Blue Moon　−薔薇の囁き−



　そこは一面薔薇で埋まっていた。
　赤・黄・ピンク・白……そのどれもが人の手で大切に手入れされた一級品ばかり。
「コンラッド・ヘンケル、メリナ、レディ・ローズ、ニュー・アベマリア、エスメラルダ、ウィミィ、ゴールデン・メダイヨン、ファルツァー・ゴールド、ウィンナー・シャルメ、ケニギン・ベアトリックス、そしてホワイト・マスターピース……」
「随分と詳しいのだな」
　バラの園に佇むふたつの人影……　彼等の囁くような話し声が薔薇の方向と共に風にのって漂う。
「昔、まだ夢見る夢子ちゃんだった頃に、プロポーズされるときに貰らうならこんな花がいいなと思って調べていたら、いつのまにか覚えてしまったんだ」
　笑いながら応じるのは、陽を受けて柔らかに輝く琥珀色の髪と青緑色の双眸・白皙の肌の女性、言わずと知れたヘネラリーフェである。そうなると、もうひとりの人影は当然の如くオスカー・フォン＝ロイエンタールということになる。
　さて、薔薇の花にプロポーズと言えば忘れてはならない人物がいる。そう、ウォルフガング＝ミッターマイヤーである。
　残念なことにこの場に彼はいないが、幾種類もの薔薇で犇めくこの場には当然のごとく黄色い薔薇も何種類か植えられている。そして、特に意識しているわけでもないのだが、自然とその姿が二人の目に飛び込んで来るのだ。
「黄色い薔薇も結構種類があるものなんだな」
「そうだな。ミッターマイヤー提督がどの薔薇を奥方に贈ったのかは知らないが、華やかなものから可愛らしいものまでいろいろあるぞ。男性から女性に贈る分にはこの薔薇の花言葉をそれ程気にする必要もないだろうし、結構女の子受けするんじゃないか？」
　ヘネラリーフェの言う通り、黄色い薔薇と一口に言っても様々だということが、花など女性を口説く手段にしか思っていないロイエンタールにも見て取れる。
「サマーサンシャイン、サンブライト、ガーデンパーティー、そしてイエロードール。赤い薔薇のような毒々しさもないし、かといってピンクのように弱々しいというわけでもない。黄色い薔薇って結構好きだな」
　言いながら、香りをかぐように大輪の花に顔を近づける。
「薔薇が好きなのか？」
　ヘネラリーフェの様子に、極自然に沸き上がる疑問をロイエンタールは彼女にぶつけてみた。その言葉に顔を上げると、ヘネラリーフェは一瞬首を傾げるような仕草をしながら答えを口にする。
「嫌いではないな。でも、貰うならこれでなきゃ嫌！　という程でもない」
　その言葉通り、確かに彼女は稀にみる薔薇好きというわけではなかった。勿論嫌いというわけでもない。
　同盟にいる頃から、奇特にも彼女に恋愛感情を持った男性諸氏が贈ってくる花と言えば、大抵大輪の華やかで豪華な深紅か純白の薔薇という事実がある。
　ヘネラリーフェの一見華やかで、だが清冽なイメージに合わせて選んだものらしいのだが、実はそれに対してはいささか癖壁していたと言っても過言ではなかったため、嫌いではないものの好きでもないという曖昧な感情を持つに至ってしまったのだ。
　ヘネラリーフェの本質を知るもので多少花の知識があれば、恐らく薔薇は贈らないだろう。現にダグラスもアッテンボローもヘネラリーフェに何度か花束をプレゼントしているにもかかわらず薔薇だけは贈ったことがないのである。
　もっとも、送り主が変われば花には罪はないとも思っているヘネラリーフェのことだから、ダグラスやアッテンボローから贈られれば薔薇でも大歓迎だっただろうし、今ロイエンタールから薔薇を贈られても、多分素直に喜べるだろう。
「プロポーズに贈られるなら、どんな花がいい？」
　唐突なロイエンタールの言葉に思わず苦笑しながらヘネラリーフェは答えた。言ったら最後、一〇〇万本くらいの花を手渡されそうだなと思いながら……
「どうしてもくれると言うなら、黄色い薔薇なんてどうだ？」
　戯けた調子で答えた。
「ミッターマイヤーにあやかろうとでも言うのか？」
　二人の脳裏に恐らく帝国、いや銀河一であろう愛妻家の男の顔が浮かぶ。
「ミッターマイヤー夫妻も羨むほどのオシドリ夫婦になれるかも」
　悪戯っぽい笑みを湛えながら言うヘネラリーフェの言葉につられるようにロイエンタールも笑った。だが……
（黄色い薔薇はリーフェのイメージではないな）
　内心呟きながら思考に溺れていく。敢えて薔薇を贈るとしたら……　深紅は毒々しすぎる。純白というイメージでもない。（←オヒ）ましてや可憐なだけのピンクでもない。ヘネラリーフェに相応しいのは……
「ブルームーン……」
「は？」
　聞き取れなかったというような眼差しでヘネラリーフェの青緑色の双眸がロイエンタールを見やる。
　ブルームーン……　明るい藤色系のその花は、色こそ華やかさはないが、丸弁に近い半剣弁の花びらで、清楚さと優雅さ、そして鋭さを併せ持つ大輪の薔薇である。藤色と言う言葉からもわかるように、ピンクより幾分青みがかっている薄紫色。形・色も勿論だが、その強烈な芳香も魅力のひとつだ。
「お前にはブルームーンが相応しい。花そのものもだが、なによりネーミングがな……」
　闇に浮かぶ孤高の存在。足下さえも見えない漆黒の世界に、青白い光を優しく投げかける優美で艶麗な姿……　そんな姿を象徴する名の大輪の薔薇のブーケを持つヘネラリーフェを、いつの日かこの腕に抱く……薔薇に埋もれるかのようなヘネラリーフェを見やりながらロイエンタールは暫しそんな夢に酔った。
「ブルームーンか……　いい名前だな。ここにはないのか？」
「残念ながら、この庭にはないんだ。植える必要もないしな」
　暗に植えろと言っているようにも取れるヘネラリーフェの言葉に、ロイエンタールは意味ありげな微笑みと共に囁いた。
「ブルームーンは俺の腕の中でだけ咲き誇ればいいから……」
「？」
　ロイエンタールのその言葉の意味を、さしものヘネラリーフェもその時ばかりは計りかねた。そして……

＊＊＊

「ウェディングドレスのブーケがブルームーンだってのはわかるが、これはちょっと……」
　ヘネラリーフェが己の出で立ちを見下ろしながら軽く溜息をつく。
　幾多の試練を乗り越えた二人は今日この日、永遠の愛を誓い合った。
　教会での式を終え、披露宴を兼ねた舞踏会の会場でもある豪奢な新居に到着した二人を（正確には花嫁であるヘネラリーフェを）待っていたのは、色とりどりの数着のドレス（昔の地球風に言うのならお色直し用ドレスと言ったところであろうか）であった。
　その中の一着、オートクチュールのそのドレスは、制作にあたりロイエンタールが特に細かく指示を与えたものである。
　明るい青みがかった藤色……　袖とウエスト部分に薔薇の花弁をイメージしたと思われる花弁型の布が幾重にも重ねられたそれは、全体のシルエットとしてはプリンセスライン、パニエでスカート部分を大張にしたフルレングスのゴージャスなものだ。
　柔らかな光沢のシルクサテンのデザイン自体はシンプルなそのドレスは、いつかロイエンタールがヘネラリーフェに相応しいと讃えた大輪の薔薇『ブルームーン』をイメージしたものであった。
「何か不服でもあるか？　言ったはずだ……　ブルームーンは俺の腕の中でだけ咲き誇ればいいとな」
　勝ち誇ったようなロイエンタールの言葉に、小言を口にしたヘネラリーフェも思わず一瞬だけ唖然とした後、完敗と言うような表情で苦笑した。
「そうだな、私はロイエンタールの目にだけ映れば良いのだから……」
　言いながらヘネラリーフェはロイエンタールの頬を両手で挟み込むと、伸び上がるようにしてまず彼の右目に口付ける。その薄紅色の柔らかな口唇が端正な面の頬を滑り落ち、次に端麗な口元に軽く掠めるだけのキスを贈った。
　ヘネラリーフェの暖かな手と極上のベルベットのような口唇の感触に、ロイエンタールの口元に笑みが浮かび上がる。
　無論、ロイエンタールがされるがままになっているはずもなく、彼は薔薇の高貴な芳香を纏うヘネラリーフェの華奢な肢体を強く抱き寄せると、彼女に贈られたものとは正反対の濃厚な口付けを施した。
　ヘネラリーフェの細い躰がのけぞるほど強く抱き締め、息苦しさに薄く開いた彼女の口唇の隙間から舌を差し入れ、甘やかな舌を己のそれで捕らえ、深く強く絡ませ存分に味わう。そしてヘネラリーフェもそれに応え……　まるで互いを貪り尽くそうとするかのようなキスは、どこか甘く激しく咲き乱れる薔薇を思わせた。
　階下から、主役を呼ぶ声が響いてくる。
　口唇を離し、一瞬互いの目を見交わした後、ロイエンタールが膝を折って腰を屈めながらヘネラリーフェに手を差し出した。
「お手をどうぞ、フラウ・ロイエンタール」
　口付けの余韻で、目尻を朱に染め瞳を潤ませたヘネラリーフェの頬が微かに薔薇色に染まる。
「なんだか、未だにそれが自分のことだとは思えないな」
　フラウ・ロイエンタール……　どこか他人行儀でくすぐったさを覚えるその呼び方が、だが同時に本心から嬉しいと思えるのもまた事実。
　ヘネラリーフェがロイエンタールのしなやかでありながらも力強い手に己の手を重ねる。と、彼はその華奢な白い手の甲に膝を折ったままの姿勢と優雅なまでの仕草で軽く口付けた。
「そんなお姫様みたいな扱いをされると、どういう顔をすればいいのか困る」
　ヘネラリーフェの心底困惑した言葉に、ロイエンタールが金銀妖瞳だけを上げて彼女を見やった。視線が絡み合う。その途端二人は見つめ合いながらクスクスと忍び笑いを洩らし、そして手を取りあいながら歩き出した。

「言葉使いに気を付けろよ」
　あんなぞんざいな言葉使いを優雅で可憐にしか見えない新婦がしたりしたら、義父母や同盟軍関係者はともかく、帝国軍関係者や官僚、未だ存在する貴族などは貧血を起こして倒れること間違いなしだ。祝い事の席で、それはやはり避けたい。
「心得た」（←言ってる傍からぞんざいな返答である）
　披露宴に向かう新婚カップルのものとも思えない会話をしながら、二人は広間へ降りる優美な弧を描く階段の手前の空間で一旦足を止める。絵の中から抜け出てきたような完璧な一対である美しい新郎新婦の姿に、披露宴出席者から溜息と歓声があがった。
　もう一度チラリと視線を交わした後、ロイエンタールとヘネラリーフェは歓声に導かれるがまま共に一歩を踏み出す。それは、二人で進むべき人生の第一歩でもあった。

Fin

＊かいせつ＊

ぢゃあ、ヘネラリーフェのイメージにあう花ってなんなのよ！　と思われた読者の皆様、お怒りはごもっともです（汗）
蒼乃がイメージするヘネラリーフェに似合う花、それは「桔梗」だったりします。可憐（中身までそうだと言えないところも、リーフェの魅力だと思ってやってくださいまし〜〜爆）でシンプルで、でも凛としてて、ちゃんと自己を主張をしている。ただ、桔梗の花って花束で贈るには無理のある花ですよね。だから、ただ彼女の外見に惹かれているだけの男性諸氏は多分贈らないだろうし、桔梗をイメージするなんてことはまずないと思うんです。そもそも桔梗なんて知っているんでしょうかねぇ？　どう見ても和風の花ですし……
アッテンは恋愛感情以前に彼女の本質を知り尽くしていますからね。ダグラスも無論。まかり間違ってシェーンコップが花束を贈る気になったとしても、多分結果は同じ。ロイは、でも敢えて薔薇かなって（爆）
ヘネラリーフェって、やはり見映えも凄まじく良いし、でもあの性格（^^;;）なので、それをも念頭に入れてってことで……苦しいかなぁ（^^;;）
ところでこのお話を読んで、ついにロイ＆リーフェもハッピーエンドか！？　と思われた方！！　すみません……これ、パラレルだと思って読んで下さい（核）
実はこれ、銀河狂想曲以前のプロットで思いついたネタだったんです。パソコンの中身の整理をしてて見つけたんですが（すっかり忘れてた）つらつらっと読み返してみたら、今のロイ＆リーフェでも全然ＯＫなネタであることに気付き（笑）　
で、急遽大幅改定して書き上げてみました。
現段階では、まだあの二人と結婚ってのが結びつかなくて……でも、情景としては一度書いてみたくて掘り起こしたプロットなんです。
というわけで、少〜〜しだけガッカリさせてしまったかもしれませんが、ひとまずこのお話で暫し幸せの余韻にでも浸っていただければ嬉しいです。
そうそう、ちなみにプロット段階では当初濃厚キスシーンなんて入れる予定ではなかったのですが、今の二人には濃厚なのがないと逆に物足りなく思えてしまって、ついつい入れてしまいました（大笑）
それから、ヘネラリーフェの言葉使いですが、夏の新刊をお持ちのお方は既にご存じとは思うのですが、蒼乃の中の「結局彼女って軍人なのよね」的な考えから、こういう言葉使いに挑戦してみました。気っ風の良い姐さん風で似合うと思っているのは私だけ？？？

2001/8/2　かくてる♪てぃすと　蒼乃拝