Pave Pierce



 たまには外で食事をしようという誘いのヴィジホンが、元帥府のロイエンタールからヘネラリーフェに入ったのは既に陽も傾きかけた時刻である。
 迎えの車を差し向けるからひとまずそれに乗って元帥府まで来いと言うロイエンタールに最終目的地を聞くと、端麗な口元からは帝国系企業が経営するフェザーン屈指の高級ホテルの最上階のレストランの名前が告げられた。
「じゃあ、さすがに同盟風の装いというわけにもいかないわね」
 溜息吐きつつそう呟くと、ヘネラリーフェは着替えの為に自室へ向かい、ドレッシングルームのクローゼットを漁って正餐に相応しい装いを選びだす。
 溜息を吐きつつとは言え、デートのお誘いが嬉しくないはずはない。仕事が忙しいロイエンタールは毎日の帰宅が遅く、一緒に住んでいるというのに顔を一度も合わせない日が、年間に僅かながらもある程なのだ。それ故二人で外で食事を取る機会というのもそう滅多にあるものではないのである。
 だから、今夜の外食は本当に久々の、仕事関係の付き合いやら皇宮での晩餐会とは違う正真正銘二人きりのデートなのだ。
 それを喜ばしく思えない人間がいたらお目にかかってみたい……いくらヘネラリーフェでもそう思いたい浮き浮きした気分だったに違いない。
 とっておきの夜に相応しかろうと選んだのは、コード加工付チュールレースのボディと、共布のスレンダーなスカート部分の上にシルクオーガンジーのドレープが優美なオーバースカートをふんわりと重ねた、ノースリーブの深紅のドレスである。
 ボートネックのネックラインには、チュールレースの豪華さを考えてネックレスなどは付けず、アクセサリーは敢えて耳飾りと指輪だけにした。
 いつもはピアスを付けているヘネラリーフェだが、シンプルなラインながらも華やかなドレスだからと、今夜はマーキーズブリリアンカットのダイヤのイヤリングと揃いのデザインの指輪をチョイス。
 ヘネラリーフェ自身の素材が良いので、装飾品など付けなくても十分映える。その為、ダイヤはそれほど大粒なものではなく、むしろ小粒な方だろう。そのかわり、青みがかった輝きを放つそれは素人目に見ても最高級とわかる逸品だ。
 髪はまとめず長く流したままにした。琥珀色の豊かに流れる柔らかな髪がお気に入りなロイエンタールへのサービスである。
 身支度を整えたところで、ドアをノックする音と共に迎えが到着した旨を伝える執事の声が耳に届く。
 返事をしてブラックミンクのコートを手に部屋を出て階下に向かった。と……
「お迎えにあがりました」
 恭しく腰を折って迎える人物の姿に、ヘネラリーフェはぎょっとしたように階段の中程で足を止めた。
「迎えって、貴方が?」
 唖然呆然とした声音で問いかけると、その緑色の目を持つその人物は逆にヘネラリーフェの反応が意外だという表情を見せて微笑んだ。
「上官をお迎えに参るのは部下の役目でございますれば」
「誰が上官なのよ」
 苦笑しながら言った先の実直そうな男の黒と銀の華麗な軍服に付けられた階級章は大将である。
「私にとっては、過去も現在もありません。貴女は敬愛する上官ですから」
 緑色の目を慕わし気に微笑えませるベルゲングリューンに、呆れたような溜息を吐くと、ひとまずいつまでも階段の中程に突っ立っているわけにもいかないとばかりに、ヘネラリーフェは彼の前まで歩を進めた。
「物好きな人ね、貴方も」
 実直で不器用そうな現統帥本部参謀長との出逢いは、イゼンローンでの戦闘にまで遡る。そう、ヘネラリーフェが負傷してトリスタンに救助され、その後ロイエンタールの捕虜になってしまったあの戦闘だ。
 彼女への対応に問題のある上官と違い、幕僚である彼のヘネラリーフェへの態度はそれは紳士的で公正なものだった。
 その後、皮肉にも義父ビュコックの命乞いの代償にヘネラリーフェが帝国軍元帥となり、ロイエンタールと共にハイネセンに赴いていたほんの僅かな間、確かにベルゲングリューンはヘネラリーフェの直属の部下となった。
 ヘネラリーフェにしてみれば、望んでそうなったわけでもない立場と身分と義務であり、確かに部下ではあったもの結局はただそれだけの関係だとしか思っていなかったのだが、どうやら彼の方は元敵軍将校のしかも女性であるにも関わらず、ヘネラリーフェにより以上の信頼と親愛を寄せていたようだ。
 確かに彼女なくしてはロイエンタールの危機を救えなかったし、そしてそれらは敬愛となって同盟人に戻っても尚ヘネラリーフェに注がれているのである。
 いかにも実直なベルゲングリューンらしいことと言えなくもないが、ヘネラリーフェにしてみれば些か申し訳ないような気分になってくる。
「好きでしていることですから、どうぞお気遣いなく」
 が、彼はサラリとそう言い、ヘネラリーフェに手を差し出した。
「元帥閣下がお待ちです」
 ヘネラリーフェはもう一度溜息を吐くと『悪いわね』と一言呟き、彼の手を取り車へと向かった。

◇◆◇◆◇◆

 ベルゲングリューンの運転で一旦元帥府へ向かう。夕食に誘うくらいなのでさすがに仕事は片付けてあったようで、元帥府に到着すると洒落たスーツに着替えたロイエンタールが既に車寄せで待っていた。
 それでも、人待ち顔で佇むロイエンタールなど普段の冷淡な彼からは想像し難い姿ではある。少なくとも、ヘネラリーフェ以外でそんなロイエンタールを目撃した人間は皆無だったろう。
 これで元帥府中にそんな彼の意外な姿が知れ渡ったことになるわけだが、果たして本人はどう考えているのやら……
 とにもかくにも、二人は無事合流を果たし車中の人となったのである。ちなみに、ここからは完全にプライベートの時間なので運転はベルゲングリューンから自動運転に交代である。
 後部座席に納まるヘネラリーフェの装いを見た途端、ロイエンタールは目を細めた。
「良く似合う」
 自分の見立てで作らせたドレスがヘネラリーフェの華奢な肢体を包み、しかもそれが頗る映えるとなれば、それはもうロイエンタールでなくとも嬉しくなるだろう。
「ありがと♪」
 ヘネラリーフェは素直に応じ、だが照れたように笑った。
 ふいにロイエンタールの優美な指がヘネラリーフェの耳朶に伸ばされる。
「なぁに?」
「いや、今夜はイヤリングなんだな」
「うん、ドレスが華やかだったから」
 ゴージャスなドレスには、やはり小振りなピアスよりイヤリングの方が映えるだろうと思ったのだ。
 ドレスの見立てはロイエンタールだが、映えるようにコーディネートして見事に着こなすのは、やはりヘネラリーフェのセンスの賜物だろう。
「このイヤリング、嫌いだった?」
「嫌いではないが……」
 言葉を濁したことに疑問を抱いたヘネラリーフェが訝し気に首を傾げた所を、ロイエンタールはいきなり抱き竦めた。
「わっ!? な、何よ唐突に?」
 逃れようともがくヘネラリーフェの琥珀色の髪に指を絡め強く引き、仰け反らせて項を露にさせると、ダイアのイヤリングが輝く柔らかそうな耳朶に端麗な口元を近付け、そして噛み付いた。
「ひゃっ!? ちょっと、なにすんのよ!!」
 耳朶に熱い吐息と、そして舌の濡れた感触を感じ、ヘネラリーフェが思わず頸を竦める。
「ロイ……」
 狼狽えた声で抗議すると一瞬口唇が離れたものの、今度は反対側の耳朶に噛み付かれた。
「やっ」
 噛み付いた口唇が移動して、耳元から項へとゆっくりと辿っていき暫し愛撫する。
「いい加減に」
 抱き竦められたままで思うように動けないながらも、なんとか腕を伸ばして指で彼の後ろからダークブラウンの髪を引っ張る。と、ようやくロイエンタールがヘネラリーフェの項から顔を上げた。
「まったく、何考えているのよ!!」
 相変わらず相手に有無を言わせず行為に走るロイエンタールにはいい加減慣れたつもりだったのに、つい語調が強くなりかけたヘネラリーフェは、だが抗議しようと彼の顔を正面から見据えたところで思わず言葉を呑んで黙り込んだ。
「あ……」
 反射的に耳元へと運んだ掌には、そこにあるはずのものの存在は感じられなかった。イヤリングは、美しい煌めきはそのままに、だがロイエンタールの端麗な口唇に銜えられていたのだ。
「悪戯がすぎるわよ」
 なんとも子供っぽいことをするもんだと呆れつつも苦笑しながら、彼の口唇と手の中からイヤリングを奪いとり再び耳朶に付けようとすると、目の前にブルーサテンの光沢のあるリボンがかけられた小さな包みが差し出された。
「?」
 イヤリングを付けようと耳元に持っていった指をそのままに、目だけでロイエンタールの二色の双眸に問いかけると、彼はリボンと包装を解き更に出てきた緋色のビロードのケースの蓋を青緑色の瞳の前で開けた。
「うっわぁ〜〜 綺麗〜〜♪」
 ケースから出てきたのは、熟成された赤ワインを思わせる深紅の石とダイヤを隙間なく埋め込んだ、別名パヴェと呼ばれるセッティングを施したピアスだった。
 小さめの石を均一に隙間なく埋めたパヴェのその華やかさと輝きは見事なものである。
「これはルビー?」
「いや、ガーネットだ」
 ロードライトガーネットと呼ばれる、ガーネットの中でも最高級と称えられる宝石である。幾分落ち着いた色合いが、華やかなルビーとはまた違った魅力を醸し出す逸品だろう。
「だからイヤリングを取っちゃったのね」
 先程のロイエンタールの行為には、ちゃんと理由があったわけだ。言いながら横目で見上げると、彼の口元から楽し気な笑みが零れ落ちた。
「似合うと思ってな。それに……」
 このピアスが似合うだろうと思い描いた装いは、今ヘネラリーフェが来ている深紅のドレスだったのだ。今夜、彼女がこのドレスを着てこなければレストランでプレゼントするつもりだったのだが、なんと偶然か必然かへネラリーフェは望み通りの深紅の装いで現れてくれた。
「折角このドレスに合わせて手にいれたのだからな」
 付けてもらわない法はないと踏んだのである。
「それにしたって、だったら普通に外させればいいじゃない」
 何もわざわざ官能を煽るようなイヤリングの外し方をしてくれなくてもいいのに……こう言いながら、ヘネラリーフェは拗ねたような目でロイエンタールを睨み付けた。
「気に入らなかったか?」
 シレっとした表情でこう切り返すロイエンタールに返す言葉を見つけられず、ヘネラリーフェは黙り込んだ。
 まったくもって、ロイエンタールのやることは反則だらけだと思う。それでも、抗えない自分もどうかと思う。で、結局うやむやで終わってしまうのである。

◇◆◇◆◇◆

「つけてやる」
 ビロードのケースからピアスを取り出しながら言うロイエンタールに、ヘネラリーフェは耳にかかる髪を指で掻きあげて耳朶を露にした。
「もう変な悪戯しないでね」
 釘を刺すことだけは忘れないあたりがヘネラリーフェらしい。
 ロイエンタールは苦笑しながらも、今度は大人しく彼女の耳朶にピアスを付ける作業に専念したのだった。
「思った通り、よく映えるな」
 落ち着いた色合いの深紅のドレスと白皙の肌に、パヴェの輝きが一層映える。
「ああ、そうだ」
 思い出したようにロイエンタールがスーツの内ポケットから何やら取り出し、ヘネラリーフェに差し出した。
 青緑色の瞳の前で広げられた掌の上には、ピアスとまったく同じデザインの指輪が澄まし顔で鎮座している。
 あっと驚いて見せた後で、だがヘネラリーフェは困ったような顔をしてみせた。
「なんだ、気に入らないのか?」
 ロイエンタールが彼女の顔を覗き込むようにして問いかける。
「そうじゃなくって……」
 なんだか申し訳なくなってきたのだ。ロイエンタールにしてみれば、ヘネラリーフェに似合いそうだからと軽く考え手に入れたにすぎないのだろうが、彼の手に入れてくるものはどれも一流品と呼ばれるものばかりなのである。
「高かったんじゃないの、これ?」
 ピアスにしても指輪にしても、石のクオリティーは勿論のこと、パヴェのセッティングも技術的にかなり高いものだとわかる。
 恐らく、誰もが手に入れられるものではないだろう。言い換えれば、ロイエンタールだからこそ手に入れられたとも言えるのだ。
「安物はお前に相応しくない」
「でも、身分不相応だわ」
 退役してはいないとはいえ、今のヘネラリーフェは長期休暇中のようなもので、当然無収入である。無論、絶えず前線にいた上に将校だった彼女は、つまり遊んでいる暇などなかったのでこれまでの収入は全て貯金に回していた。しかも高給取りであるから、同年代の女性のことを思えばかなりの額の貯蓄があるにはある。
 それに、亡くなった実父の財産不動産その他を、ロイエンタール家の顧問弁護士の手を借りて名義変更してもらった為(しかも弁護士が敏腕すぎた為、税金は最低ラインしか徴集されなかった)彼女はそれこそ帝国内でも有数の資産家でもある。
 が、本人にしてみればいずれ手放す気でいる実父の財産などあてにする気はないし、そもそも自分の物だとは思っていない節もあるのだ。(←売れば現在以上に大金持ちになるということは考えていないらしい)
 グダグダと言い立ててきたが、つまりヘネラリーフェはくれると言われても、はいそうですかと何でもかんでもアッサリ貰い受けるような性格ではないようで、ただでさえフェザーンではロイエンタールに頼り切って生活しているだけに、居畳まれない気持になってしまったのだろう。
「お前の喜ぶ顔が見たいんだ」
 それに……と、ロイエンタールが言葉を続ける。
「俺が好きでやっていることだから、お前が気に病む必要はない」
 ヘネラリーフェの似合う物を選び、飾り立て、連れ歩く。子供が買ってもらったばかりの玩具を誇らし気に見せびらかす行為にも似たその行動が、些か子供っぽい感情だということを自分でも承知している。
 だが、子供の頃に得られなかった幸せな充足感を今取り戻そうとしているのだとしたら……くすぐったい感情を、今味わおうとしているのだとしたら……
 もしロイエンタールのその感情と行為が、失われた時を取り戻そうとするものだとしたら、ヘネラリーフェにとやかく言う権利はないし、言うつもりもない。
 ヘネラリーフェは苦笑まじりの溜息を吐くと、華奢な指をロイエンタールの耳元に伸ばし、彼の耳朶をつまんで自分の方へと引き寄せた。
「我が侭者」
 耳元に甘やかな吐息と共にそんな囁きを送り込むと、先程の意趣返しとばかりにロイエンタールの耳朶に軽く歯を立てた後で、薄桃色の舌でペロリと舐めた。
「くっ」
 微かな痛みの後に感じる濡れた感触。華奢な指がスーツの下のネクタイを緩めた上でワイシャツの襟元を寛げさせ、可憐な口唇がその後を辿るように耳元から項をくすぐっていく。
「リーフェ……」
 欲情に濡れた声で囁きながら彼女の肢体を抱き締めようとする寸前、ヘネラリーフェはさっと身を翻してロイエンタールから離れた。
「おい」
 ここまでしておいてそれはないだろう? そう言うロイエンタールにヘネラリーフェは悪戯っぽく笑った。
「だ〜〜め、まずはお食事」
 このままなし崩しにホテルの部屋に連れ込まれては適わないとでも言いたげに、ペロリと舌を出す彼女に、ロイエンタールは一瞬唖然としたあとで、それもそうだと思い直した。
 考えてみれば、二人きりで外食そするのは本当に久しぶりなのだ。今夜はドレスアップしたヘネラリーフェの美しい姿をゆっくり鑑賞しながら美酒に酔うのも良いものだろう。
 車がホテルの車寄せに滑りこむ。
 無論、その頃には彼女の優美な指には、あのパヴェの指輪がピアス同様の華やかな輝きを放ちながらおさまっていた。

◇◆◇◆◇◆

「ところで、一度聞こうと思っていたのだがな」
 車が止まる寸前にロイエンタールが何気なく口にした言葉は、ヘネラリーフェを抱腹絶倒の極地へと導くことになった。
「なぁに?」
「お前、ピアス付けて人生変わったか?」
「・・・・・」
 
 車のドアを開け、恭しく腰を折って出迎えるホテルのドアマンが目にしたのは、青緑色の瞳を潤ませながら必死に何かに耐えているような美女の姿だった。
 連れの男性に手を取られて車を降りホテルの中へと向かう美女の華奢な肩が微かに震えているのが目に入り、若いドアマンは内心で『デートの前に泣かせなくても』と琥珀色の髪の美女に深く同情すると共に、傍らにいる美丈夫に対して同じ男として大いに不満を持ったようである。
 自分ならこんな美女、泣かせやしないのに……彼はそう思って対抗意識を燃やしていたのかもしれない。
 最上階へ向かう高速エレベーターの中でも、カップルは無言だった。女の方は、可憐な口唇をきゅっと引き結び、顔を俯かせながら相変わらず肩を震わせている。
 男の方はその双色の瞳に、困惑と機嫌を損ねているような色をたたえている。
『喧嘩でもされたのか?』
 馴染みのレストランの馴染みの支配人はそんな二人を出迎えながらそう思ったものの、痴話喧嘩に口を挟めるはずもなく、かねてからの予定通り二人をVIPルームへと案内した。
 最上階の角部屋にあたる部分にあるVIPルームは、二面が足下から天井までのはめ込み式の窓になっており、窓際に立つとまるで宙に浮かんでいるような錯角さえおこしそうになる。夜は、さながら宇宙にいるような気分になるとでも言おうか。
 照明を落とした部屋の外には、フェザーンの夜景が宝石箱の中のように煌めいている。
「後程、オーダーを伺いにまいります」
 支配人がそれだけ言い残してVIPルームの重厚な扉を閉めた途端、ヘネラリーフェは堪え切れないとばかりに床に座り込んだ。
「いい加減にしろ」
「だってぇ〜〜〜」
 我慢できないとばかりにいきなりケラケラと笑い出したヘネラリーフェを、ロイエンタールが低気圧を具現化したような声で諌める。
「あはははは〜〜 も、サイコ〜〜 一体誰に聞いたのよ〜〜〜」
 笑いが治まらないままに十数分、さすがのロイエンタールも怒りよりもヘネラリーフェが笑い過ぎで呼吸困難を起こすのではないかと真面目に心配するほど、彼女は笑い続けた。 
「そんなにおかしいか?」
 拗ねたようなロイエンタールの声に、さすがのヘネラリーフェも悪いと思ったのかなんとか笑いを引っ込めようとするが努力は報われず、口の端からはクスクスと忍び笑いが零れ落ちる。
 それから更に数分後、ようやく笑いのツボから解放されたヘネラリーフェは、青緑色の瞳を潤ませながら必死にロイエンタールの御機嫌を取ろうとしていた。
「ごめんね〜〜 あまりに意外な言葉だったから」
 が、ヘネラリーフェに背を向けて座るロイエンールは、彼女の方を見ようともしない。 
「もう、そんなに拗ねないでよ」
 背後からそんな彼を抱き締めながら耳元に囁きかける。
「拗ねてなどいない」
 その言い方の何処が拗ねていないのやら……ヘネラリーフェはまるで子供のようなロイエンタールのその態度に苦笑まじりの溜息をつくと、背後からそっと彼の頬に口付けた。
「人生変わったとしたら、ピアスじゃなくて貴方と出逢ったことによってかしらね」
 真面目な声に、ようやくロイエンタールがヘネラリーフェの方へ目を向ける。
「俺?」
「そうよ。あ、また良からぬことを考えているでしょう?」
 先制攻撃一発。だが、確かにロイエンタールはヘネラリーフェの言葉を悪い方へと取りかけるところだった。
「言っておくけど、私は貴方と出逢ったことで人生が悪い方へ変わっただなんて言うつもりはないからね」
「そうなのか?」
 ロイエンタールの言葉にヘネラリーフェは溜息を吐いた。やはり後ろ向きなことを考えていたのだ。先に釘を刺しておいて大正解だったのかもしれない。
「じゃあ自分はどうなの?」
「?」
「貴方だって私と出逢ったことで人生変わったと思うこともあるでしょ?」
 思うどころか、実感しているロイエンタールである。
「それが悪い方へと変わったか良い方へと変わったか、貴方自身はどう思っているわけ?」
「・・・・・」
 ロイエンタールは無言だった。答えられなかったわけではない。むしろその逆だろう。答える必要などないと判断したからだ。そして、ヘネラリーフェも答えを待っていたわけではない。二人の答えは同じものなのだから。
「貴方のその気持ち、私も同じよ」
 憎んだこともあった。殺したいと思ったこともあった。哀しくて辛くて愛しくて……だが、それらがあってこその今の二人なのだ。
 後ろから回されたヘネラリーフェの手に自らの手を重ねると、ヘネラリーフェがロイエンタールを抱き締める腕に力を込めた。
「大体、耳に穴を開けたくらいで人生変わるはずないでしょ」
 そんなこと言い出したら、戦場で躯に大穴を開けられる度に人生が変わってしまう。
「そ、それはちょっと飛躍しすぎじゃないか?」
 ヘネラリーフェの突拍子のない言葉にロイエンタールは一瞬唖然としたものの、すぐにクスクスと笑いだした。
 突拍子はないが、だが確かに彼女の言う通りだ。ピアスを付けたことで人生が云々と言われたら、戦場で生死の境目にいる軍人など、何度人生を変えられてしまったことやら……ということになる。
「それにね、人生なんてどうなるかわからないのよ」
 だから、耳に穴を開けたことで人生が変わったかどうかなど誰にも判断できないのだ。自分の歩むべき人生が最初からわかっているならともかく、わからないものを変わったか変わらなかったかなんて確かめようもない。
「あのね、私思うんだけど」
 ピアスを付けると人生が変わると言った人物は、変えたかった何かがあったのではないのだろうか。その人物が、果たしてその変えたかった何かを変えられたのか、それとも駄目だったのかはわからない。
「今ある何かを変えるには、耳に穴をあけるほどの勇気とエネルギーが必要なんだと、そう言いたかったんじゃないかと私は思うのよね」
 傷付かずに変革を望むことはできない。だから、痛みに耐えてピアスを付けることも必要なのだと、そう言いたかったのではないのだろうか。
「なるほどな」
「信用しないでね、でまかせだから」
 戯けた調子でそうは言うものの、だが強ちでまかせではないとロイエンタールは思った。ただ、ロイエンタールにしてもヘネラリーフェにしても、ピアスを付ける以上の痛みに耐えてきた人間なのだ。
「何かを変えたきゃ、貴方も私も自分の力でなんとかしようとする人種よね」
 だから、ピアスに頼る必要はない。
「俺ではなく、お前がだろう?」
 ロイエンタールが苦笑した。
 確かに、ヘネラリーフェに出逢う以前のロイエンタールは運命に抗おうともせず、ただ流されるだけであった。
「今は違うでしょう?」
 少なくとも、ヘネラリーフェに対する時だけは、ロイエンタールは全て自分の意志で動いている。
「それで十分じゃない。少なくッとも、私に不満はないわ」
 明るく笑うと、ヘネラリーフェはこの話はもうお終いとばかりに、アペリティフのメニューを取り上げた。
 そういえば、結局ここに来てからそろそろ30分以上は経つというのに未だにオーダーさえも済ませていない状態である。さぞ支配人がハラハラヤキモキしているだろうと思うと、少しは焦っても良いのかもしれない。が、その前に……
 アペリティフを何にしようかと真剣な表情で使い込まれた光沢を醸し出す深いグリーンの革表紙のメニューを眺めるヘネラリーフェをロイエンタールが背後からそっと抱き寄せた。一瞬何ごとかとロイエンタールの金銀妖瞳を見上げた彼女だったが、特に抗議もせず大人しく従う。
「部屋を取ってあるんだが、お姫さまに異存は?」
「・・・・・」
 パヴェが煌めく耳元に囁かれた言葉への返事の変わりに、ヘネラリーフェの項がほんのり薔薇色に染まるのが見て取れた。
「手回し良いんだから」
 つまりは、了承という意味である。
 その夜二人は、レストランの一階下にあるプレジデンシャルスイートルームで、出逢ってからこれまでの間で恐らくはじめてであろう、本当の意味での二人きりの夜をすごしたのだった。(←いつも、部下満載の艦の中やら使用人満載の屋敷内だもんね、おふたりさん♪)

Fin

*かいせつ*

今まで書いた駄文の中で、もっとも意味のないお話になってしまいました(^^;)
ただ単に、真顔で馬鹿なことをきくロイエンタールが書きたくて書いたお話ですね。元々はリーフェはピアスを付けているかどうかって所から考えついたネタではあるのですが、なんだか本当に意味不明な内容ですわ〜〜(悲鳴)
ところで、大爆笑炸裂なヘネラリーフェですけど、きっとあれ床を転げ回って笑っていると、私は見た!!(爆笑)
そして翌日お腹が筋肉痛になるのだ。
そういえば、ロイエンタールの項にキスしてましたけど、口紅つかなかったのかな?(^^;)
あの時代なんて、完璧に落ちない口紅ってのがあるのかも(笑)
などなど疑問が満載なこのお話ですねぇ(←他人事のように言うなよ<ぢぶん)
というわけで、私は書き逃げします。ばいばいき〜〜ん(爆) 

2002/2/8 かくてる♪てぃすと 蒼乃拝