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ロイエンタールの帰宅に、階段から駆け下りてきたヘネラリーフェが叫んだ。
「ロイエンタール、どうしたの！？」
帰宅したロイエンタールは、右腕を白い三角巾で吊っていた。
まさかロイエンタールが『転けた』などということはなかろう。
何かしらの事故か……
だがロイエンタールの端麗な口元から発せられた言葉は、ヘネラリーフェを凍り付かせるのに十分な効力を持っていた。
「撃たれた」
「貴方が狙われたの？」
声は震えていた。
「そうかもしれん」
「止めてよ、縁起でもない！！」
ロイエンタールの身体に取りすがるヘネラリーフェの青緑色の双眸から涙が零れ落ちる。
「落ち着け……俺が狙われた訳でなないかもしれぬ」
傍にキルヒアイスも、ミッターマイヤーも、何よりカイザーがおいでだった故に……
「じゃあ、カイザー・ラインハルトが狙われた可能性もあるってことね？」
「ああ、その他の人間も、それぞれ狙われた可能性がある」
ヘネラリーフェの幾分落ち着きを取り戻した声音に対して、ロイエンタールは端的に答えた。
「でも……」
個人的な恨みという点では、キルヒアイスもミッターマイヤーも狙われる可能性は無いとは言い切れないものの、あまりないと言えよう。
尤も、国家が絡んでくれば別であるが。
だが今日いた面々を考えると、狙われたのは、カイザー・ラインハルトかロイエンタールである可能性が高くなってくるのではないのだろうか？
だがヘネラリーフェの心配を余所に、ロイエンタールはいつものように振る舞う。
「ところで、お帰りなさいのキスはないのか？」
ロイエンタールの言葉に、ヘネラリーフェは一瞬唖然とした。
（この非常時に何、悠長なことを言っているのよ）
だが、確かにいつまでも玄関先に居る訳にもいかない。
ヘネラリーフェは、ロイエンタールの右腕に負担を掛けないように、伸び上がるようにして、彼の端麗な口唇に口付けた。
「お帰りなさい」
そして、その華奢な腕で、ロイエンタールをそっと抱き締める。
「ただいま」
ロイエンタールの優美な左手が琥珀色の髪を掻き乱し、口唇がヘネラリーフェの白い額に触れてきた。
「とにかく着替えましょうか」
ヘネラリーフェはロイエンタールを私室へと誘った。
首の後ろの三角巾の結び目を解き、ケープを取り、前へ回って上着のボタンを外して上着を脱がせる。
「大丈夫？」
袖から腕を抜くときに、ロイエンタールの顔が僅かながらも苦痛に歪んだのを見て、ヘネラリーフェが心配そうに声を掛けた。
「ああ……」
ワイシャツのボタンを外して前を寛げると、右肩から肘にかけてキッチリと巻かれた白い包帯が露わになる。
吸い寄せられるようにして、ヘネラリーフェは包帯の上からそっと口付けた。
「貴方が狙われたのだとしたら、腕で済んで、運が良かったのかもね」
何気に言うと、ロイエンタールの眉が顰められた。
「俺の右腕の位置は、カイザー・ラインハルトの心臓だ」
「じゃあ……」
「ああ、カイザーが狙われた可能性がこれで一層高くなったと言うことだ」
（そう……貴方が狙われていないのなら、ひとまず安心だわ）
ヘネラリーフェは、まるで他人事のように、内心で思った。
「……フェ、リーフェ？」
ロイエンタールの呼び声に、ヘネラリーフェは慌てて顔を上げる。
「あ、ごめん、何？」
「いや、いつまでこのまま立っていれば良いのかなと思って」
見れば、ロイエンタールはワイシャツの前をはだけた状態で、下は軍服のスラックスをはいたままだ。
「あ……ごめんなさい。えっと、何を着る？」（つうか、自分で着替えろよ、ロイ＝怪我してるんじゃ可愛そうか？）
考えてみれば、ロイエンタールは就寝時はいつも素っ裸で寝る。
でもって、帰宅も遅い為、私服に着替えている時間もないのが現状だ。
つまり、帰宅後ベッドにダイビングという状態が多い彼なので、帰宅後すぐに全裸状態なのである。
「ガウンでも羽織っている？」
「そうだな、それで良い」
ロイエンタールが答えると、ヘネラリーフェは、ワイシャツとスラックスを脱がせ、肌の上に直接ガウンを羽織らせた。
「夕食、出来ているそうだけど、食べる？」
「そうだな、久々にお前と顔を付き合わせて食事をするのも悪くない」
そう……彼が言うほど、二人は食事を共にしていない。
「普段、夕食はどうしているの？」
「レッケンドルフに軽食を運ばせている」
「ちゃんと、お肉もお魚もお野菜もバランス良く取っている？」
ちゃんと栄養取らないと駄目よ！！ ただでさえ、貴方は好き嫌いが多いのだから……
ヘネラリーフェの苦言に、ロイエンタールは苦笑した。
階下のダイニングへ行くと、既に夕食の準備が整っていた。
「わぁ、美味しそう♪」
ヘネラリーフェの嬉しそうな顔に、ロイエンタールの口元も緩む。
「なんだか、いつもは不味いという言い方だな」
「お宅の三つ星シェフが作ってくれる食事は美味しいけど、でも、一人で食べるのって好きじゃないから……」
ロイエンタールは、ヘネラリーフェの生い立ちを想い、口元を引き締めた。
その日の夕食は、久々に和やかに進んでいった。
ただ、怪我人に酒は宜しくないとばかりに、ロイエンタールの手がワインの瓶に伸びると、ヘネラリーフェがその手をペチンと叩き落とすというシーンが時折見られたが……
夕食を終え、私室の寝室に引き取ると、ヘネラリーフェはロイエンタールを早々にベッドへと追い遣った。
珍しく大人しく言うことを聞いたロイエンタールが広いベッドに横たわると、ヘネラリーフェが額に手を当ててきた。
「ちょっと熱があるみたいね」
「そうか？」
「うん、そんなに高くはないと思うけど、でも怪我をしているからね」
とにかく、今夜はゆっくり休んだ方が良いとばかりに、ヘネラリーフェの優美な手が、眠りを促すようにロイエンタールの金銀妖瞳を覆った。
大人しく目を瞑ったロイエンタールの隣に、朱い長襦袢を纏ったヘネラリーフェが滑り込んでくる。
「最近、和服が多いな」
無意識にその躰を抱き寄せると、ロイエンタールは目を瞑ったままヘネラリーフェに話し掛けた。
「うん、結構楽だから」
それに、ロイエンタールにしても、こういう格好、嫌いじゃないでしょ？
「ああ、確かに」
優雅なのドレスに身を包むヘネラリーフェの麗姿も好きだが、東洋風に装ったヘネラリーフェの麗姿はひと味違う。
要するに、色っぽいのだ。
ロイエンタールの腕の中で、「ふふっ」と笑いながら彼の方に顔を向けたヘネラリーフェに、ロイエンタールは言葉を綴った。
「リーフェ、頼みがあるんだが……」
「なあに？」
暫し逡巡しながら、ロイエンタールは更に言葉を綴った。
「俺の代わりに、カイザーを守ってくれないか？」
「はぁ？」
ヘネラリーフェは、咄嗟にベッドの上に起き上がった。
「貴方、本気で言っているの？」
「俺はいつも本気だ」
そうね……そうだったわね……
「Jaと言ってくれるか、リーフェ？」
「Nine」
「リーフェ！！」
ヘネラリーフェはロイエンタールの言葉を無視してベッドから降りると、彼のシガーを一本拝借して、口に加えた。
「お前、煙草なんて吸うのか？」
「ああ……貴方の前では吸ったことはなかったわね」
でも、同盟軍では周知の事実。
「時々、吸いたくなるのよね」
ヘネラリーフェはシガーに火を灯すと、スパスパと吸い出した。
「先刻の話しだが、受けてはくれぬのか？」
「ええ、答えは『Nine』よ」
「何故だ？ カイザー・ラインハルトとは友人の契りを結んだのではなかったのか？」
友人なら守ってくれる筈だろう？
「確かにカイザーは大切な友人だけど、それとこれとは話しは別よ」
「俺のことは守ってくれるのに？」
ロイエンタールが痛い所を突いてきた。
「貴方は私の命よりも大切な存在……」
だから、無条件で守るのは当たり前。
「ヤン・ウェンリーもだろ？」
「勿論」
「どうして、カイザー・ラインハルトは駄目なんだ？」
「ただ働きは性に合わないから(#^.^#)」
「はぁ！？」
からかっているかと思うようなヘネラリーフェの言葉に、さすがのロイエンタールも絶句した。
「じゃあ、ただ働きでなければ『Ja』と言ってくれるのだな？」
「と言うより、契約が欲しいと言った方が良いかしら」
「契約？」
「そう……契約……」
何かをなすとき、制限がなければ、石は転がり続け、いづれは破滅へと導くであろう。
「そうしない為にも、制限が、つまり契約が必要なの」
それ相応の『対価』が、必要なのだ。
「何が欲しい？ 金か？ 名誉か？」
ヘネラリーフェの言っていることの意味がいまひとつわからないままながらも、ロイエンタールは問うた。
「名誉はいらない。お金にも困っていない」
「では、どうすれば？」
「とりあえず、誰が契約してくれるのか、ハッキリしてくれない？」
カイザー・ラインハルトなのか、それとも貴方なのか……
その言葉に、ロイエンタールは考え込んだ。
明らかにカイザー・ラインハルトが狙われているとなれば、失礼ながらもカイザー自身にヘネラリーフェと契約してもらう必要があるだろう。
だが、現時点では、狙われたのが誰なのかはわからないのが事実。
「わかった……俺がお前と契約する」
「ＯＫ、契約成立ね」
「契約書の類はいらないのか？ それに何を対価として支払えば良いのかわからぬではないか？」
「契約者が貴方だからね。信用しているわ、オスカー♪ 欲しい物は考えておくから」
綺麗にウインクを決めると、ヘネラリーフェは煙草をもみ消し、今度こそ睡魔に身を委ねるべくベッドに滑り込んだ。
すかさずロイエンタールが彼女の肩を抱き寄せ、『おやすみ』のキスを兼ねて、深く口付けてくる。
息を弾ませたヘネラリーフェが、ロイエンタールの金銀妖瞳を覗き込んだ。
「カイザーにお会いしたいのだけど」
「ああ、お前ならフリーパスだろうから、明日にでも皇宮に行ってこい」
「わかったわ」
そうして、二人は抱き合いながら眠りに墜ちていったのだった。
翌日、怪我人ロイエンタールが、押し留めるにもかかわらず強引に出府していくの心配気に見送ってヘネラリーフェは、皇宮に向かうべく私室で着替えていた。
「何、着て行こうかなぁ」
ドレッシングルームで悩むこと十数分……
「内容が内容だから、やっぱ軍服かな」
そう一人で呟くと、ヘネラリーフェはサクサクと同盟軍の軍服（下は、タイトスカートです♪）に着替えて、運転手付きの車で出掛けて行った。
ロイエンタールの言った通り、皇宮へはノーチェックのフリーパスで入ることができた。
無論、皇帝の日常の御座所になる奥宮にも同様にフリーパスで通される。
「こちらでお待ち下さいませ」
皇妃ヒルダの侍女であるマリーカに案内された客人用の居間の頗る座り心地の良いソファに身を委ねると、ヘネラリーフェはフッと溜息を吐いた。
「さて、どうやって切り出したら良いものか……」
今日ヘネラリーフェがカイザー・ラインハルトの元にやってきのは、ある進言をしたいが為であった。
暫くすると、ドアをノックする音に続いて、カイザー・ラインハルトが入室してきた。
「フロイライン・リーフェ！！ 訪ねてきてくれるとは嬉しいぞ♪」
満面笑みのラインハルトに、ヘネラリーフェもつられて微笑む。
「急に伺いまして失礼とは存知ましたが、至急お願いしたき儀がございまして」
「そのような堅苦しい物言いはなかろう？ 貴女らしくもない」
「そうでしたね、私らしくありませんね」
ニッコリと微笑むと、ヘネラリーフェは表情を改めた。
「でも、お願いしたいことがあるというのは本当なんですのよ」
「貴女の願いなら是が非にでも叶えたいと思うが？」
「ありがとうございます」
ヘネラリーフェは一礼すると、数瞬逡巡して、だがここはありのままに言った方がよかろうと判断し、一気に話し出した。
「実はお願いしたいというのは、武器の携帯のことですの」
「武器の？」
「はい。今現在、皇帝のお傍で武器の携帯を許されているのはキルヒアイス元帥のみ」
その他にも、親衛隊長のキスリングと憲兵総監のケスラーはサーベルの携帯を許されてはいるが……
「でも、それでは心許ないと思うのです」
実際、誰が狙われたかわからぬまでも、ロイエンタールが撃たれた。
「で、予にどうしろと？」
「ミッターマイヤー、ロイエンタール両元帥にも武器の携帯を許していただきたい」
それとも、まだ信用できませんか？
ヘネラリーフェに詰め寄られ、ラインハルトは一瞬怯んだ。
「いや、信用していないわけではない」
現に、昨日はロイエンタールに守られたようなものだ。
「では、カイザーにおかれましては、ご自身が狙われたとお思いなのですね？」
「ロイエンタールを狙うならば、他にもチャンスがあろう？」
元帥府への出府、帰宅時、オフの時……いくらでもチャンスはある。例え車のガラスが防弾ガラスであったとしてもだ。
「では、尚更両元帥への武器の携帯を許していただきたい」
「うむ……」
「ロイエンタールはともかく、ミッターマイヤー元帥が叛意を覚えるとは思えません」
ロイエンタールにしても、あの叛逆はラングと地球教に嵌められた故のもの。もとより、叛意などない。
「わかった……実は、貴女に言われるまでもなく、両元帥への武器の携帯を許そうかとキルヒアイス（国務尚書です♪）と話し合っていた所であったのだ」
だが、オーベルシュタインの手前、なかなか決断に持って行けなかった。
「では」
「ああ……貴女に言われて決心できた」
両元帥への武器の携帯、許してつかわそう。
「ありがとうございます」
「いや、貴女の言うことに間違いはない故」
無論ヘネラリーフェへの携帯許可も、以前のままに了承である。
新帝国開闢の功臣より、同盟軍人である自分をそこまで信頼してくれることに、ヘネラリーフェは頭を下げた。
話しが一段落したところで、居間に皇妃ヒルダと大公妃アンネローゼがお茶とケーキを持って現れた。
「お話は終わりまして？」
「ええ……フロイライン・リーフェには、いつも予の政の行く末を指し示していただける」
今日もそうであった。
ラインハルトが微笑みながら、皇妃と大公妃に報告する。
「まあ、ありがたいことですこと」
皇妃ヒルダと、大公妃アンネローゼが微笑む。
その言葉に、ヘネラリーフェはこう応えた。
「一介の同盟軍人が帝国の政にまで口を挟んで申し訳ない」
でも、ロイエンタールを危険な目に合わせたくはないので……
「では予のことは、おまけか、ついでだと？」
「早い話、そういうことになりますね」
悪びれなくそう言うヘネラリーフェの言葉に、ラインハルトは苦笑するしかなかった。
「ところで、明日晩餐会を催そうかと思っている」
ついては、貴女にも是非出席していただきたいのだが？
「よろこんで、出席させていただきますわ」
「めずらしいな、貴女があっさり承諾してくれるとは」
さすがに、『ロイエンタールとの契約上、致し方なく……』とは、言わなかった。
「明日、晩餐会を催されると、陛下からお達しがあった」
それから、銃の携帯を許された……
「お前、陛下に何を言った？」
帰宅後、『お帰りなさい』のキスの後、そう言ったロイエンタールの言葉にヘネラリーフェは笑いながら答えた。
「今日、皇宮で招待されたので、謹んでお受けしてきたわ」
銃のことに関しては、そのままの意味にとってもらって良いわよ。
ウインクしながら言うヘネラリーフェにロイエンタールは苦笑しながら言った。
「晩餐会への出席は、よろこんで受けたわけではあるまい？」
俺との契約上、致し方なく……だろ？
「まあ、そうだけど」
二人は、話しながら並んで私室へと入った。
ヘネラリーフェが甲斐甲斐しく、ロイエンタールの着替えを手伝う。
腕を吊る三角巾を取り、ケープを外し、上着を脱がせ、ワイシャツのボタンを外し、そして包帯の上からキスをする。
「痛みは、少しは取れた？」
「ああ、大分良い」
「嘘ばっかし」
昨日の今日で、そう簡単に良くなる筈がない。
「わかっているなら、聞くな」
「やっぱり、痛いんじゃない」
我慢しなくても良いのに……
「どうせ貴方のことだから、痛いの我慢して仕事してたんでしょ？」
ヘネラリーフェの言葉に、ロイエンタールは言い返せなかった。
「痛み止め、飲んでるの？」
「ああ……」
その時、執事が現れ、ロイエンタール家の主治医が来ていると告げた。
「消毒と、包帯の交換ね」
「…………」
「なあに？ 難しい顔をして」
「いや、煩わしいなと思ってな」
「そんなこと言って」
本当は消毒が嫌なんでしょ？
「痛いの、怖いんでしょ？」
「お見通しか？」
ヘネラリーフェは素直なロイエンタールの言葉に思わず苦笑した。
「いくら屈強でならした軍人と言っても、痛いものは痛いものね」
私も、そうだし……
「そうだったな。お前も我慢強い割に、消毒やガーゼ交換、抜糸が苦手だったな」
そう……怪我のクイーンとも言え、ギリギリまで苦痛や不快感を我慢するヘネラリーフェでさえも、負傷後の処置は苦手なのだ。
そう思えば、自分が消毒を嫌がるのも、別に恥ずかしいことではないと思えるから不思議だ。
「さ、とにかく、お医者様に診て貰いましょ」
ヘネラリーフェに促され、ロイエンタールは渋々、主治医の待つ部屋へと向かったのであった。
無論、ヘネラリーフェを伴ってである。
消毒と包帯の交換が行われる間、ロイエンタールは苦鳴の類は一切洩らさなかったが、それでも僅かながらも端正な顔を苦痛に歪ませ、ヘネラリーフェに背中をさすられるという場面が見受けられた。
処置が済むと、ヘネラリーフェがロイエンタールの肩にシルクのシャツをはおらせてやる。
仲むつまじい二人の姿を見つめながら、主治医はロイエンタールに告げた。
「痛みが取れれば、三角巾は外せますが、傷自体が良くなるまで包帯は取れませんね」
「どれくらいかかりそうか？」
「２〜３週間というところでしょうか」
「そうか……わかった、ご苦労だったな」
そう言って主治医を追い返すと、二人はダイニングへ行き、夕食と相成ったのであった。
当然の如く、今夜もアルコールは厳禁である。
でもって、昨夜もそうであったが、ロイエンタールの口にするものは、ヘネラリーフェが全てナイフで食べやすい大きさに切ってやったとかなかったとか……
「夕方、皇宮から迎えが来る筈だから、あちらで待ち合わせよう」
翌朝、『行ってらっしゃい』のキスの後、ロイエンタールはそう言い残して車中の人となった。
「夜まで何してよっかなぁ」
ヘネラリーフェは欠伸を噛み締めながら呟いた。
怪我人のくせに、ロイエンタールは昨夜ヘネラリーフェを抱くことを止めようとしなかったのである。
全く、こと夜に関しての彼のパワーには頭が下がる想いである。いや、仕事も熱心なのだが……
が、故に、今日は朝が辛い。
「もう一回、寝ようかな」
シャワーも浴びたいけど、それは晩餐会の支度をする前でも良いし……
つらつらと考えながら私室へ戻ると、ヘネラリーフェは寝酒にウォッカをグラス一杯煽り、シルクの夜着の上に纏っていたレースのガウンを脱ぎ捨てると、ベッドの住人になったのであった。
午後３時、二度寝から目覚めたヘネラリーフェは、早々に夜着を脱ぎ捨てて、バスルームヘと入った。
薫り高いソープをお泡立て、全身を洗い、勢いよく出したシャワーを浴びる。
濡れた髪を拭きながらバスローブ姿でバスルームから出てくると、ヘネラリーフェが起き出した気配を察したのであろう執事が、紅茶を入れて待っていてくれた。（階下にいながらにして、起きた気配を察するとは、執事侮りがたしである。というか、さすがロイエンタール家の執事と言えようか）
「ありがとう」
そう言うと、頭にタオルを巻き付けたまま、薫り高い紅茶をすする。
「今夜は何をお召しになりますか？」
「そうねぇ……動きやすい服装が良いと思うから」
「となると、軍服ですか？」
「それやると、ロイエンタールに無茶苦茶怒られそうよねぇ」
暫く考えると、ヘネラリーフェはメイド二人ほどを部屋へ呼んで欲しいと執事に頼んだ。
いつも自分のことは自分でする主義のヘネラリーフェにしては珍しいことだと思いながらも、執事はすぐにメイドを部屋に呼び付けたのであった。
午後４時、ヘネラリーフェの支度が始まった。
「えっと、そっちの端を持っててね」
「はい、お嬢様」
「でもって、貴女はこちらをお願い」
「はい」
メイドに手伝って貰いながら、ヘネラリーフェの支度は着々と進んでいく。
午後５時半、ヘネラリーフェの支度が終わった。
皇宮からの迎えの車も到着し、あとは主役の登場を待つばかりである。
「ヘネラリーフェ様、お車が到着しましてございます」
「今、行くわ」
声と共に現れたヘネラリーフェの姿に、さすがの執事も声を失った。
「そ、そのお姿でお出掛けになられるのですか？」
動きやすい装いの方が良いとおっしゃられていたのではなかったか？
「結構動きやすいのよ、これ」
まあ、慣れればの話しだけど……
執事の心中を読み取ったのか、ヘネラリーフェは笑いながらこう言い、車中の人となったのであった。
皇宮に到着すると、軍服の正装姿（要するに、ケープがブラック）のロイエンタールが出迎えてくれた。無論、皇帝から許可された為、早速腰に銃を携帯している。
「…………」
車の中から姿を現したヘネラリーフェの装いに、ロイエンタールも絶句している。
「ある意味嬉しいが、ある意味複雑な格好だな」
そう言うロイエンタールの前には、薄紅色の地模様入りのお引きづりの振り袖に扇柄を配した紅い錦織の帯を文庫に結び、その上に黒地に秋の花々（桔梗・菊・竜胆・金木犀etc）を散らした打ち掛けを羽織り、そして帯と同じ紅い草履を履いているヘネラリーフェがいた。
琥珀色の緩やかに流れる長い髪は、ポニーテールにして、黒い組紐を結んでいる。
そして、右手には『蘇芳』。
薄紅色の振り袖と紅い帯は華やかさを、そして黒い打ち掛けは全体を引き締める役割をしていて、ロイエンタールは苦笑しながらも目を細めた。
「だが、その格好では、ワルツは踊れぬな」
「あら、そう莫迦にしたものでもないのよ」
やろうと思えば、踊れるし、走れるし、戦える。
「まあ、お前がそう言うならそうなんだろうが……」
そう言うと、ひとまずロイエンタールはヘネラリーフェの手を取り、彼女をエスコートし、皇宮の広間へと入って行ったのだった。
「あ、そうそう、これこれ」
広間に入ると、ヘネラリーフェが『蘇芳』を、ロイエンタールの眼前に差し出した。
「？」
「持ってて♪」
「しかし、それは……」
とても大切な物ではないのか？
「貴方になら預けられるわ」
それに、こんなの持っていたのでは、踊れない。
「本気で踊るつもりか？」
「というのは冗談だけどぉ……」
とにかく、持っていては邪魔なのである。
「つべこべ言わずに、ほら！！」
そう言うと、ヘネラリーフェは有無を言わさずロイエンタールの軍服のベルトに『蘇芳』を差し込んだのであった。
暫く広間でシャンパンの入ったグラス片手に歓談していると、豪奢な金髪を靡かせたカイザー・ラインハルトが皇妃ヒルダと大公妃アンネローゼ、それにキルヒアイスを伴って広間に現れた。
諸提督達がそれぞれパートナーを伴ってカイザーの御前に挨拶に歩み出る。
「本日はお招きにあずかりまして……」
ロイエンタールも和装のヘネラリーフェを伴って、カイザー・ラインハルトの御前に歩み寄った。
「ロイエンタール、傷の具合はどうか？」
「はっ……大分良くなりましてございます」
頭を垂れながらロイエンタールが恐縮して答える。
ラインハルトは、意地っ張りなロイエンタールの言葉に苦笑を零すと、アイスブルーの瞳をヘネラリーフェの方に向けた。
「今日は一段と麗しいですね」
「ありがとうございます」
ヘネラリーフェは臆さず、ニッコリと微笑みながらも、真っ直ぐにラインハルトを見つめた。
「！？」
その時、ヘネラリーフェの躰に緊張が走る。
「リーフェ、どうした？」
言った途端、鈍色の輝きがロイエンタールを庇おうと彼の眼前に差し出された華奢な左腕を切り裂いた。
「リーフェ！！」
ロイエンタールの絶叫を無視すると、ヘネラリーフェは羽織っていた打ち掛けを脱いでロイエンタールの頭から被せた。
「そこで大人しくしていなさい」
言い様、帯に挟んでいた扇を出して広げ、横に薙いだ。
「うわ！！」
襲来者が悲鳴を上げて蹌踉めく。
その手に鈍色に光る刀を認めたヘネラリーフェは、咄嗟に爪先で襲来者の手を蹴り上げていた。
「リーフェ、蘇芳を！！」
ロイエンタールの叫び声に、ヘネラリーフェは
「下郎相手にその刀は必要ない」
と、言い放った。
襲来者の手から離れた刀が空から落ちてくる。
それを掴むと、ヘネラリーフェは下段から上段にかけて、斜めに薙ぎ払った。
血飛沫と悲鳴が上がり、襲来者が床に大の字になって倒れるのが見て取れる。
その死体を飛び越えて、ヘネラリーフェが前進すると、円陣を描くように、３６０度を２重に囲まれた。
「どういうことだ、ラインハルト！！」（←あ〜あ、遂に呼び捨て）
どうして、警備の厳しいこの皇宮に、これだけの襲来者がいるのか？
「今夜はノーチェックにしたので」
一昨日襲撃に合い、恐らく数日中には再び狙われると踏んでいた。
「故に、おびき出そうと思い、ボディーチェックをノーチェックにするという情報を流した」
（なんちゅう無茶なことを……）
だが、可憐な口元から発せられた言葉は凄惨だった。
「では、この者達、私の好きにして良いのだな」
「ええ、貴女のご随意に」
それは、今夜の為に用意した貴女の得物です……
笑いの微粒子を含んだ王者の言葉に、ヘネラリーフェは闇のニュクスたる凄惨な笑みを浮かべた。
２重の円陣が縮まっていく。
その瞬間、ヘネラリーフェの姿が消えた。
誰もが自分の目を疑う中、円陣を描く襲来者の群れが、弧を描くように倒れていく。
「１０名終了」
姿を現したヘネラリーフェが冷めた声で呟く。
「そうか……速さがまるで違うんだ……」
まるで神速……
「なるほど……あれほど自身満々に契約しろと言える筈だ」
（あの剣の腕には、恐らく俺でも適わないだろう）
ロイエンタールは背筋に悪寒が走るのを感じた。
もう一つの円陣が、相手に怖れを抱きながらも、だが縮まる。
「こざかしい」
静かな声音と共に、白刃が煌めく。
円陣は崩れ、襲来者はバラバラになってヘネラリーフェに襲いかかった。
こうなってしまえば、ヘネラリーフェの独断場である。
神速の技で繰り出される剣は、相手の急所を確実に突き、敵は確実に討ち減らされていった。
相変わらずヘネラリーフェの動きは速く、人の目ではそれを追うことは出来ず、彼女の姿は見えたり見えなかったりする。
「２０名終了」
残るは……
ロイエンタールの眼前で、襲来者が飛び上がるのが見えた。
「リーフェ、上！！」
だが呼び掛けられるまでもなく、ヘネラリーフェもまた空へ飛び上がっていた。
白刃が煌めき、一瞬のうちに斬られた３人が、ドサドサと地に落ちてくる。
そして、そうなった後、やっとヘネラリーフェが琥珀色の髪と長い振り袖の裾と袖をフワリと靡かせながら地に降り立った。
（なんという跳躍力と滞空時間……）
敵と同時に宙に舞いながら、降りて来たのはずっと後からだ。
その時、ロイエンタールは背後に殺気を感じ、咄嗟に銃に手を伸ばした。
が、傷の痛みが彼の動きを僅かに遅らせる。
（しまった！！）
ミッターマイヤーも同時に銃を引き抜いたが、ロイエンタールが壁になって撃つことが出来ないでいる。
キルヒアイスも、そしてキスリングもケスラーも、また然り……
「カイザー！！」
（斬られる！！）
そう思った矢先、ヘネラリーフェがラインハルトとロイエンタールの間に割って入るように、宙から降りてきた。
「この痴れ者が」
ヘネラリーフェの刀の切っ先が、敵の喉元に突き付けられる。
「誰に頼まれた？」
「……貴族の……お前に踏みつけられた貴族の恨みを思い知るが良い！！」
思わず吐露した襲来者の言葉に、ラインハルトは冷たい笑みを浮かべたのみだった。
「言いたい事はそれだけか？」
追い打ちを掛けるように、ヘネラリーフェが冷然と微笑む。
「リーフェ、もう良い。止めろ！！」
これ以上、下郎共の血で自らを汚すこともあるまい！！
だが、ロイエンタールの言葉は受け入れられなかった。
「地獄に堕ちるが良い」
言うなり、ヘネラリーフェは刀を敵の心臓に無造作にねじ込んだ。
「ぐう……」
口元から血を滴らせた襲来者が、床に倒れ伏す。
「お仕事終了」
息一つ乱さず、顔色ひとつ変えないヘネラリーフェがロイエンタールを見やった時、辺りは漸く静けさを取り戻したのであった。
「これ返してね♪」
ヘネラリーフェがロイエンタールに被せた打ち掛けをスッと奪い取った。
戦いは終わった。
「この広間、当分使えそうにないわね」
血に染まった広間を見渡しながら、あっけらかんとした口調で言うヘネラリーフェの態度に、ロイエンタールは脱力気味だ。
ふと目をやると、振り袖の袖がざっくりと切れており、そこは溢れ出る鮮血でベッタリと濡れていた。
「大丈夫か？」
傷はかなり深そうに見える。
「かすり傷だ」
軽く受け流すヘネラリーフェにラインハルトが声を掛けた。
「とにかく、手当を……」
そう言って、自らが先頭に立って、ロイエンタールとヘネラリーフェを奥宮へと誘ったのである。
奥宮の一室では、マリーカが医者を伴って待っていた。
彼女もケスラーのパートナーとして晩餐会に出席していたのだが、ヘネラリーフェが傷付いたのを見て、いち早くこの奥宮にとって返し、医者の手配をしたのである。
だが着替える時間はなかったと見え、彼女は可憐なドレス姿のままだった。
「脱いだ方が手当しやすいか？」
そう問うヘネラリーフェに、医者は無言で頷いた。
「ではマリーカ、手伝ってくれ」
「はい、リーフェ様」
（『様』はよせ）
ヘネラリーフェは青緑色の瞳にそんなメッセージを乗せてマリーカに送ったが、マリーカには通じなかったようだ。
帯締めと帯を解き、血に染まった振り袖と長襦袢を脱ぐと、ヘネラリーフェは白い肌襦袢一枚の姿になってしまった。
「これも脱いだ方が良いか？」
そんなことをすれば全裸だ。
ヘネラリーフェの後ろで口をパクパクさせるロイエンタールに悪戯っ子のような微笑みを送ると、ヘネラリーフェは肌襦袢を脱ぐことはせず、ソファに座ると袖を無造作にまくった。
人々の目に晒されたその傷は、ざっくりと切れており、傷口がパックリと開いていた。
同席していたマリーカ、皇妃ヒルダ、大公妃アンネローゼが、思わず傷から目を逸らす。
「縫った方が良さそうですね」
「えっ……縫うんですか？」
ヘネラリーフェがビクリと顔を上げた。
「そりゃ、これだけスッパリと見事に切れているんですから」
医者の言葉に、ヘネラリーフェは泣きそうな顔でロイエンタールを振り返る。
思わず『可愛いなぁ』と思ったロイエンタールが、苦笑を零しながら言った。
「大丈夫だ。ちゃんと麻酔を使って下さる」
そうですよね？
ロイエンタールの問い掛けに、医者は無論頷いた。
「では、横になって下さい」
医者が注射器を用意しながら無慈悲に言う。
（ゲッ……注射！！）
またしても、泣きそうな顔でヘネラリーフェはロイエンタールを見やる。
（そういや、こいつは注射も苦手だったんだな）
捕虜になった時の彼女の受けたであろう苦痛の数々が甦り、ロイエンタールはその胸を痛ませた。
「麻酔を打つんだから、しょうがないだろ」
あやすように言うロイエンタールの言葉に、ヘネラリーフェはギュッと目を瞑った。
「ドクター、慌てず急いで正確にやって下さいね」
尚も言いつのるヘネラリーフェの言葉など無視して、医者はヘネラリーフェの腕に注射器を突き立てる。
（痛ぁ〜〜い）
心の中で悲鳴を上げたヘネラリーフェだったが、麻酔の威力は絶大で、縫合手術の間は痛みを感じずに済んだ。
「終わりましたよ」
医者に肩をポンと叩かれたヘネラリーフェが固く閉じていた青緑色の瞳を開くと、腕には既に包帯が巻かれていた。
ホッと溜息を吐いたヘネラリーフェの髪にロイエンタールの優美な指が優しく絡みつく。
「暫く痛むと思うので、痛み止めを出しておきましょう」
それから、今日は皇宮で休まれた方が良いでしょう。傷が開くといけませんから。
医者の言葉に、ラインハルトの表情が輝いたことは言うまでもない。
というわけで、その夜ヘネラリーフェは、ロイエンタール共々、皇宮に厄介になったのである。
翌朝、皇帝一家と朝食を摂るヘネラリーフェとロイエンタールに、ラインハルトはある疑問をぶつけた。
「昨夜、襲来者を打ちのめしたあと、フロイライン・リーフェは『お仕事終了』と言ったと思うのだが、あれはどういう意味か？」
ロイエンタールはコーヒーを飲む手をギクリと止めたが、ヘネラリーフェは平然と言い放った。
「言葉通りです」
「言葉通りと言うと？」
「あれはお仕事だったということです」
「つまり、予を守るのが仕事だったということか？」
「ええ、ロイエンタールとの契約上致し方なく」
やはり、予はロイエンタールの『おまけ』だったのか……
思わず溜息が漏れたが、それは一瞬のうちに苦笑へと変わっていく。
「予を守るという契約をロイエンタールと結んだと言うのだな？」
「早く言えばそういうことです」
「ではその契約、予と結び治しはしないか？」
「カイザー！！」
思わずロイエンタールが声を張り上げた。
だがラインハルトは引かない。
「どうだ？ 対価は支払おう」
貴女の望みの物を……
「宜しいでしょう。一応契約書を書いて下さいね」
それから、クーリングオフは無しですから。
「手厳しいな」
だが、それだからこそ信頼できるのも事実。
「それから、私が出撃中の半年間は、期待しないで下さいね」
「わかった」
だが、その間は、双璧が守ってくれることだろう。
「ロイエンタールを危険な目に合わせたりしたら、私は貴方を許しませんからね」
ヘネラリーフェの言葉に、ラインハルトは思わず笑い出したのであった。
「そうそう、今回の対価だけど……」
ヘネラリーフェがロイエンタールに微笑みかける。
「そうだったな、何が欲しい？」
「貴方の休暇(^_-)-☆」
「それならお安い御用だ」
ラインハルトが笑いながら言った。
Fin
またしても、戦闘モノであります。
しかも、しょうこりもなく、またヘネラリーフェが怪我をしています。
でもって、ロイエンタールも……
やはり痛い話しに飢えているのでしょうか、わらひは(^^ゞ
今回は、大立ち回りもやらかしてもらっちゃいました♪
お引きづりの和装で立ち回りをやらかすリーフェ……想像すると結構萌えます。
きっと袖や裾が蝶のように翻って、綺麗なんだろうなぁ。
髪もシャンデリアの光を浴びて、キラキラ輝いていそうです。
でも、派手な話しな割に、出演者が少ない……(T.T)
人物を多く出すと、会話に苦労しちゃう私の不徳の致す所であります（深々）
おまけに、遂にカイザーを呼び捨て……ごめんなさ〜い(^^ゞ
ちなみに、ちゃんばらシーンは映画「SINOBI」を参考にしました。
タイトルは、池波正太郎の名作からパクりました。
ちなみに蒼乃は、大治郎は絶対に渡部篤郎さんが良いと思います！！
ときに、リーフェって結構冷たい女ですよね。
ロイエンタール以外の人のことはどうでも良いって感じ（笑）
いや、そういう風に書いたんですけど……
あと、ロイのお着替えとかは、リーフェが起きていれば、彼女が必ず手伝っていると思われます。
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