば、４０分弱で到着出来るだろう。
『場所は？』
「ロブノールです」
『わかった、ケスラーを連れてすぐに向かう！！』
携帯を切ると、ヘネラリーフェはロイエンタールにウインクして見せた。
先程まで震えていた人物とは思えない余裕の仕草だった。
激しい銃撃戦も、ロイエンタールの正確な射撃の元に、徐々に弱まっていく。
ミッターマイヤーとケスラーが到着する頃には、辺りには静寂が漂っていた。
「遅いぞ、疾風ウォルフ」
「これでも、床が抜ける程にペダルを踏んで、スピードを出して来たんだぞ！！」
そう言うと、地に横たわったままのヘネラリーフェに手を差し出した。
「大丈夫かい、リーフェ？」
「あ、はい」
ミッターマイヤーの手を借りて立ち上がると、ヘネラリーフェはドレスの埃をパンパンと叩いた。
「怪我は？」
「全く無いです」
ロイエンタールが庇ってくれたので。
ニッコリと言うヘネラリーフェの笑顔に、ミッターマイヤーもつられて笑った。
「お前の方は、怪我はないのか？」
「ああ、大丈夫だ」
端的に答えながら、ロイエンタールもまた、着衣の埃を叩いている。
「余裕かましているな」
不謹慎だと思いつつも、思わずケスラーは、こう言っていた。
その時、ヘネラリーフェがロイエンタールの背中をつんつんと突く。
「ねえねえ、ロイエンタール」
「なんだ？」
「お腹、減っちゃったぁ」
ヘネラリーフェの言葉に、男三人は脱力した。
一番早く復活したのは、ロイエンタールである。
「もう昼か……ランチにでも行くか」
近くに洒落たレストランがあった筈だから……
そう言って、ロイエンタールはスタスタと歩き出す。
「ちょっと待て〜〜〜！！！」
「なんだ、ミッターマイヤー？」
「卿は事情聴取があるということを忘れているな」
「ああ、事情聴取か……」
「憲兵隊としても、応じて欲しいと思うのだが」
重ねてケスラーが詰め寄る。
「では、昼食を摂りながらでは駄目か？」
卿達も同伴すれば良い。
「そうなれば、一石二鳥だ」
「良いのか？」
言葉はロイエンタールではなく、ヘネラリーフェに向けられていた。
「どうぞ♪」
こうして、風変わりな四人組は、一緒にランチを摂ることに相成ったのである。
「で、何か思い当たることはないのか？」
ミッターマイヤーが出された料理に手を付けることなくロイエンタールに詰め寄る。
「こんな家業だからな、何処で誰に恨みを買っているかわかったものではない」
「それだけではないだろう？」
女絡みとか、男絡みとか、色々あるだろうが……
とは、ケスラーの言。
男三人が真面目に話している傍らで、ヘネラリーフェは出されたスープパスタを、幸福そうな貌でパクついている。
サラダとパスタを食べ、ワインを飲み、つまみに生牡蠣に手を出し、デザートのフルーツを食べ、最後にミルクティーが出たところで、ヘネラリーフェが口を開いた。
「あの〜 ちょっと良いですか？」
「なんですか、フロイライン？」
ケスラーが丁寧に応じる。
「今回の件、狙われたのは、多分私だと思うんですけど」
”ボトッ”
男三人が手にしたフォークから、料理が落ちた。
「リーフェが狙われたと言うのか？」
ミッターマイヤーの言葉に、ヘネラリーフェはコクンと頷いた。
「この一週間、妙なことが立て続けに起きたんです」
ピッチャーから水が降ってきたり、ガラスの破片で手を切ったり、カミソリが二度も送り付けられてきたり、車の当て逃げに、狙撃……
「他に、何か変なことはありませんでしたか？」
ケスラーの言葉に、ヘネラリーフェは暫し考え込んだが、瞬時に「あっ」という貌をした。
「そう言えば、一月程前から、変なプレゼントが贈られてきたんだったわ」
「変なプレゼントと言うと？」
「えっと……」
お生花の花が全部ちょん切られた（つまり茎だけ）花束とか、頸の取れたお人形とか……
「後は、天蚕糸の切れた真珠のネックレスとか、内側に針が仕込んである指輪とか、カミソリの仕込んである髪飾りとか……」
「そんなことがあったのか！？」
俺は何も知らないぞ！！
ロイエンタールが声を荒げるのに、ヘネラリーフェは些か恐縮したように言った。
「だって、言う程のことでもないと思ったんですもの」
心配を掛けたくなかったし、どうせ悪戯だと思っていたのだ。
「それって、ストーカーと言うんじゃないのか？」
「だよな、絶対にストーカーだと思う」
「ですね」
「そんなものですか？」
「心当たりはありませんか？」
誰かが貴女に懸想しているとか……
「愛憎を秘めている奴とか……」
過去のリートベルクの事件のことだと、ヘネラリーフェは思った。
「リートベルクの馬鹿は、処刑になったわけでしょ？」
だったら、心当たりなんてないわ。
「尤も、リートベルクの恋人とか愛人とか親戚とかがいたとしたら、可能性は高まるけど」
「だが、やり口からすると、ストーカー行為としか思えないから」
恐らく犯人は男だろう。
「そうなると、尚更思い当たる相手がいません」
四人はそれぞれ溜息を吐いた。
結局、その日は帰路についた。
さすがに、帰りは狙われることもなく、スムーズに帰宅出来た。
ロイエンタール家でも何も起こらず、二人は闇の安寧に抱かれるようにして、安らかな眠りについたのである。
数週間後、ロイエンタールは夕食の席でこう切り出した。
「お前を狙った奴だがな」
「犯人、わかったの？」
「ああ……それが、リートベルクの弟だった」
「へ？ あいつに弟なんていたの？」
「腹違いだそうだ」
「それって、あの男が一番見下す相手じゃない」
「そうなんだが、あういう性格の男だろ？」
後々役に立つかもしれないからと、結構可愛がっていたらしい。
「ま、見せ掛けだけだがな」
心の中では見下していたに違いない。
「きっとお前にしたように、外見では優しい男を演じていたんだろう」
そして、その兄を失った弟は、ヘネラリーフェに恨みをぶつけてきた。
「まあ、お前を付け回すうちに、お前に惚れたのかもしれないな」
それがエスカレートして、ストーカー行為に至った。
だが全く相手にされなかった為に、愛憎がひっくり返ったのだろう。
「似た者兄弟ね」
「全くだ」
「で、その弟はどうなったの？」
「ケスラーが逮捕に向かったが、自殺していたそうだ」
「そう……」
哀れね……
ヘネラリーフェはグラスのワインを飲み干すと、そう呟いた。
愚かな兄のおかげで、自分の運命を狂わされたも同然だったのだ。
にも関わらず、それに気付けず逝ってしまった。
「そして、私はまた血縁者を失った訳だ」
「惜しくもない人間だろ？」
「そうね……」
そんな愚かな血縁者などいらない。
「ロイエンタールがいてくれれば、私は何もいらないわ」
「俺も、お前がいてくれたならば、何もいらない」
名誉も富も地位も、全て投げ出しても構わない。
「愛している」
「うん、私も」
二人は見つめ合い抱き合うと、早々に寝室に引き取り、肌を重ねながら眠りに墜ちたのであった。
Fin
ロイエンタールのお誕生日作品を書かなくてはならない時期に、何を書いているんでしょう、私は！！(^^ゞ
今回は、格好良いロイエンタールが書きたくて、創作した作品です。
が、あまり格好良くならなかったか？？？
それにしても、ヘネラリーフェにとっては、災難以外のなにものでもない事件でしたね。
ストーカーだなんて、でも彼女が今まで合わなかったのは不思議なことなのかもしれません。
ま、ロイエンタールが、ヘネラリーフェに言い寄る男を眼死させているでしょうから、そのお陰で今まで無傷だったのかも（笑）
しかし、まさかあの馬鹿従兄弟がまた出てくるだなんて、蒼乃も予想しませんでした。
何やら、急に出てきちゃったんですよ、あの馬鹿従兄弟。
なんて存在感のある奴なんだろう……これも愛憎故にか？(__;)
ちなみに、作中に出てきた「コルト・パイソン３５７マグナム」は、シティーハンターの冴場遼の愛用品です。えへ、格好良いから、パクっちゃった(^^ゞ
ともあれ、今度こそロイエンタールのお誕生日作品に突入します！！
|
