流星雨



もし願いが叶うのならば
もう一度だけ あなたと一緒に
この星空を見たい

★プロローグ★

「うわぁ〜〜」
 月のない宙を見上げれば、まるで降ってきそうな程の全天360度の煌めく満天の星空がある。天にはこれほどまでに星があるのだと改めて思い知らされるほどのそれは、普段ハイネセンポリスでは簡単に見分けられる星でさえも見当がつかないほどだ。
「誰にも言うなよ、ここは俺の隠れ家みたいなものだからな」
 そう言って笑うダグラスの薄荷色の瞳には、悪戯っぽい光が揺蕩っている。
 久々に宇宙から帰ってきたダグラスに連れられてやってきた山間の湖の畔には漆黒の闇が広がるばかりで、人っ子ひとり姿が見られない静寂の世界だ。あるのは、湖からもたらされるさざ波の音だけ……本当に、ここはダグラスだけが知る秘密の場所らしい。
「いつの間にこんな所を見つけたの?」
 宇宙に出ている時間の方が長いダグラスには、たまに休暇で帰ってきても遠方に足を伸ばすほどの時間的且つ精神的余裕など無いことの方が多いのだ。が……
「内緒」
 こういうことは、知らない方がより神秘的に感じるもんだ……ダグラスはそう言って笑うだけである。ヘネラリーフェにしても、聞いたからといってどうなるものでも、またどうするわけでもないと思っているので、結局お互い顔を見合わせてひとしきり笑い合った後、再び目を天空へと向けた。
「こんなに綺麗なのに、でもあそこでは戦争をしているんだよね」
 ポツリとヘネラリーフェが呟いた。
 そうだ……あの無限に広がる果てしない闇と光の世界で、同じ人間同士で争い血を流し続けているのだ。 
「人間とは愚かな生き物だな」
 だが、その愚かな人間の中に、軍人である自分も含まれている。
「ダグは愚かな人間なんかじゃないわ。だって、戦争をやめたいと思っているじゃない」
 ダグラスは戦争がしたくて宇宙に出ているわけではない。ただ瞬かない星が見たいだけなのだ。だが、それでも彼の手が数多の血に濡れていることは間違いようのない事実でもある。
「それでも、軍人を辞めることなく人殺しを続けている愚か者だ」
 だが、辞めたくても辞めさせてもらえないことを、ヘネラリーフェは知っている。
「後方で命令だけ出している人間と違って、ダグは他人の痛みを知っているもの。だから、愚かなんかじゃないわ」
 ダグラスのような人間がひとりでも増えれば、戦争を終わらせる方向にだって持っていけるのかもしれない。いや現時点でも、戦争を賛美する者の方が少ないはずだと思いたい。そして、それは恐らく痛みを知らない人間であり、戦争で肉親を失ったことのない人間なのだと……
「リーフェは優しいな」
 その優しさが、だがあまりに深く傷つけられた故のものであることがダグラスには辛くてたまらない。同時に、ヘネラリーフェとはなんと強い人間なんだろうとも思う。どれほど傷つけられようとも、真っ直ぐな眼差しに秘められた凛とした輝きを、恐らくこの先も彼女が失うことはないだろう。
「お前はそのままでいろよ」
「ダグ?」
 いつまでも優しくて凛とした輝きを秘めたヘネラリーフェでいてほしい。だが、次に深く傷つけられることがあったとき、果たして彼女が正気でいられるのか……それはダグラスにも予見できない。もしかしたら、絶えきれずに自らの心を閉じてしまうかもしれないのだ。
 彼女は、三流ドラマの台詞のような「強そうに見えて実は脆いんだ」などということはない。だが、気丈すぎる所が逆にダグラスに不安を抱かせるのである。
 今はいい。ダグラスという存在が、彼女を包み込んでいる今は……たったひとりでも逃げ場にできる、そして泣いて縋れる存在があれば、それだけで彼女の心は守られる。だが、ダグラスは軍人なのである。本人の望むと望まざるとに限らず、彼がヘネラリーフェの傍から離れて行かなければならない時がくるかもしれない。
「ひとりでもいいから、逃げ場所を作っておけよ」
 決して自分を追い詰めるようなことはするな……それがヘネラリーフェが変わらないでいられる唯一の方法だと思うから。
「ダグがいるじゃない」
「……ああ……そうだな……」
 願わくば、天寿を全うする最後の瞬間までヘネラリーフェをその視界に留めていたい。それが叶えられない時は……その時自分は果たして何をヘネラリーフェに残してやれるのだろうか。
(考えてもしょうがないことだな)
 要は自分が長生きすれば良いだけのことなのだから……ダグラスはそれまでの考えを一蹴するように頭を一振りすると、再び天を仰ぐ。次の瞬間、蒼白い光を瞬かせながら星が視界を横切った。
「あっ、流れ星!!」
 短く声をあげたのはヘネラリーフェである。
 ハイネセンポリスでは絶対にお目にかかれない代物でもあるそれに、どうやら彼女は魅せられてしまったようである。
 そのまま宙から目を逸らそうとしないヘネラリーフェに思わず苦笑を洩らしながらも、ダグラスは静かな声音で彼女に語りかけた。
「知っているか?」
「?」
 ダグラスの手が、ヘネラリーフェの華奢な肩を抱き寄せる。

 知っているか? 流れ星にまつわる言い伝えを……

★天空★
 
 知っているか? 流れ星に三度願い事を唱えると、その願いは叶えられるんだ。
 そう教えてくれた人は、もうどこにもいない……

「冷えるぞ」
 ロイエンタール家の広い庭の真ん中に立って、ボンヤリと夜空を見上げるヘネラリーフェの肩に自分の軍用コートを羽織らせてやりながらロイエンタールが声をかけた。
「あ……おかえりなさい、ロイエンタール」
 振り向き様、ほんの少しだけ狼狽えながら紡がれたその言葉に、端麗な口元から思わず苦笑が零れた。職業柄他人の気配に敏感なヘネラリーフェが、声を掛けるまで背後から近寄るロイエンタールの存在に気付かなかったのだ。
「何か見えるのか?」
 言いつつ、ロイエンタールも空を見上げてみる。が、そこには普段の何等変わることのない星空が広がっているだけである。ただし、木立まである庭がいくら広いとは言え帝都フェザーンの中心部という場所柄辺りが明るいため、満天の星空とまでは残念なことにいかない。 
「星を見てたの」
 ロイエンタールにしてみれば、艦隊司令官として宇宙に出ていることの方が地上にいる時間よりも多いが故に、今更星など見飽きたというのが本音だし、どんなに美しくても結果的にその星の海を夥しい血で染めてきたとしか思えないのだが、どうやらヘネラリーフェは違うようである。
「ここではあまり見えないだろ?」
 周囲の明るさのことをロイエンタールは言っているのだろう。それでなくとも、漆黒の闇の中で瞬かない星を見つめ続けてきた二人なのである。地上で見る星も美しいには違いないが、宇宙空間で見るそれとは比べ物にならない。何よりも、重力に縛られながら見るのとそうでないのとでは、あまりに距離が違いすぎる。 
「しょうがないわよ、だからって山奥に引きこもるわけにもいかないし」
 が、山奥なら全天360度のまるで降ってくるかと思うような満天な星空が見えるに違いない。そして、そこならきっと……
「やっぱり街中では流れ星なんて見えないわね」
「流れ星?」
 星はともかく、流れ星はさすがに宇宙に出る機会が多くてもあまりお目にはかかれない。だからといって見たいと思ったことは、哀しいかなロイエンタールにはないのだが。所詮宇宙のチリなのだ……と考えるのは、あまりにロマンがないだろうか。
 だが、これがある意味軍人の哀しい性でもあるのだと思う。結局、星にロマンを感じられるのは、そこがあまりに遠くて現実離れした世界ならではのことなのだ。
 ロイエンタールは無論のこと、こうして飽くことなく星空を見上げるヘネラリーフェにしても、もはやそこが夢を抱ける場所でないことを嫌というほど知り尽くしているのだから。
 それでも尚星に魅せられるヘネラリーフェ……だからこその、余程の思い入れがあるのだろうか。
「見に行くか?」
 ロイエンタールが何を言っているのか、ヘネラリーフェは咄嗟には判断できなかった。
「流れ星が見たいんだろ?」
「見たいと思って見られるものじゃないわよ」
 見られるものなら是非見たいものだが、こればかりは願ったからと言ってどうにかなるものではない。
「確か、33年に一度の流星群が今年は観測できるはずだ」
 そう言われてみてやっと、ここ数週間前からニュースなどでもその話題がよく取り上げられていたことを思い出した。
「今年はかなり期待できるらしいぞ」
 その期待が一体どの程度のものなのかは予測できないが、もしかしたらそれこそ流星雨と言えるような星降る瞬間に出逢えるかもしれない。
「ここでも見えないことはないだろうが、どうせなら暗い所の方が良さそうだな」
 星になど興味はないと言う割りに、それなりに楽しそうにロイエンタールが流星群観測計画を立てていく。
 尤も、ロイエンタールは星を見にいくことを楽しんでいるわけではなく、ヘネラリーフェを喜ばせるということの方に悦びを感じているのだろうが……
「そんなことまでしてくれなくてもいいわよ。仕事忙しいんでしょ?」
 この場で夜更かしして見るだけならともかく、遠方にまで足を伸ばすとなると話はまた別物である。いくらなんでも流星群見たさにロイエンタールに迷惑を掛けるわけにはいかないのだ。が、こうなってしまえば何を言っても暖簾に腕押し状態なのは周知の事実。更に……
「気を使いすぎるのが、お前の悪い所だな」
 そう言いながら、ロイエンタールが苦笑を湛えた静かな眼差しをヘネラリーフェへ向けた。自分のことを気遣ってくれるのは嬉しいが、だがいつもいつもそれでは精神が疲れてしまう。
「お前は、もっと我が儘を言っていいんだ」
 それでなくとも、ヘネラリーフェはどんな時でもまずロイエンタールのことを最優先に考え、相変わらず留まることを知らない彼の漁色にも目を瞑り、恨み言ひとつ言わず、極々自然に彼をその優しさで包み込み、そして甘やかすのだ。
 しなやかな腕が伸びて、ヘネラリーフェの華奢な躰を広い胸に抱き寄せた。
「もっと我が儘を言って欲しいんだ」
 俺にとってのお前がそうであるように、お前にとっての逃げ場所になりたいんだ、俺は……かつて同じ言葉を聞いたことを思い出し、ヘネラリーフェの胸がズキンと痛んだ。が、その痛みを敢えて胸の内から払拭すると、ヘネラリーフェは苦笑の微粒子を込めた笑みを湛えながらロイエンタールを見上げる。
「私、別に我慢しているわけじゃないわ」
 先程の言葉から推察するに、ロイエンタールは恐らく自分のしていることに負い目を感じているのだろう。だが、実の所ヘネラリーフェはそれに対して耐えているとか、我慢しているということはなく、ただただ自然体でいるだけなのである。
「そんなこと言って、私が我が儘を言い出したら手が付けられないわよ」
 少々戯けた調子でそう言うと、軽くウインクを決める。
「お前の我が儘なら大歓迎だ」
 他の女なら、聞く耳など持たぬとばかりに冷淡に突き放してみせたことだろう。愛する相手からの我が儘というものが、実は嬉しいものだと知ったのはヘネラリーフェを得てからだ。
 ヘネラリーフェの可憐な口元からクスリと忍び笑いが零れた。
 どうやらこれは、ロイエンタールがヘネラリーフェに我が儘を言って欲しいという我が儘を言っているようなものだと気付いたのだ。尤もロイエンタール本人にしてみれば、そういう意識は皆無なのだろうが……
「はいはい、わかりました。じゃ、我が儘をひとつ聞いて貰うもらうことにするわ。流星群を見に連れて行って」
「お望みのままに……」
 膝を折ながらヘネラリーフェの手をとり甲に軽く口付けるという大仰な態度と言葉使いでそう答える。が、次の瞬間二人は顔を見合わせてクスクスと笑いだしたのだった。

★流星★

「うわぁ〜、真っ暗」
「足下に気を付けろ」
 フェザーンの中心街にあるロイエンタールの私邸から車で小一時間の場所に二人は来ていた。辺りには人家どころか街灯さえも見当たらない正真正銘、漆黒の暗闇の世界。どうやら今夜は朔夜のようである。
 ロイエンタールがヘネラリーフェの手をとって車から降ろす。と、その瞬間、視界を遮るものなどなにひとつない暗闇に全天360度の満天の星空が広がった。
「えっ!?」
 思わず宙を見上げたまま動けなくなっていた。
「どうだ? 気に入ったか?」
「うん……凄い……」
 もしかしたら、口をポッカリ開けて上を見上げていたかもしれない。それくらいに見事すぎる満天の星空だったのだ。それはまるで、煌めく星が降ってきそうな錯覚に陥りそうになる程のもので……
「もう少し移動するぞ」
「うん」
 返事は返したものの、実は天を見上げたままのヘネラリーフェの手を取ってロイエンタールが先へと導く。辿り着いた場所は、やはり全天360度開けた場所だったが、どうやら地が柔らかな下草で覆われているらしいことが歩いた時の感触でわかった。
「こっちへ来い」
 初冬の冴えた空気の中で瞬く星々の囁きが聞こえてきそうな宙を見上げたまま、言葉もなく立ちつくしたまま動かないヘネラリーフェに艶のあるテノールでそう囁くと、どうにも反応が鈍くなっている彼女の華奢な躰を背後から抱き込み、地に腰を降ろす。そうした上で、ロイエンタールは抱き締めたヘネラリーフェの躰ごと毛布にくるまった。
 と、ここでヘネラリーフェはようやく一旦視線をロイエンタールへと向けた。暗くてよくわからないが、その時ヘネラリーフェの白皙の頬が微かな薔薇色に染まっていたことを知る者は、恐らく本人を除けば誰もいないだろう。
「寒くないか?」
「うん……ロイエンタールと一緒だと暖かい……」
 彼の広い胸に頬を擦り寄せたその時、目の端に瞬く天空の星がまるで零れ落ちるかのように流れたのが映った。
「あっ」
 天を横切るように流れるそれを目で追い、消えた所で再びその星があったあたりに視線を戻す。と……
「うわぁ〜〜」
 思わず声が漏れた。蒼白く輝きながら天を縦横無尽に駆け巡るかのように瞬きながら落ちる流星が、ひとつまたひとつと、とにかくひっきりなしに現れては消えるのだ。
「あ、また」
「あ、あそこにも」
 一々口に出してしまうのも仕方がないと思える程、とにかく数え切れないほどの流星が視界を縦に横にと煌めきながら零れ落ちていく。時折、燃えるように赤く瞬きながら長く尾を引いて流れる星に更に目を惹き付けられ……
「なかなか凄いな」
 当初、今更わざわざ地上で流星など拝まなくても……と言っていたロイエンタールでさえも、どうやら今夜の流星雨には魅了されてしまったようだ。
「ありがとうね、無理聞いてくれて」
 宙を見上げながらヘネラリーフェがポツリと呟く。今夜、ロイエンタールは仕事から帰ってきた後、息吐く間もなく車を出してくれたのだ。
「言ったはずだ、お前の我が儘なら大歓迎だとな」
 それに……と、言いかけてロイエンタールは言葉を呑み込んだ。実はちゃっかり翌日に休暇を入れてきたのだが、それを言うとまたヘネラリーフェが気を使うだろうことがわかるのと自らの悪戯心から、口を噤んだようである。
「甘やかすと癖になるわよ」
「尚更大歓迎だ」
 甘やかされる心地良さは、これまでそんな経験など皆無だったロイエンタールの方がより大きく感じ取っていることだろう。だからこそ彼は、今度はそれをヘネラリーフェにも味あわせてやりたいのだ。
 互いの想いを噛みしめながら再び流星に目を向ける二人に沈黙が訪れる。
「ひとつだけ訊かせて欲しいことがある」
 唐突にロイエンタールがそう切り出した。わかるようでわからない、ヘネラリーフェの星への執着……聞いてはいけないことなのかもしれないと思いつつ、だが聞かずにはいられないもどかしさ。
「なぁに?」
 ロイエンタールの心中の葛藤を知ってか知らずか、散々迷いながら紡いだ言葉に対しての返答は呆気ないほど端的なものである。
「どうして、そんなに星に拘るんだ?」
「それは、ダグが好きだったか…ら……」
 言いかけて、だが次の瞬間ハッとしたようにヘネラリーフェが口を噤んだ。
「ダグラスが?」
 もしかすると、ロイエンタールにとってはある程度予測可能な答えだったのかもしれない。少なくとも外見上は、彼は顔色ひとつ変えてはいなかった。
「ごめん……」
 口元を手で覆いながら言うヘネラリーフェの声は震えている。自分自身思いも寄らない言葉だったのだろう。
(今更……)
 割り切った筈のダグラスの名を、今になって無意識に口にしてしまったことに戸惑いを隠せずにいられなかった。
「ごめんなさい……こんなこと言うつもりじゃなかったのに」
 ダグラス=ビュコック……その名を口にすることが、どれほどロイエンタールを傷つけることになるのか。
 それだけではない。割り切ったとばかり思っていたダグラスのことを、実はまだ吹っ切れていなかったことにショックが隠せないヘネラリーフェなのである。
「ごめんね、嫌な気分になったでしょ?」
 謝りながら、だがロイエンタールの顔を正視できなくて、ヘネラリーフェは顔を背けようとした。
「謝るな」
 背けようとするのを阻むようにロイエンタールの優美な指がヘネラリーフェの顎にかけられ己の方へ向き直らせる。と、澄んだ海の如き青緑色の双眸から透明な雫が頬を伝って零れ落ちた。
「見ないで……私の顔を見ないで」
 涙が止まらない……しかも、ダグラスを想って流す涙など、ロイエンタールには見せたくなかった。 
「隠すな」
 頬を両手で包み込むようにして、ロイエンタールはヘネラリーフェの涙を湛えた瞳を覗き込んだ。その金銀妖瞳には苦笑混じりの、だが柔らかな笑みが揺蕩っている。
 ダグラスを忘れられないのは、ロイエンタールも同じなのだ。しかもダグラスへの涙の原因を作り出したのは、そもそも自分なのである。彼にヘネラリーフェを責める資格はないし、それに……
「忘れる必要はない……覚えていればいい」
 俺もそうだから……あんな死に様を見せつけられて、忘れられるはずなどないのだ。しかもその後のヘネラリーフェとの出逢いも、今にして思えば偶然とは思えない。そう……まるでダグラスの意思が働いたとも言えるような気さえするのだ。
「むしろ、覚えていて欲しいんだ」
 そして、ヘネラリーフェの中のダグラスへの想いごと、彼女の全てを引き受けたい……彼の想い出を共に抱き締めたいのだ。
「だから……頼むから、謝らないでくれ」
 ヘネラリーフェに謝られることほど辛いものはない。自分は詫びても詫びきれないようなことを彼女に対してしてきたのだから。
 ロイエンタールの言葉と背中を優しくさする手に促されるように、ヘネラリーフェの可憐な口唇から嗚咽が漏れだした。 
 もう、聞く必要はなくなった。どうしてヘネラリーフェが星に拘るのか聞くまでもない。彼女の果てしない宇宙への憧れは、すべてダグラスから受け継いだものなのだ。
「話してくれないか?」
 ロイエンタールの知らないダグラスのことを、今はただ知りたい。彼が何を望み何を見てきたのか。

★願い★

「ダグが軍人になったのは、ただ瞬かない星を見に行きたかったからなの」
 ようやく落ち着きを取り戻したヘネラリーフェがポツリと呟いた。
 だから、自分もダグラスが見ていたものと同じものが見たかったのだ。実父と義兄であり愛するダグラスが魅せられた世界を、自分の目でも見てみたかった。
「ダグね、軍人なんてやめたくて仕方なかったの」
 恐らく、あの最後の別れのあの時、彼は退役することを決意していたのだと思う。いや、それは聞き入れられない願いだったのかもしれないが、だがあの時のダグラスはヘネラリーフェの為にそうしようと並々ならぬ決意を秘めて出撃していったのだと、今ならわかるのだ。そして、彼は帰ってこなかった。
「あの時から、星は私とダグを繋ぐ唯一のものになったのだと思う」
 漆黒の蒼い闇の中に無数に散らばる星に身を委ねながら、確かにそこにダグラスの息吹を感じていた。だが、憧れ続けたその場所はあまりに過酷で冷たくて、星の輝きは時に死に神の大鎌が光を反射する様を思い抱かせ、いつしかヘネラリーフェを死へと魅入らせたのである。
「いつまで私はこの手を血で濡らし続けるのだろう……そんなことばかり考えていたわ」
 実父とダグラスの命を無下に散らした戦場に、何故自分は立っているのだろう……これではまるで破壊衝動だと自らを呪い嗤っていたのだ。
「いっそのことダグの元に逝けたらって、本気でそう思っていたの」
 そんなときに出逢ったのが、ヤンでありシェーンコップだったのだ。そして彼等はダグラスが望んだとおりに、ヘネラリーフェの唯一の逃げ場と成り得た。同時に、彼女は生きようとする意志を取り戻したのである。
「そんな時に俺と出逢ってしまったわけか」
 まさしく自分は死に神だったのだ……ロイエンタールの口元に自嘲の笑みが浮かび上がった。
「それは言わない約束よ」
 ヘネラリーフェが苦笑しながら窘める。それを言うなら、ヘネラリーフェと出逢ってしまったことで、ロイエンタールもまた自らへの破壊衝動を深めてしまったのだから。
 思うに、二人は実によく似た存在だったのだ。互いが自らを消し去りたくて仕方なくて……だが、自らの手で命を絶つ勇気などなくて。今も、結局互いの傷を舐め合い、甘やかし合うだけの弱い存在なのだと思えてしまうことさえあるのだ。
「お前は強い。強くて優しくて、そして美しい」
 ロイエンタールがヘネラリーフェの華奢な手を取り、その甲に口付けながら低く囁いた。自分にはない強さ……彼女の真っ直ぐな眼差しからは、例えどんな苦難に出逢おうとも、その凛とした輝きが失われることはないだろう。どんなときでもその青緑色の双眸をロイエンタールから反そうとはしなかった女なのである。
「買いかぶりすぎだわ」
 そんな強さがあるなら、例え一時の気の迷いとは言え死の誘惑に絡め取られることなどなかった。
 宙を見上げると、そこには相変わらず流星が輝く尾を引きながら零れ落ちる満天の星空が広がっている。
「知ってる?」
 ふと思い出したように、ヘネラリーフェが囁いた。
「流れ星に願い事を三度唱えると、その願いは叶えられるんですって」
「それはまた随分とロマンチックな話しだな」
 大体、流れ星に願い事を三度唱えるなど、流れ落ちるのがあまりに早すぎて到底無理だろう……現実的なことを言うロイエンタールにヘネラリーフェは堪えきれずケラケラと笑いだした。
「そう言うと思ったわ」
 ヘネラリーフェ自身、かつてそう言ってダグラスに笑われた記憶があるのだ。
「だが、実際そうだろう? 流れ星が消えぬうちに願い事を三度唱えるよりも自分で努力する方が早そうな気がするが……」
「そうね……つまり、願いを叶えることはそれだけ難しいということなんじゃないのかしらね」
 流れ星の言い伝えは、他人の力を借りるにしろ、自分自身の努力の積み重ねの結果にしろ、願いを叶えることは並大抵のことではないという、いわば戒めのようなものなのかもしれない。
「でもね……どんなに努力しても、叶わない願いもあるのよ」
 呟くような言葉に、ロイエンタールは何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。
 宙を見上げる二人の眼前で、ひときわ明るく赤く光り輝きながら星がひとつ落ちた。無言でそれを見送った後しばらくして、ようやくロイエンタールが口を開く。
「何を願った?」
 ロイエンタールの言葉に、ヘネラリーフェは一瞬言葉を失ったものの直後には苦笑を浮かべ、そして彼の膝の上からスッと立ち上がった。
「言わない」
 叶わないことがわかっている願い事を今更口に出して言うことはできない。星の瞬く漆黒の宇宙を凝視しながら言う彼女の口調は、全てを昇華したようにも、また全てを自らの心内に封じ込めたようにも、つまりそのどちらともとれるものであった。
「そうか……」
 ロイエンタールも無理に聞き出そうとはしない。聞かなくてもわかっているのだ。

 もし願いが叶うのならば……もう一度だけ貴方と一緒にこの星空を見たい。そして、一言伝えたい。

「私ね、泣いて縋れる胸を……たったひとつの逃げ場を見つけたの」 と……  

Fin

*かいせつ*

獅子座流星群のあまりの素晴らしさに感動して、やはり時事ネタで流星群ネタは外せないよなぁと単純に考えて書きはじめたものの、冬コミ新刊用のお話よりも手間取ったのが今回のこのお話(^^;;)
結果的に第3稿までいってしまいました。
なんとか収拾がつけられて良かった(ホッと溜息)
とかなんとか言って、でも折角の流星群ネタの割りに暗いですよねぇ(汗)
書いているうちにどんどん暗くなってしまった……(爆)
思えば、リーフェがダグラスのことをロイエンタールに話すということをさせてなかったよなぁと思いたってしまったのが、全ての元凶ですね。
ロイエンタールだって聞きたいだろうし、聞かなきゃならない話しだとも思ったんですよね。これから二人が共に生きていく上で、ダグラスの存在って決して避けては通れないと思うんですけれど、如何なもんでしょ?(^^;;)

2001/11/29 かくてる♪てぃすと 蒼乃拝