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気が付いた時、鼻孔を湿った匂いが過ぎり、そこが地下室であろうことが推測できた。
手は縛られていたが、後ろ手ではなく躰の前で縛られており、相手がこういう事態に不慣れなのではないかと思わせる。
と、その時、ドアの向こうに人の気配を感じ、そしてドアが開いた。
「これはフロイライン、お目覚めか？」
その口調は過去、貴族として持て囃された人間達の持つ独特の高飛車な口調。ヘネラリーフェの尤も嫌う人種だ。
こういった人種が今更ヘネラリーフェに何の用があるというのだろう？
だがヘネラリーフェは落ち着いていた。
そもそも、こうなった原因はロイエンタールと待ちあわせしていた所から始まる。
珍しく遅刻しないで到着しようとしていたロイエンタールに手を振ったところで、無粋な男達に薬を嗅がされ、拉致されたのだ。
あの時ロイエンタールはヘネラリーフェの姿に気付いていた筈だから、すぐに捜索に取りかかってくれていることだろう。
となればロイエンタールがヘネラリーフェの所在を突き止めてくれるまで凌げば良いので、気は楽だった。
問題は、ヘネラリーフェを拉致した男達の目的だった。
「手荒な真似をしてすみませんでしたね」
でも、ああでもしなければ、とても貴女をここに御招待できなくて。
男が話し出す。
「本当に、躾のなっていない手下ね」
ヘネラリーフェも負けていない。
男は、だがヘネラリーフェの反応を予想していたと見え、クスリと嫌な笑みを浮かべたのみだった。
「教えて欲しいのですよ」
「何を？」
「帝国軍統帥本部のデータベースへ侵入できるパスワードを」
「はぁ？」
ヘネラリーフェは、あっけにとられた。
同盟軍のパスワードならともかく、帝国軍のパスワードをヘネラリーフェに尋ねるとは、お門違いも甚だしい。
「あのね、聞く人間を間違えていない？」
私は軍人で、皇宮への出入りも許されているけど、帝国の軍事機密には携わっていないのよ。そりゃ、確かに帝国軍と合同で艦隊を運用しているけど。
「聞く人間を間違えているわ」
「やはり一筋縄ではいかないようですね」
「一筋縄じゃなくて、お門違いなんだってば！！」
苛ついたヘネラリーフェが声を荒げる。
「良いですよ、話したくなければ、話さなくても」
そのかわり……
男の手には、注射器が握られていた。
「自白剤なんて使っても無駄よ」
本当に知らないんだから。
「それは、身体に聞いてみてから判断しますよ」
男が注射器を手に近付いてくる。
ヘネラリーフェは僅かに動揺した。
以前、従兄弟であるリートベルクに拉致された際に麻薬混じりの妖しげな自白剤を打たれ、禁断症状に苦しんだ記憶が甦ったのだ。
座ったまま後退るヘネラリーフェの躰を数本の腕が力づくで押さえる。
腕をまくられ、そして針の刺さる感触……ヘネラリーフェは思わず目をギュっと強く瞑った。
「さあ、話して下さい」
「知らない」
知らないと言う度に、一本、また一本と自白剤がヘネラリーフェの体内へと送られる。
（このままじゃ……）
浮遊感と酩酊感の中で、ヘネラリーフェは自らの躰の限界が近いことを悟り、慌ててスカートの裾をまさぐった。
銃を持たないでいる時の護身用のナイフを、シェーンコップ達に説得されてスカートの裾の中に隠していたのだ。まさか、こんな所で役立つとは思わなかったと、ヘネラリーフェは内心で笑った。
ナイフくらいは持っておけという言葉をシェーンコップに言われた時、彼女は『甘やかしすぎ』だと思ったのだ。それがこうして役にたっている。
ともあれ、帝国軍のパスワードは本当に知らなかったが、下手をすると同盟軍の機密を話出しかねないと一計を案じたヘネラリーフェは、ナイフを手に取ると、大腿部に突き刺した。
「くぅ」
痛みを堪える声が可憐な唇から零れる。
その時、外から数台の車の止まる音が聞こえ、男達は慌てて逃げ去っていった。
ロイエンタールが応援を引き連れて来てくれたのだ。
外からは、男達が拘束される気配が伝わってくる。そして、ヘネラリーフェの耳に、聞き慣れた足音が響いてきた。
「リーフェ」
「ふにゃん」
予期しないもの凄い返答に、ロイエンタールの身体からは力が抜けた。
「おい、大丈夫か？」
怪我の具合が気になり、足の傷を診てナイフごとハンカチで固定して止血すると、再度ヘネラリーフェに声を掛ける。
「リーフェ？」
「きゃははははは」
今度は楽しそうに笑い出すヘネラリーフェの姿に、ロイエンタールは頭の中で、
（壊れてる）と呟いた。
後から入ってきたミッターマイヤーが、部屋の隅に転がっている空のアンプルイと持ってロイエンタールに見せた。
ロイエンタールの顔色が変わる。
（汚い手を使いやがる）
「自白剤か」
「何を言わせようとしたんだろうな」
硬い表情の二人を余所に、壊れたヘネラリーフェは益々明るい。
「ねえねえ、難しい顔してどうしたのぉ〜〜？」
「リーフェ、奴らは、お前に何を聞こうとしたんだ？」
どのみち全員捕らえたので、遅かれ早かれ真相はわかるだろうが、聞かずにいられないロイエンタールであった。
「えっとねぇ、統帥本部のデータベースへの侵入パスワード」
「なんだと！？」
思わず厳しくなるロイエンタールの声に、ヘネラリーフェが反応した。
「嫌だ〜〜 怒っちゃいや〜〜」
「あ〜〜 はいはい、怒っちゃいない」
これは子供よりも手がかかると思いながらヘネラリーフェをあやす。
「ロイエンタール、ひとまず彼女を医者に診せた方が良いのでは？」
ミッターマイヤーの言葉に、ロイエンタールは素直に頷いた。
が、これがまた大変な作業となった。
とにかく、ヘネラリーフェが正気ではやらないことをやってくれるのだ。
手の戒めを取って抱き上げようとすると、
「わ〜〜い、オスカーに抱っこしてもらえる〜〜」
ついでに隣のミッタマイヤーにまで抱きついて、
「提督も来てくれたのね〜〜 リーフェちゃん、嬉しい♪」
とくる。
抱き上げようとすると、今度は、
「自分で歩く〜〜」
となり、
だが足の怪我で歩けず床に崩れ落ちると、今度は足に刺さるナイフが邪魔だとばかりにロイエンタールの
「莫迦、止めろ！！」
という制止を無視して、ナイフを引き抜いた。
なんの躊躇もなくナイフを引き抜く様を見ていたロイエンタールの方が、出血しているヘネラリーフェより余程顔色が青く見える。
「お前痛くないのか？」
「へ？ なにがぁ？」
（もういい）
とにかく、今はこの我が儘なお姫様を家に連れ帰って医者に診せるだけだ。
ロイエンタールは堅く誓うと、ヘネラリーフェの華奢な躰を強引に車に押し込み、後をミッターマイヤーに託して帰途についた。
私邸に到着後、ヘネラリーフェを医者に診せると、精神の方は、時間が経つ以外に対処方法はない。今は脳がフル回転しており過負荷の状態である為、なるべく刺激を避けること。そうでないと、戻った時に記憶を失ったり、壊れてしまう可能性がある事。足の傷は縫ったので暫くは歩かせないこと。まあ、２、３日は安静にして歩かないようにと、告げられた。
隣の部屋でミッターマイヤーに連絡を取り、それからヘネラリーフェの休む部屋へ戻ると、彼女は嬉嬉とした表情でベッドの上に起きあがり、ロイエンタールを迎える。
「ファ〜タ〜〜」
という呼び掛けに、思わずガクリとくる。
いつの間に、ロイエンタールはヘネラリーフェの父親になったのか？
だが、ここで脱力していてはいけない。今はヘネラリーフェの精神が壊れないように、彼女の言うことに逆らわないのが一番なのだ。
「リーフェ、お前は一度寝ろ」
ぶっきらぼうな物言いに、ヘネラリーフェが頬を膨らませて抗議する。
「いやだ〜 じゃあ、一緒に寝よ〜〜」
（まったく子供だな、これは）
子供と接したことはないが、ヘネラリーフェの精神が退行していることは明らかだった。
「甘えん坊だな、お前は」
ロイエンタールはそう呟くと、ヘネラリーフェの横にゴロリと身体を投げ出した。
「ファーター、ちゃんと毛布の中に入らないと風邪引いちゃうよ」
そんな問い掛けに、仕方なくロイエンタールもヘネラリーフェと一緒に上掛けの中へ入る。
すると、ヘネラリーフェが自分の顔をじっと凝視してるのに気付いた。
「どうした？」
「ファーター聞いて、私、好きな人が出来ちゃったの。とっても素敵な人。少しファーターに似ていてね、私のことを全部包んでくれる大きくて優しい人。ファーターにも会わせたかった」
そう言うと、ヘネラリーフェは静かに泣き始めた。
「泣くな」
ヘネラリーフェの身体を抱き締めると、そう言って背中をさすってやる。
「ファーターの身体、暖かい。大きくて、安心できる」
「そうか」
ロイエンタールはいつもの調子で彼女の髪をクシャリと掻き乱した。
「あ」
「どうした？」
「ファーターの手、大きくて暖かい。あの人と同じだ」
ロイエンタールが髪を撫でてやると、大人しくされるがままになっている。やがて。ヘネラリーフェの瞼が閉じられていく。
その耳元に、ロイエンタールがそっと囁いた。
「もう寝ろ」
「うん……」
だが、まだ何か言い足りないのか、ヘネラリーフェは瞳を閉じたまま喋り続けた。
「あのね、私もうファーターの子じゃないのかもしれない」
あの人の、ロイエンタールのものになってしまったから……
「ねえ、ファーター許してくれる？」
ロイエンタールは言葉を失った。
果たして自分が答えて良いことなのかどうなのか迷ったのだ。
そうするうちに、ヘネラリーフェの口元から微かな寝息が漏れだした。言いたいことを言い尽くしたという満足気な表情で。
「ファーターか」
自分には与えられなかった父親の愛情が、羨ましくもある。だが。今は自分こそが、この無邪気に眠るヘネラリーフェを守ってやらなくてはという気持ちが沸々と湧くロイエンタールの胸中であった。
それから数時間後。
ロイエンタールが目覚めると、辺りはすっかり闇に包まれていた。どうやら、あれからヘネラリーフェと一緒に眠ってしまったらしい。
彼女を起こさないようにと、そっと起きあがったロイエンタールであったが、そこでヘネラリーフェも目を開いた。
彼女の最初の一言が怖いロイエンタールは、じっとヘネラリーフェの貌を見つめる。果たして、薬の効果が切れているのか否か。
「ファーター」
思わずガクリときたが、その後のヘネラリーフェの言葉で、彼の精神は浮上した。
「ファーターの夢を見ていたの」
久しぶりに夢の中に出てきた父は、やはり大きくて優しくて暖かな人だった。
「気分はどうだ？」
「うん、大丈夫だけど……ねえ、私、何かやらかさなかった？」
ヘネラリーフェが心底心配そうな顔で尋ねてくるのを、ロイエンタールは苦笑して見守る。
「その顔は……やっぱり何かしたの、私？」
「別に、ちょっとハイになっていたくらいだ」
（本当に〜〜〜？）
じと〜〜と見つめてくるヘネラリーフェを、ロイエンタールはクスクス笑いながら抱き締めたのだった。
壊れたヘネラリーフェを書いてみたくて書いた作品です。
いや〜〜 明るいですね〜〜
本編のリートベルクに自白剤を打たれた時とは大違い（笑）
まあこれも、結局聞かれたことに本当に答えられないからなんでしょうが。
でもって、相変わらずこの二人は最期にいイチャついてますねぇ。
ま、イチャついてこそのロイ＆リーフェなのでお許しをm(__)m
ときに、自白剤って本当に効くんですかね。
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