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人間は、自然の摂理から外れることを望んでいるのか……
「えっとね、これが私の両親♪」
オーディンのブラウシュタット本家のエントランスホールで、ヘネラリーフェは少し誇らしげに大きな肖像画をロイエンタールに見せた。
黒髪に瑠璃色の瞳を持つ逞しい男の横に寄り添う青緑色の瞳の華奢な女性。
ただ髪は、日溜まりに包まれた麦藁のような淡い金色だ。
髪の色が母親と違ったのは、父親が黒髪だったからか。だが……
「お前は母親似なんだな」
「性格は父親似って言われるけどね」
クスリとヘネラリーフェが笑う。
以前言っていた。普段は優しいのに、怒らせるともの凄く怖い人だったと……
「なるほど、確かに」
ロイエンタールは苦笑した。
その夜、旧首都星オーディンでは皇帝ラインハルト主催の小規模な舞踏会が開かれた。
ただ、公式なものではなかったことと、両親へのノスタルジックな想いに浸って少し落ち込んだことから、この日の舞踏会をヘネラリーフェは辞退した。
「おい、ロイエンタール」
ビッテンフェルトの呼び掛けに、ロイエンタールは目を上げた。
珍しく彼の周りには取り巻きがいない。その瞬間を狙ってきたビッテンフェルトであった。
「今夜はフロイライン・リーフェを同伴してこなかったはずだな？」
「そうだが」
それがどうかしたのか？ と、ロイエンタールが首を傾げる。
どんな仕草をしても絵になる男だと思いながら、ビッテンフェルトは言葉を続けた。
「リーフェにそっくりな女性と踊ったんだ」
「なに？」
ビッテンフェルトが言うには、向こうから声を掛けてきたらしい。
あまりにヘネラリーフェにそっくりなことから、彼は女性をヘネラリーフェ本人だと思いこみ（でなければ、自分に声を掛けてくる道理もわからない）ちゃっかり誘いに乗って踊った。
「だが、どうも仕草とか言葉遣いに違和感を感じてな」
それで、どうやら女性はヘネラリーフェとは別人だと察した。
「髪の色も少し違ったかな。だけど、不思議な話だろ？」
世界には三人、自分にそっくりな人間がいると言うが、こんな傍にそのうちの１人がいるとは考えにくい。
そのうち、１人また１人と、上級大将達がロイエンタールの元に集まり始める。
それらの誰もが『リーフェとそっくりな女性と踊った』という訴えだった。
更にミッターマイヤーからも訴えが届き、その後には皇帝とキルヒアイスからも同じ情報がもたらされた。
「どうなっているんだ……」
ロイエンタールは、慌てて携帯を手にすると、ヘネラリーフェが滞在するオーディンのロイエンタール本家に連絡を入れた。
『なあに？』
無邪気なヘネラリーフェの声が携帯から聞こえてくる。
「お前、今夜はずっとそこにいたか？」
ロイエンタールの質問に、ヘネラリーフェは何を今更と言いたげな声音で答えてきた。
『オーディンでは他に行くところなんてないわ』
故に、今夜は本宅の私室でソリビジョン相手にゴロゴロしていた……
ヘネラリーフェの言葉に嘘があるとは思えない。
ロイエンタールは訳が分からないままに、携帯を切った。
携帯をしまうと同時に、背後から声が掛けられる。
「あの、踊っていただけませんか？」
いつもの取り巻きかと思い、溜息を吐きつつロイエンタールが振り向くと……
「…………」
彼は暫し言葉を失った。
確かにそこにいるのは、ヘネラリーフェだったのだ。
いや、よく見れば違うとわかる。
瞳の色こそ一緒だったが、髪の色が少々違ったからだ。
（どこかで見た女性だが）
無論、どこかで見た＝ヘネラリーフェのことではない。
答えを見いだせないまま、だがロイエンタールは女性と踊った。
軽やかな羽根のように、彼女は舞い、踊った。
（やはり、リーフェではない）
ヘネラリーフェも無論ダンスが上手だが、だがどうしても過去の戦傷から左足を引きずってしまうのだ。
それは、無論他人には分からない程度のもので、故にロイエンタールだけが見破れた微かな違和感であった。
舞踏会が終わると、ヘネラリーフェそっくりの女性はさっさと車寄せへと向かう。
ロイエンタールは湧き上がる不安感から、彼女の乗る車を、そっと付けた。
車が止まったのは、過去には豪奢であっただろう半ば崩れ落ちた廃屋。
「こんな所に住んでいるのか？」
あの女性には相応しくない場所。
中まで入っていこうかと考えたが、ロイエンタールはその考えを払拭した。
（他人のそら似だ）
そうに決まっている。騒ぎに発展したわけでもなし、神経過敏になる必要もあるまい……
そう考えると、ロイエンタールは車を本宅に向けて発進させた。
ロイエンタールは知らない。
そこが、旧政権時には、おぞましい研究施設であったことを……
「そんなに似ていたの？」
「ああ……髪の色を除けば、お前そのままだ」
「なんか気になるなぁ。私も舞踏会に行こうかな」
舞踏会は、明日も開催されるのである。
「行くか？」
そうなれば、ロイエンタールには願ったり適ったりである。着飾ったヘネラリーフェをエスコートできるのだから。
「うん、行く！！」
ヘネラリーフェの決断は早かった。
さんざめく人並みの中で、礼装姿のロイエンタールと華やかなローブデコルテ姿のヘネラリーフェは幸せそうにワルツを踊っていた。
（やはり、昨夜の女性はリーフェではない）
何度も夜を重ねた華奢な躰は、ロイエンタールの身体にしっくりと馴染む。
その馴染んだような何かが、昨夜のあの女性からは感じられなかったのだ。
「今日は一段と綺麗だな」
気障な台詞がロイエンタールの端麗な口元からヘネラリーフェに浴びせかけられる。
「またまた、うまいこと言っちゃって」
クスクス笑うヘネラリーフェの笑顔が、だが次の瞬間凍った。
ロイエンタールがその変化を見抜き、背後を見やる。
そこには、昨夜のあの女性がいた。
「そんな……まさか……」
ヘネラリーフェの数かな呟きをロイエンタールは聞き逃さなかった。
「リーフェ？」
「ごめん、ちょっと休憩」
ヘネラリーフェは率直に言うと、壁の花と化すべくロイエンタールから離れていった。
「どうしたんだ？」
訳がわからず、ロイエンタールもまた壁の花になるべくホールから離れた。
だが、そんな彼をいつものお取り巻きが取り囲んだことは言うまでもない。
（そんな……そんなことって……）
ヘネラリーフェの頭の中は混乱していた。
「どうして……どういうことなの」
疑惑と不安感が言葉として可憐な口唇から漏れる。
考え込む彼女の背後から、危機が迫ろうとは夢にも思わずに……
”ビュッ”
空気が切り裂かれる音がし、ヘネラリーフェは咄嗟に振り向いた。
いや、振り向こうとした。
だが、その瞬間、肩に激痛が走る。
「何をする！？」
振り向くと、そこにはヘネラリーフェを動揺させたヘネラリーフェそっくりの女性が、銀色のナイフを手に、立っていた。
「そんな顔をしないで」
迎えにきたのよ、貴女を……
女性が、優しく微笑みながらヘネラリーフェを抱き締める、
「な……」
思わず相手を突き飛ばそうとして、だがヘネラリーフェは咄嗟には動けなかった。
異変に気が付いたロイエンタールがこちらに走り寄る気配を背後から感じることが出来る。
「リーフェ！！」
どうして為すがままになっているんだ！？
ロイエンタールの叫び声には、そんな音色が込められている。
（できない……この手を私は欲していたから……）
柔らかくて優しい手の感触が、ヘネラリーフェから思考を奪っていた。
首筋に感じるナイフの冷たい感触。
切り裂かれれば、その場で絶命することだろう。
だがヘネラリーフェは静かに目を閉じた。
”ズギューン！！”
轟く銃声にヘネラリーフェの意識がハッと覚醒する。
目を開けると、ナイフを取り落とした女が、腕を押さえて立っていた。
「何故、邪魔をするの？」
私は、この娘を迎えにきただけなのに……
女の青緑色の瞳から涙が溢れ出す。
「邪魔をしているのは、お前の方だ」
何故ヘネラリーフェを殺そうとする？
銃を構えたままのロイエンタールの誰何に、だが女は黙する。
ヘネラリーフェは、女の取り落とした銀のナイフを屈んで拾い上げた。
「どうせ旧政権に絡んだ謀略に巻き込まれたのでしょう」
覚醒したヘネラリーフェの声は冷たかった。
（哀れな女……）
でも、憎めない。憎めないが……
”ドスッ”
銀色のナイフは、女の胸に呑み込まれていた。
「リーフェ！？」
誰もが呆然とする中、ヘネラリーフェの声が響く。
「貴女は存在してはならないのよ」
自然の摂理から外れているから……
「どうか、静かに眠って」
私も、私の一部分も一緒に逝くから。
ヘネラリーフェの両手がナイフの刃に掛かり、それを握り締める。
彼女の優美な手からは血が滴りはじめ、刃を通して女の胸へと流れ込んだ。
「どうか、想い出の中で静かに眠って……お母様」
「！？」
（お母様だと？）
そうだ、あの髪の色は、肖像画の女性と同じ色だ。
ロイエンタールは、いや、そこにいた誰もが息を呑んだ。
ヘネラリーフェの白皙の頬を涙が伝い落ちる。
「お母様……お母様！！」
そう叫びながら、ヘネラリーフェはナイフを更に押し込む。
「グッ……」
女の口から呻き声が上がり、その華奢な躰は床に沈み込んだ。
翌日、ヘネラリーフェとロイエンタール、それに諸提督達は、彼女の母親が潜んでいたとみえる廃屋へと赴いた。
「これは……」
辺りには、試験管やビーカーが散乱し、微かな薬剤の香りが残っている。
背後から、オーベルシュタインの声が降りかかった。
「ここでは、旧政権時代にクローンの研究をしていたようだ」
誰もが声を失った。
「そんな……」
そんな自然の摂理に逆らうようなことを、旧政権下では研究していたのか。
誰もが怒りに震える。
「フリードリヒ４世にとっては、ブラウシュタット中将の母親の存在は余程大切なものだったようだ」
それ故、ヘネラリーフェを生んだ後、すぐに逝ってしまった従姉妹姫の髪を大切に保管していた。
それを研究に使ったのは、だがフリードリヒ４世の命令ではなく、彼の寵愛を受けたかった一部貴族達の計略だ。
そして、クローンは誕生した。本物とは裏腹に、どす黒い愛情を持って……
「何故今頃になってクローンが現れたのですか？」
ファーレンハイトが尤もな疑問をオーベルシュタインにぶつける。
「それは調査中だ」
だが、誰かの思惑が働いたことだけは確かだろう。
それがヘネラリーフェに憎しみを持つ者なのか、それとも現政権を混乱させる為のものなのかはわからないが……
（何かが動き出した……ヘネラリーフェを巻き込む何かが……）
ロイエンタールの身体に戦慄が走る。
そっとヘネラリーフェの貌を見やると、彼女は母親に傷付けられた肩の傷にそっと触れながら、表情を悲哀に曇らせていた。
白皙の頬に涙が一筋……
ロイエンタールは、そんなヘネラリーフェをそっと抱き寄せてやるのだった。
巷では、牛のクローンなどが誕生しているようですが、蒼乃はそれは神の領域であると思っています。
そんな考えで、このお話を書きました。
ちなみに、諸提督達と仲が良さそうなのは気の所為ではありません(^^ゞ
発行中の本の中では、ヘネラリーフェと諸提督、それにラインハルトとは、既に仲良しこよしなのです（笑）
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